対話と人と読書

〈対話と人と読書〉主宰。大分市で哲学カフェを別府市で課題図書型の読書会を開催しています。BunDoku哲学カフェ/別府鉄輪朝読書ノ会/てつがくカフェ

無題

 

 

「なぜ新しいタイプの革命が可能になりつつあることを思考しようとしないのか」

しかし、アートが批判の技術であり、かつ、「We」を構成する態度であるという組み合わせは、次のような含意を必然的に伴う。すなわち、アートをやるということは、自分たちがマジョリティの側に、生きている者たちの側に、人間の側に、民主主義の内部にいるということであり、にもかかわらず、「私たち」の身体を編成し、これを維持しようということだ。社会の変革を真に希求するものはマイノリティの側に、死者の側に、動物の側に、民主主義の外部にいるにもかかわらず、である。「私たちの身体」とは、つまりマジョリティとマイノリティが、生者と死者が、人間と動物が、民主主義を享受する側と民主主義の生贄として排除されている側を、その差異を踏み越えて「We」と名指してしまうということである。その状況は考えるまでもなく熾烈である。つまるところ、アートをやるということは、それ自体がラディカルにひとつの暴力なのである★6だからこそ、アートは誰かを傷つけることを全力で回避しなければならない)。長谷川新「世界変革のときーキュレーションについて」