大分・別府鉄輪朝読書ノ会

大分県別府市鉄輪にて毎月開催しています課題図書形式の読書会です。

【ご案内】第三十二回 別府鉄輪朝読書ノ会

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年内最後の読書会は磯﨑憲一郎『肝心の子供/眼と太陽』(河出文庫)を読んでいきたいと思います。参加希望の方はホームページよりお申込みください。

 

内容紹介

人間ブッダから始まる三世代を描いた衝撃のデビュー作「肝心の子供」と、芥川賞候補作「眼と太陽」に加え、保坂和志氏との対談を収録。芥川賞作家・磯崎憲一郎の誕生の瞬間がこの一冊に!

 

kannawanoasa.jimdo.com

 

SWEET REVENGE

 

明治35年日露戦争前夜。日本陸軍の冬季訓練中に起きた近代登山史上最悪の遭難事故を新田次郎が小説化。気象学や山岳登山にも造詣が深かった著者の精緻すぎる筆致に圧倒されます。大寒波と猛吹雪で胸まで雪が浸かる中、第五聯隊210名全員が遭難。部隊名、階級名、個人名が飛び交い、主客を失い、史実と創作が入り混じりながら、読んでいる私たちもまた遭難のただ中へと導かれるようです。極寒のなかで服を脱ぐ異常行動〈矛盾脱衣〉を次々とはじめる男たちの描写は真に戦慄を覚えます。組織論の研究やリーダーの指導力不足が多くの犠牲者を生んだ失敗学の教材として、管理職の研修にも使われています。炬燵にでも入りながら暖かくして読んでください。 

 

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坂本龍一が1994年に発表したアルバムのタイトルが「SWEET REVENGE」で、これは当時関わっていたベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「リトル・ブッダ」で没にされた映画音楽を発表したものだったと記憶する。(これを書いているときにベルトルッチの訃報が…)それにならって私も某情報誌で本の紹介コラムを書いた際に編集者に改変されて最後まで納得のいかないまま掲載されたので、ここに改変前の文章をしれっとあげて私のスイート・リベンジとしたい。改稿のなかで削るところと残すところのポイントが編集者と私で真逆の認識だったこと。表現としての文章と情報のための文章があり、情報誌ゆえ後者の方に重きを置きたいのはわかるが、表現された文章こそが人を本屋に向かわせて購買へと導くものではなかろうかという思いがなかなか共有できなかった。1ページのなかに4者が並ぶという構成を考えても、フラットな文章になってしまうのは面白くなかったし、新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』の凄味は読んでいるこちらも遭難してしまったかのような恐怖を味わえるところにあるから、そこをなんとかして伝えたかったのだが、半端に削られると迫力を欠いたどころか間抜けな文章となってしまった。私は20代の前半に映画学校にかよっていて、そこでは日常的に「芸を見せろ」と言われそれを叩きこまれていた。どんな形であれ表現をする場合は芸を見せないと生き残れない。単純に芸とは埋もれないために〈目立つ〉ことをすると言ってもいいし〈爪痕を残す〉ことと言ってもいい。別に大声を出す必要はない。その人固有の文体、スタイルが表現できていればいい。編集者の改変した文章はさらっとして引っ掛かりがない。きれいと言えばきれいかもしれないが、記憶に残る強さがない。嗚呼、せめて「矛盾脱衣」という言葉は残したかった。この小説を一言で表すとそれは「矛盾脱衣」なのだ。使い慣れないという理由で消されたが、使い慣れないからこそ残したかったのだ。まあ単純にメールだけのやりとりでは限界があるわな。そして仕上がったページを見ると他の書き手とのトーンを合わせられたというのも後で感じたことだった。そんなことよりベルトルッチだ。20歳くらいの時に見た「ラストタンゴ・イン・パリ」の撮影監督ヴィットリオ・ストラーロキャメラワークに打ちのめされたのを思い出した。撮影監督という職業を知ったのはそれからだった。キャメラによって官能性が表現が出来るなど考えもしなかった頃だ。

 

 

 
 
 

 

無題

  1.  

     

     

    ぼくは歴史学を神聖なものにしたいと思っている。かつて有島武郎が「小説」についてそう願ったように。それにしても、毎年、大真面目に神に祈りを捧げてきた天皇と皇太子の孤独はいかなるものだったのだろうか。この科学技術の時代に? ぼくはそこに人文学の力を感じないではいられない。

    歴史学者 田中希生Twitter

     

 

 

黒田喜夫の日本語と日本

一人の詩人のトークライブのために天神に行く。

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けやき通りはなにより堆肥にもならない落ち葉が季節の感情をつくっていた。

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赤坂のホワイトスペース・ワンにて田中千智さんの個展と黒田喜夫トークライブ。絵画も詩の朗読もすばらしい夜だった。

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黒田喜夫「空想のゲリラ」出版:共和国

 

もう何日も

おれはひとりで道を歩きつづけた

背中にななめに一丁の銃をせおって

道は曲りくねって

見知らぬ村から村へつづいていた

だがその向うになじみ深いひとつの村があるのだ

そこにおれはかえる

かえらねばならぬ

目を閉じると一しゅんのうちに想いだす

森のかたち

畑を通る抜道

屋根飾り

漬物の漬けかた

意地悪い親族一統

けずり合う田地

ちっぽけな格式

そして百年も変らぬ白壁の旦那の屋敷

柄のとれたじじいの鍬よ

他人の土よ

野たれ死したおやじを

追いたてられたおふくろよ

そこにおれはかえってゆく

見おぼえのある抜道を通り

不意に銃をかまえて曲り角からおどり出る

さあ百年の恨みをはらすぞ

仇うちだ

その村は向うにある

はるかに向うに

道は見知らぬ村から村へつづいている

だが夢のなかでのように歩いても歩いてもなじみのない景色ばかり

誰ひとり通らない

犬の仔いっぴき行き会わない

おれは一軒の家に近づいて道を訊こうとした

すると家は窓も戸口もない壁だけでできた啞の家だ

別の家にかけつけた

やはり窓もない戸口もない

みると声をたてる何ものもなく

道は変な色にひかる村に消えようとする

ここは何処なのだ

この道は何処へ行くのだ

おしえてくれ

答えろ

おれは背中から銃をおろし

構えてつめよった

だが銃はばかに軽い

と ああしまった

おれは手に三尺ばかりの棒きれをつかんでいるにすぎない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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いい夫婦の日

無題

 

二年間、漱石の『こころ』をめぐって文章を書いている。ゆったりとした流れの中で読むことで、おそらく作者も気が付かなかった「物語」の深層をかいま見ることがある。意識で書かれた小説に独創はあるだろうが、本当の意味での「物語」は宿らない。そこにはどうしても無意識の強烈な参与を必要とする。

若松英輔twitter