対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催案内】第八十七 別府鉄輪朝読書ノ会 8.27『ヒロシマ・ノート』

たとえば、被爆して、ひととおりの悲惨な目にあった家族が、健康を恢復し、人間として再生できたという物語はないものだろうか。 『ヒロシマ・ノート』大江健三郎 ◆「別府鉄輪朝読書ノ会 8.27 」 八月は毎年戦争文学を読んでいます。今年は三月に八十八歳で…

【開催報告】第八十六回 別府鉄輪朝読書ノ会

自分のいない日本語のほうが、やはり美しい。 『鴨川ランナー』グレゴリー・ケズナジャット 七月の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。 今回は『鴨川ランナー』グレゴリー・ケズナジャットをとりあげ、 参加者のみなさんと読んでいきました。 はじめに自己紹…

もし最も贅沢なことといえば、私は私の青春であなたを待っています。

在来工法の輝きは最初だけ 災害が起きると、みな声が弾む 宮崎駿 ポスターをフリースクールの壁に貼った。つねに問うてほしい言葉 もう十年以上も前のことになるが、安曇野で自然農を実践されている方の集まりに 参加したことがあった。 曇天で雨が降り出し…

【開催報告】哲学カフェ大分 7.15

++ 7月の哲学カフェ大分を開催しました。 シネマ5でのトークショーの影響もあり、多くの初参加の方が来てくれました。 ご参加ありがとうございました。 今回のテーマは「助けてと言える社会はどうしたら実現するの?」でした。 始めにみなさんから、このテー…

この部屋ではかなしい気持ちになれない

二重の国で歌声が はじめてやさしく 永遠となる ——『オルフェウスへのソネット』リルケ 2023.7.14 いただいた葡萄とじゃがいもに見惚れて写真を撮る。 物質についてわたしはなにも知っていない。 いもの球体の向こう側、まわりこむ奥行きはどうなっているの…

京都の微熱

小倉紀蔵の『京都思想逍遥』と鷲田清一の『京都の平熱』を少しづつ読む。 それぞれのパッサージュが交錯する。鷲田氏が平熱なら小倉氏は微熱だ。 今年も暑かった。だが、祇園祭の宵山には、毎年かならず、でかける。なぜか?こんなに暑い夜に、なぜわざわざ…

【開催案内】哲学カフェ大分 7.15

◆「哲学カフェ大分 7.15」 ※対面のみ7月のテーマは「助けてと言える社会はどうしたら実現するの?」です。わたしは人に助けを求められる人の方に真の自立を感じたりするのですが、みなさんどうですか? ○テーマ:助けてと言える社会はどうしたら実現するの?…

【開催案内】第八十六回 別府鉄輪朝読書ノ会 7.23

紙面の上で珍しい宝石のように輝いていた綿密な文字に気がつくと、きみは思わず手の動きを止めて目を凝らす。意味どころか、発音すら想像がつかない。じっと眺めて理解しようとするものの掴みどころはない。拒まれたというわけではなく、文字はただそこに立…

【開催報告】第八十五回 別府鉄輪朝読書ノ会 6.25

まどかは当事者性なんて一つも持っていなかった。 『N/A』年森瑛 六月の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。 今回は参加者のみなさんと『N/A』年森瑛を読みました。 ・3回読んでも残るモヤモヤ ・面白かった、笑えた ・主人公のことだけがわからない ・「…

【開催報告】「東京ヒゴロ」人生×対話 6.24

自己は物語の形をして存在している。 『ナラティヴと共同性』野口裕二 うかりゆハウスのこの空間は,優しさがかさなっていて居心地がいいとの声をいただいた 松本大洋の最高傑作との声もある「東京ヒゴロ」を題材にした 松本大洋「東京ヒゴロ」を下敷きにしつ…

経過する

コンコードの町へと続く線路端の斜面に、朝、霜が溶け出して現れる葉のような模様を擬した形態であると想像することは不当なのだろうか?さらにいえば、荘厳な黄昏時に赤い空の縁を流れてゆく雲の変幻自在な姿を彼の「日記」の文字がそのままに移しているの…

大分シネマ5トークショー「ぼくたちの哲学教室」

大分シネマ5での映画「ぼくたちの哲学教室」の公開に合わせて、 館長の田井さんとトークショーをしました。 最近夜の部はめっきりお客さんが少なくなったらしく、10人は集まればいいかなと 田井さんとも話していたのですが、当日は50人以上集まってくれて、…

墓碑銘

わたしは混乱を墓碑銘とするだろう キング・クリムゾン 2023.6.10 ジュンク堂大分店が来月で閉店のニュースを合同新聞で知る。 以前のフォーラスから今の地に縮小移転して、なんとか踏ん張ってきたが、 限界が来たのかもしれない。 リアルがなくなるというこ…

【告知】大分シネマ5にてトークイベントのお知らせ

こんばんは、志水です。以前のメールでもお伝えしましたが、北アイルランドの分断の街ベルファストの学校で「こども哲学」を展開するケヴィン校長を追ったドキュメンタリー映画「ぼくたちの哲学教室」が大分シネマ5で6/17から上映されます。 https://youngpl…

【開催案内】別府鉄輪朝読書ノ会 6.25

かけがえのない他人、は、まどかにとって特別な意味を持つ言葉だ。 ホットケーキを食べたりおてがみを送ったりするような普遍的なことをしていても世界がきらめいて見えるような、他の人では代替不可能な関係のことを、かけがえのない他人同士と名付けていた…

【開催報告】哲学カフェ大分 6.3

6月の哲学カフェ大分を開催しました。 今回は「推しとか推すって何だろう?」をテーマにみなさんと哲学対話していきました。 哲学対話の問う、考える、話す、聴くの要素の「問う」ことに力点を置いて、 今回の構成を考えました。 問いに始まり、問いに終わる…

ホワイトノイズ

復古を待望した一部の先覚者、先進的な地域を除き、号令と共に一斉に訪れるべき朝はいまだ来たらず、たとえば木曽路がそうであるように、草莽の夜はまだ続いていたということ、そしてこの時空の差異が物語るように、広く時代のもたらす一貫はあれ、維新の理…

【開催報告】第八十四回 別府鉄輪朝読書ノ会

なるべくちゃんとしていない、体に悪いものだけが、おれを温められる。 食べる者の顔などが分からない人たちが作った、正確な食べ物。 『おいしいごはんが食べられますように』高瀬隼子 五月の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。 今回とりあげた作品は高瀬…

公民館での「哲学対話de交流」講座が新聞に掲載されました

日曜日に別府北部地区公民館で開催した「哲学対話de交流」講座が、 大分合同新聞の記事になっています。 わかりやすくまとめられて、開催風景のアングルも素敵です。 取材していただいた佐藤記者に感謝です。

肥前ノ旅9 泉山磁石場

肥前ノ旅 オワリ

肥前ノ旅8「有田、陶山神社」

雨の有田の町を歩いた。 陶祖 李参平氏が敬意を持って祀られていた。 町に必要なもの、敬意。 それがないと道に迷う。 そこではじめて雨に陶器がうつくしさを放つ。 肥前ノ旅9 旅の最後に泉山磁石場へ

公民館をやる。

長野では公民館での活動が活発らしく、 「公民館をやる」という言葉が使われているらしい。 確かに公民館は図書館と違って本のような媒介があるわけでもなく、 動詞によってでしか捉えられない施設だと思う。 でもその動詞とそのつながりが一番欠けているの…

肥前ノ旅7「秘窯の里 大川内山地区」

棟方志功も気に入った風景 伊万里市民図書館の後は秘窯の里、大川内山へ。 なぜ秘窯かと言うと、鍋島藩が陶工の技術が漏れないように隔離したからである。 大陸の山水画を思わせる切り立った屏風岩の山を見て陶工たちは故郷を思い浮かべた のだろうか。冷た…

日曜日の市民講座のレジュメです。

日曜日の公民館での講座は、ざっとこんな感じで進めます! ワクワク楽しみながらできるといいなと思いつつ、、 どんな方が参加するのか分からないので、想定した準備がむずかしい。。 当日のレジュメ

肥前ノ旅6「伊万里市民図書館」

世界から身を退くことは個人には害になるとは限りません.…しかし一人撤退するごとに、世界にとっては、ほとんどこれだと証明できるほどの損失が生じます。失われるものとは、この個人とその同輩者たちとの間に形成されえたはずの、特定の、通常は代替不可能…

肥前の旅5「洋々閣の朝、虹の松原」

「現れの空間」は、他者を有用かどうかで判断する空間ではない. 「現れの空間」は、他者を一つの「始まり」とみなす空間、他の一切の条件にかかわりなく、他者を自由な存在者として処遇する空間である. 『公共性』齋藤純一 洋々閣での目覚め。朝食。 かわし…

肥前の旅4「唐津 洋々閣へ」

アーレントは、公共的空間を「人びとが自らが誰(who)であるかをリアルでしかも交換不可能な仕方で示すことのできる唯一の場所」として定義する. 『公共性』齋藤純一 あこがれの唐津 洋々閣へ宿泊した。 雨が降っても、夜になっても、その佇まい、細部まで…

肥前の旅3「武雄の大楠」

公共性は、何らかのアイデンティティが制覇する空間ではなく、差異を条件とする言説の空間である。 『公共性』齋藤純一 武雄市図書館の近くにある武雄神社を参拝して、 その奥に武雄の大楠が立っていた。 大楠に行き着くまでの道が新緑の木漏れ日に溢れすば…

肥前の旅2「武雄市こども図書館」

公共的空間とは、自らの「行為」と「意見」に対して応答が返される空間である. 『公共性』齋藤純一 隣接する武雄市こども図書館へ。 人口5万人の小都市にこどものためだけの公共図書館があるというのはすばらしい。 地域のお父さんお母さんに利用されていた…

肥前の旅1「武雄市図書館」

ところが、私たちが”privacy”という言葉を用いるとき、それはなによりもまず剥奪deprivationを意味するとはもはや考えない。 第二章 公的領域と私的領域『人間の条件』ハンナ・アレント 「私的」であると言うことは、他者の存在が失われていることを意味する…