明治35年、日露戦争前夜。
坂本龍一が1994年に発表したアルバムのタイトルが「SWEET REVENGE」で、これは当時関わっていたベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「リトル・ブッダ」で没にされた映画音楽を発表したものだったと記憶する。(これを書いているときにベルトルッチの訃報が…)それにならって私も某情報誌で本の紹介コラムを書いた際に編集者に改変されて最後まで納得のいかないまま掲載されたので、ここに改変前の文章をしれっとあげて私のスイート・リベンジとしたい。改稿のなかで削るところと残すところのポイントが編集者と私で真逆の認識だったこと。表現としての文章と情報のための文章があり、情報誌ゆえ後者の方に重きを置きたいのはわかるが、表現された文章こそが人を本屋に向かわせて購買へと導くものではなかろうかという思いがなかなか共有できなかった。1ページのなかに4者が並ぶという構成を考えても、フラットな文章になってしまうのは面白くなかったし、新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』の凄味は読んでいるこちらも遭難してしまったかのような恐怖を味わえるところにあるから、そこをなんとかして伝えたかったのだが、半端に削られると迫力を欠いたどころか間抜けな文章となってしまった。私は20代の前半に映画学校にかよっていて、そこでは日常的に「芸を見せろ」と言われそれを叩きこまれていた。どんな形であれ表現をする場合は芸を見せないと生き残れない。単純に芸とは埋もれないために〈目立つ〉ことをすると言ってもいいし〈爪痕を残す〉ことと言ってもいい。別に大声を出す必要はない。その人固有の文体、スタイルが表現できていればいい。編集者の改変した文章はさらっとして引っ掛かりがない。きれいと言えばきれいかもしれないが、記憶に残る強さがない。嗚呼、せめて「矛盾脱衣」という言葉は残したかった。この小説を一言で表すとそれは「矛盾脱衣」なのだ。使い慣れないという理由で消されたが、使い慣れないからこそ残したかったのだ。まあ単純にメールだけのやりとりでは限界があるわな。そして仕上がったページを見ると他の書き手とのトーンを合わせられたというのも後で感じたことだった。そんなことよりベルトルッチだ。20歳くらいの時に見た「ラストタンゴ・イン・パリ」の撮影監督ヴィットリオ・ストラーロのキャメラワークに打ちのめされたのを思い出した。撮影監督という職業を知ったのはそれからだった。キャメラによって官能性が表現が出来るなど考えもしなかった頃だ。