対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催報告】第60回 BunDoku哲学カフェ

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60回目のBunDoku哲学カフェを開催しました。

今回できりよくBunDoku哲学カフェは終了し、哲学カフェ大分に移行します。

いままで、ありがとうございました。

 

 

さて今回のテーマは「差別はなぜなくならないの?」でした。

人間としての生存本能としての差別、異質性の排除、マウントをとりたい、

集団の安定のため差別を必要としてきた歴史、スケープゴート等を踏まえて

また自分のなかにある差別心を認めながら、

それとどういうふうに向き合っていくのか語られました。

 

 

差別する側の視点から語られることが多かったので、

差別される側の視点に切り替えてみると、

差別される本人が戦うのか、周りがそれは差別だからやめろと指弾するのか、

またある方は「仲間を探すこと。私が見ているストーリーを語ること」を

解決策として挙げられました。

 

 

対話中にポリティカル・コレクトネス(略してポリコレ)はいまいちという意見もありましたので、wikiを貼っておきます。たとえば看護婦を看護士と言い換えたりして、中立的、公平的な表現を使用していくものです。
 
 
特にメディアが自主規制を通してポリコレを実践、普及してきたと思いますが、対話中の指摘にあったように隠されることでかえって歪んだ認識が生じる面があるのも事実で、ポリコレ以前の世界は私にとって昭和的豊穣の記憶が強く、野蛮で人間まるだしのエネルギーを感じるのですが、される側の視点に立つと言葉狩りのようになんでも排除してまうことになりがちで。どういう差別があったのかあるのかというのを知ることと隠してなかったことにするのは別物で。このあたりことももっと話してみたかったですが、またの機会に。

 

また差別される側のカミングアウトは必要なのかという問いも、

別の機会に考えたいと思います。

 

 

ご参加ありがとうございました。

次回は10月は「恋愛感情」について考えてみたいと思います。

お申し込みはホームページか配信するメールの返信からお願いします。

組織は変わっても、社会のなかにいろいろな対話の場を設けていきますので、

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

dialogue-oita.jimdofree.com