こんにちは。別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。今回はこの時代の節目に平成元年に大ベストセラーとなった吉本ばななの『TUGUMI』をみなさんと読んで、この過ぎ去った三十年の時間に思いを馳せました。
むすびの店長さんからは、TUGUMI→クロウタドリ→BlackBirdがスウェーデンの国鳥ということで、北欧のベリーの甘いスープをいただきました。あたたかくて、ほっこりしました。
フードメニューはTUGUMIということで鳥肉料理でした!たいへん美味しかったです。
『TUGUMI』という作品について、そこには三十年前に信じられていて今では失なってしまったものがしかと書かれ、キラキラと眩しく、涙したという声も聞かれました。それは作家の若さでもあるし、バブルの時代の輝きでもあるし、それらが登場人物とその世界観に見事に凝集され反映されている。そして作者がこれを書きたいと思った、留めておきたかった風景(匂いや光、湿度)を留め置くことに成功しているように思えた。いろんな〈別れ〉を契機としながら。
夜の道のそこかしこに、夏の影がひそんでいた。活気と夜気がどこか甘く、わくわくするような勢いで夜を彩っているのが、風の匂いひとつにもあふれるようだった。
この読書会は基本小説、散文を扱う会なのですが、どこかで詩を挿みたいと思っていてもなかなかタイミングがなく、ついにこのときに父吉本隆明の「佃渡しで」を紹介することができてよかったです。父もまた郷愁(失ったもの)への強い感受性を作品に焼き付けていました。
これからさきは娘に云えぬ
昔の街はちいさくみえる
掌のひらの感情と頭脳と生命の線のあいだの窪みにはいつて
しまうように
すべての距離がちいさくみえる
すべての思想とおなじように
あの昔遠かった距離がちぢまつてみえる
わたしが生きてきた道を
娘の手をとり いま氷雨にぬれながら
いつさんに通りすぎる
「佃渡しで」吉本隆明
日が暮れる鉄輪の情景。そう風景には何がしかの情感が加わる。鉄輪という町だけではないはずだが、得たものやこれからの未来というよりかは、失ってしまったものが見えているいまの風景を下支えしている。それはかなしみとも言う。作品の舞台となった漁村も佃島も別府も同じだろう。〈書く〉ということは、それらとのある痛みを伴った〈別れ〉の儀式かもしれないと思いました。
いつも思っていることではありますが、今回はいつも以上に開催してよかったなと思える回でした。ご参加いただいた皆様ありがとうございました。
三月はいとうせいこう『想像ラジオ』(河出文庫)を読んでいきたいと思います。