対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催案内】悩める教師のためのオンライン対話 6.12

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六月の「悩める教師のためのオンライン対話」の案内です。

興味のある方はホームページよりお申し込みください。

 

***

「悩める教師のための〜」とありますが、教師ではないけれど、緒に考えたい方の参加もOKです。広く学校や教育について考えましょう。(僕自身も教師ではありません。)

ファシリテーターのコメント
「哲学を学校教育にとりいれるべきか?」をテーマにして話したいと思いますが、「哲学」のところを、参加者の方がそれぞれ思う〇〇を、たとえば「お金の勉強」とか「農」でもいいし、持ち寄ってもらって、それについて話し合うみたいな場にしたいと思います。


○テーマ:「哲学を学校教育にとりいれるべきか?」
○日 時:6月12日(土)20:00-21:45
○方 法:Zoomを使用します。

○参加条件:みなさんの考える「〇〇を学校教育にとりいれたい」を聞かせて下さい。
ファシリテーター:シミズ
○参加費:300円*paypayかamazonギフト券でお支払いください。
○定 員:約15名程度(要事前申し込み、先着順)
○備 考:開催日前日までにお申込みください。
○前回の開催報告です。
 

kannawadokusho.hatenablog.jp

 

お申し込みはホームページからお願いします。

dialogue-oita.jimdofree.com

 

【開催案内】第六十一回 別府鉄輪朝読書ノ会 6.27

 

 

 

青黒い闇のため、裏山は普段より深く感じられた。明け方から山の水を汲みに登る勤勉な年寄りもまだ寝ている時間だった。頭を垂れたまま、彼女は歩き続けた。汗なのか涙なのかわからないものでごっちゃになった顔を手の甲で黙々と拭いた。自分をのみ込む穴のような苦痛を、激しい恐怖を、それと同時に漂っている不思議な平和を彼女は感じた。

 

菜食主義者』「木の花火」ハン・ガン(クオン) 

 

 

 

 

 

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菜食主義者』ハン・ガン(クオン)

 

 

◆「別府鉄輪朝読書ノ会 6.27」


六月は初めての韓国文学『菜食主義者』ハン・ガンをとりあげます。同収録の『蒙古斑』と『木の花火』も読んでいきます。

内容(amazonより)
「新しい韓国文学シリーズ」第1作としてお届けするのは、韓国で最も権威ある文学賞といわれている李箱(イ・サン)文学賞を受賞した女性作家、ハン・ガンの『菜食主義者』。韓国国内では、「これまでハン・ガンが一貫して描いてきた欲望、死、存在論などの問題が、この作品に凝縮され、見事に開花した」と高い評価を得た、ハン・ガンの代表作です。

***
ごく平凡な女だったはずの妻・ヨンヘが、ある日突然、肉食を拒否し、日に日にやせ細っていく姿を見つめる夫(「菜食主義者」)、妻の妹・ヨンヘを芸術的・性的対象として狂おしいほど求め、あるイメージの虜となってゆく姉の夫(「蒙古斑」)、変わり果てた妹、家を去った夫、幼い息子……脆くも崩れ始めた日常の中で、もがきながら進もうとする姉・インへ(「木の花火」)―3人の目を通して語られる連作小説集

ハン・ガン(韓江)
1970年韓国・光州生まれ。 延世大学国文学科を卒業。 1993年季刊「文学と社会」に詩が、翌年ソウル新聞の新春文芸に短編小説「赤い碇」が当選し文壇にデビューした。


○課題図書:『菜食主義者』ハン・ガン(クオン)
○日 時:6月27日(日)10:00-12:00
○場 所:別府市鉄輪ここちカフェむすびの
ファシリテーター:しみず
○参加費:¥1,200円(運営費、むすびのさん特製の軽食、ドリンク代含む)
○定 員:10名程度(要事前申し込み、先着順)
○備 考:課題本を事前に読んで参加してください。

 

お申し込みは以下ホームページよりお願いいたします。

kannawanoasa.jimdofree.com

 

 

幻ブルーマンデー

 

 

 

 

松永久美子をはじめとして、手足や身体のいちじるしい変形に反比例して、なにゆえこの子たちの表情が、全人間的な訴えを持ち、その表情のまま、人のこころの中に極限のやわらかさで、移り入ってきてしまうのだろうか。

 

苦海浄土』第二部 神々の村 第一章 葦舟

 

 

 

 

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1週間のふりかえり

 

 

月曜日

幻肢じゃないけど、フリーになっても月曜日というのはなんとなく嫌なものだ。

 

昨日は暑くて今日は肌寒いこの急激な温度差のせいか、めちゃくちゃ調子悪い。

 

 

 

たとえば季節の推移とかそれに応じて表情を異にする外界の事象であるとか、とにかく存在が無意識にその変化を符牒として読みとり、そのつど乱された調和を回復してゆくことになる刺激の総体は、われわれの生の条件と死の条件とを同時に開示するものとして、あたりを埋めつくしている。それをいま環境とも、風土とも、世界とも、ことによったら歴史と呼んでしまってもいいと思うが、そうしたものの秩序が急激に崩れるときに精神と肉体が蒙る不快感は、生の条件を構成するものの無数の系列を一瞬顕在化させながら、ウイとノンの選択を許さない苛酷な限界点のありかを、不可視の領域にほのめかすことになる。

『批評あるいは仮死の祭典』蓮實重彦 

 

 

 

 

火曜日

以前から参加したいと思っている課題型の読書会があるのだけど、

選ぶ本選ぶ本どれもが高額で、参加費も合わせるとかなりの出費になる。

むろん文学の体験はそのお金を上まわるものだとは思うけれど、

自分が主催している課題型の読書会で選ぶ本は、

できるだけ参加者の負担にならいよう文庫化されていたり、

購入しやすいもの選んでいるつもりで、

そこの主眼の置き方は読書会をどう捉えているか、

参加者をどう考えるかなどにむろん直結している。

 

晴れ間をぬって走った。いい汗をかいた。

 

 

水曜日

ついに石牟礼道子苦海浄土』全三部を読了する。

1ヶ月以上かかって読み終えた。

しばし放心状態。とんでもねえものを読んでしまった。

小説は長ければ長いほどいいと思う。

次はプルーストだ。

 

 

家の柱が古くてかさかさしているので、椿油を布に染みこませて塗布した。

いい香りが柱を通りかかるたびに嗅がれる。

 

 

 

今の世の中、この論理と倫理が完全に分裂しています。論理的な奴ほど倫理的じゃないでしょ(笑)知の力が何一つ温かいものに結びついてない。これは知識がすべて表象をベースにして成り立っているからです。表象は自我です。だから、こういう世界になるのは当たり前なんですよ。

 

半田広宣さんtwitterより

 

 

 

木曜日

 

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散歩していると、ある時間にだけガラスに反射された十字架のような紋様が

現れる場所がある。単なる桟だけど。

 

 

カクレキリシタンの名称であるが、長崎県下各地において彼ら自身はみずからカクレキリシタンとは称してこなかった。生月では「古ギリシタン」「旧キリシタン」、平戸では「辻の神様」、外海では「昔キリシタン」「古ギリシタン」「しのび宗」、五島では「元帳」「古帳」というように地域において異なっていた。実際には仲間内ではこのような名称を口にすることはほとんどない。以心伝心である。

カクレキリシタン』宮崎賢太郎(長崎新聞社

 

 

 

 

晴れるといつまでも日が長いのがわかる。

この暗くなるまでの間延びした感じがすばらしい。

チルアウトと言うのかな、窓辺から見える鉄輪の湯煙に、

向こうに見える別府湾の景色をいつまでも見ていられる。

 

 

はらぺこあおむし」のエリック・カールさん亡くなるの報。

 

 

 

 

金曜日

友人と約束して、OPAMの佐藤雅晴展を見に行く。

社会批評のような路線をアートの題材とするならば、

当然その批評眼の鋭さが作品の質に直結し、

そこをベースとした抽象力が作品の飛躍に創造につながるだろう。

しかしその肝心な批評眼や抽象力が弱ければ、

安易でありがちなイメージの周辺を出ることができずに、

無邪気な異化作用にとどまり、

現実に裂け目も再構築も生まないものになってしまうのではなかろうか。

 

特別展も見た。

福田平八郎はいいなあとお互い話す。

別れた後、育てている梔子の写真をメールで送っていただいた。

今は夜半に香るらしいが、梔子の香りってどんなんだろうと想像してみる。

 

 

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けれど、どこへ行くにせよ、あなたがあなたの花を咲かせられるようなところへ行かなくてはだめだ。それだけはいっておく。どこであろうと、あなたが持って生まれた才能を伸ばし、それがその場所に生きる大勢の人たちの役に立って、大きな花を咲かせることが一番大事なのだから。そういうところへ行きなさい。ぜったいにそういう場所へ行きなさい。

 

『眼と太陽』磯崎憲一郎

 

 

 

 

 

土曜日

朝からびっくりするくらいの晴天に恵まれる。

すべてがきらきらしていた。

 

午後からは東大の表象文化系のオンライン講義を5時間近く聴講。

みんなの声がいい。

吃音の身体性を生々しく体感。

「はぐれている手」「過剰な手」「オンラインの顔面中心主義について」

民主主義の基盤とは「戦争に行きたくない」と言えること。などなど

久しぶりに大學の講義を聴いて、学生時代の豊穣な時間を思い出した。

 

次の哲学カフェのテーマを「声」に決めた。

シネマカフェの映画を「万引き家族」に決めた。

 

夕方走った。

走りながら聴いている音楽をいつまでも聴きたくて、いつまでも走っていた。

 

 

 

日曜日

今日は別府鉄輪朝読書ノ会の日だった。

今回は石牟礼道子の『苦海浄土』をとりあげた。 

参加者にとって長年避けてきた作品だったようだが、

これを機に読んで生涯の一冊となって感謝しますと言われた。

大きなバトンを受け取り、受け渡し、受け取り、受け渡す。

 

午後からは別のオンラインの哲学カフェに参加。

丁寧な進行は参考になる点が多い。

いろいろと他の哲学カフェに参加して思うのは、

自分が主催している哲学カフェはなんというのか、文学的というのか、

格好良く言えばある叙情がそこにあるように思えた。

 

 

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【開催報告】別府鉄輪朝読書ノ会 5.30『苦海浄土』石牟礼道子

 

 

 

 

 

この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ。

 

苦海浄土石牟礼道子講談社文庫)

 

 

 

 

 

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五月の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。

今回は勇気を出して、とてつもなく大きな、いろんな意味で大きな作品、

石牟礼道子の『苦海浄土』を選びました。

 

 

参加者の方から、今まで知っていたけど避けていた作品、これを機に読めて感謝、紹介してくれたことに感謝、生涯でベスト1の作品になったとの声が聞かれ、主催者として救われる思いがしました。

 

水俣病は過去のものではなくて、現在でも様々に形を変えて、

日本の深奥に巣くっています。

 

九月にはジョニー・デップ製作、主演の「MINAMATA」が公開予定です。

世界もこの問題に注目すれば、川本輝夫さんが提唱した「水俣世界遺産に」も

遠くないかもしれません。

 

映画「ミナマタ」
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000216285.html

 
 
石牟礼さん死去の報道
 
論文です。「世界文学としての苦海浄土
 
5ページ目を参照ください。
 
 
オススメです。『チッソは私であった』緒方正人(河出文庫
 
 
おろよか
 
森永ヒ素ミルク事件
 
戚夫人
 
野口遵
 

 

ご参加ありがとうございました。

次回は、初の韓国文学、ハン・ガンの『菜食主義者』を読んでいきます。

 

 

 

【開催報告】オン哲!5.22「癒しってなんだろう?」

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オンラインのようす

 

 

久しぶりにオン哲!(オンライン哲学カフェ)を開催しました。

テーマは「癒しってなんだろう?」でした。

 

人と共にいる癒しもあれば、一人でいる癒しもある。

つながる癒しと断ち切る癒し。

求める癒しと訪れる癒し。

「主婦」とか「母親」であるとか社会的な記号から外れて、

何者でもない自分になれているときの癒し。

癒しとリラクゼーションは違うという問いかけから、

少しずつ深まっていき、物理や仏教の話から知見を得たり、

近代的な概念からの考察など、「傷」を負っていることが前提になっているとの

問いかけもありました。

 

参加者の方が別のサイトで感想をあげられていたので、

ご本人に許可をいただき、ここに転載します。


ご参加ありがとうございました。 

 

*** 

昨日、「癒し」をテーマにした
哲学カフェに参加して
考えたことをまとめました😌

その場では
思考が止まってしまったので
一人になってゆっくり
考えをまとめました。

今の自分に必要なことだったので
記録に残します💖

✨✨✨✨✨✨✨

傷があるから癒しがある
嫌な人が居るから好きな人がわかる

相反するものの存在とともに
全てが存在していて

嫌なことは
自分の好きなものや快適な環境を
知るためにある。

だけど
一足跳びにそんな風に思えない。

負の感情を否定してしまい
癒しにならない。

始めは
嫌な感情を全て自分で言語化して
書き出すことで
その感情の存在を許す。
クソ野郎❗️とか 🤣

その次の段階で
初めて自分の好きなものが何か
見つめ、知る段階になる。

そうすることで
嫌な人や嫌な出来事が
その為にあると理解できて

そこではじめて
自分と他人を
「許す」という癒しが
起きる。

いい子ぶりっ子の私は
忘れがちだけど

悪どい自分
汚い自分を
認めて許して

やっと
全てを愛で包む癒しになる。

許しという癒しは
自分の好きなものにたどり着く
道筋になっている。

私は一人でゆっくり
考えをまとめることができる環境で
表現することが好き。

思考が止まる自分を許したから
気づいた「好き」。

など話しました。

「癒しは許しの先にある
闇をも包み込む包容力。」


バカ波。

 

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1週間のふりかえり

 

 

 

世の中の裏側にあるような貧しげな宿屋を見ると、私はむやみに泊まりたくなる。そして侘しい部屋でセンベイ布団に細々とくるまっていると、自分がいかにも零落して、世の中から身捨てられたような心持ちになり、なんともいえぬ安らぎを覚える。

 

『貧困旅行記つげ義春

 

 

 

 

 

 

月曜日

いかにも梅雨みたいな雨が朝から降りしきる。

昨晩は唐突に熱帯夜がきて、でもエアコンつけるのも悔しく悶々として眠った。

寝不足ぎみ。

 

夕方は少し晴れたので、走った。上り坂が苦でなくなったのは筋力と肺活量が増えたからだろう。そうやって「成長」が分かるとやる気も出る。小さな達成を刻む。

 

 

火曜日

髪を切る。

自分が詳しくない、人が熱中している趣味の話を聞くのが好きで、カットしてくれるFさんの釣りの話を聞く。以前沖縄に行ったときにタクシーの運ちゃんが海辺を走りながら、どんなに静かな波の日でも1日1回だけ、とんでもない大きな波が来て釣り人をさらっていくんだというのは本当ですかとFさんに聞くと、「そうなんすよ、バカ波と言って、とんでもないのが突然来るんですよ。1回死にかけましたよ〜」

バカ波という言葉を覚えた。

 

 

芦屋に六麓荘町(ろくろくそうちょう)という超高級住宅街があるらしく、それを延々と写し出している動画を見る。坂の上に上がるほど住宅規模がどんどん大きくなり高級な造りになっていくのがわかる。しまいには電柱電線が消える。町内会費が月50万円だという。コメント欄に「なんやこの町をみていると、“頑張ろう”って気持ちと、“死にたい”って気持ちが共存するわ。」とか「不便じゃないのかという意見があるが、このレベルになると便利が寄ってくる」とか「鳥のさえずりまで上品」とか書かれていて笑った。

 

 

水曜日

新しく拠点となる旧宅に残る粗大ゴミを一挙に出す。だいぶスッキリした。

床がだいぶ傷んでいるが、改修するといくらくらいかかるんだろう。

 

格安SIMに変えた。通信料が半額くらいに落ちる。

もっと早くやっておけばよかった。

 

 

 

木曜日

各種手当ての申請手続き。

天気が荒れ放題の気圧の急激な変化のせいか、ふらふらになる。

それしても福祉系の申請書類のわかりづらさよ。

自分はこれでも会社で総務とか補助金申請の書類の作成をやっていたので、

勘所はあるのだけど、それでもわかりづらいので、お年寄りだったり、

うつで頭がうまく働かない人とか作成するのはかなり厳しいだろう。

聞けばいろいろと教えてくれるけど。そこまでたどり着けるのだろうか。

 

 

 

 

金曜日

苦海浄土』三部の川本輝夫さんがチッソ社長に詰め寄って慟哭するところで、

おれも慟哭してしまった。

ここ1、2ヶ月、水俣の本ばかり読んで登場人物への感情移入が尋常ではない。

月末の『苦海浄土』読書会、2時間では惜しいなあ。1日かけてやりたいわ。

ん、いや、そういう企画をつくろうか。

 

晴れ間をぬって走る。30分ほど。雲間から輝かしい太陽が出てくる。

そんなとき「ブレードランナー」をラストをいつも思い出す。

 

一般社団法人の横判をデザインして、注文した。実印も作らねば。

 

ニラ玉ブタをつくる。卵を割ったとき、勢い余って手が滑り黄身がコンロと壁の間に、ずり落ちていったのをなすすべもなく見送った。

 

 

土曜日

お昼は、オンラインで対話の勉強会に参加。

梶谷ルールの①「何を言ってもよい」について考察し合う。

いろいろ他所さんの対話の場に参加すると衝撃を受けることが多い。

どれが正しい間違っているということではなく、その多様さに驚かされる。

 

世の中には2種類の哲学対話があるという。

配慮の哲学対話と哲学の哲学対話。

自分は両方とも好きだが、自分が主催している哲学カフェは前者のものだと思う。

それは自分の性質と参加者の人間関係、繋がりに負うところが大きい。

そこがどこまで「哲学」を妨げているのかは、考えたいところだが。

 

次回のテーマは「意見の否定がなぜ人格の否定につながるのか」について。

 

***

夜は、自身の主催するオンライン哲学カフェを開催。

今回は「癒し」について対話する。

対話の場自体が癒しだな、自分にとって。

他者との応答で自分自身との関係性が更新されるような感覚が癒しに繋がるから。

なにかとても幸福な時間を共有するのだった。 

 

 

日曜日

 

朝起きたときから、びっくりするような眩い晴天。

 

でも屋内で、片付け。片付け。

物があるから箪笥などの収納がいるのか、

収納があるからそのスペースを埋めようと物が増えるのか。

物の本質は後者の方だという感じがしてきた。

 

昨日のオンライン哲学カフェで、ある参加者さんからの感想に感銘を受ける。

様々な参加者がいる。話される人、話さない人。

ロジカルに話す人、言葉を宙に飛ばすことで自分の考えに辿りつく人、

終わって冷静になって考えが追い着く人。自己開示できる人。

フォローする人。呼びかける人。

共通するのは、強制とか押しつけがないこと。そして待てること。

そういう土壌が自然と?できたのは、ここに咲いた一つの花じゃないか。

 

 

 

 

哲学対話の楽しみは、慣れるにつれ

 

①安心した自己開示

②他人への共感と差異を感覚する

③他者の問いに寄り添う

 

と進んでいくように思います。

①〜③のどれも、学校の教室で行われると喜ばしいものです。

哲学対話を行わなくても、ルールを研究することは、

教員にとって価値あることと思います。

 

対話と〈わたし〉のいるところ Twitterより

 

 

筋斗雲はだれもが乗れるわけではないのに、ちぎって分け与えることができる

 

 

 

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数に溺れて、、ではなく蒲団に溺れて




 

1週間のふりかえり

 

 

 

 その杉本家の肇や、清や、勝や、この四つか三つか五つのちいさな年子たちは、けんめいに反りくりかえって走り去ったが、すれ違うとき汚れた頬っぺたがももいろをおびて、金毛の孫悟空のように笑い、清がバイバイをしたとき、そのかさかさになってまっくろな筈の掌は沈みかけた夕陽と重なりゆれて、一瞬停止し、あざやかに紅く透明な血の色の、黙示の形をのこして去った。

 海も空も村も、静かな夜に入りかけ、墓の上は一段と透明だった。

 

苦海浄土 第二部』石牟礼道子(河出書房新書)

 

 

 

 

山の奥深く、古の来満道

伝教者と共に国境の隧道を歩いた人たちよ

大主教の日記に留められた湯坂の桜よ

 

かの人のなつかしい面影は

落日に消えたあの絵姿は

いま何処か

もはや誰に尋ねるすべもない

 

銘度利加に記された名のみの人々

ちちははよ

永い眠りにあって、尚も生きよ

 

 

『銘度利加』十田撓子

 

 

 

 

 

 

 

月曜日

窓を拭く。

外側の部分は拭きづらいが、うまく拭けると気持ちが良い。

自分の家からは冨士屋さんのすばらしい庭がいつも見えるので、

窓をきれいにしておくことは重要。

 

「Yoshioの窓」というタイトルで小説を書こうとするが、出だしから行き詰まっている。

 

走る。

別府は坂が多いので上り坂を走っている間は「きちい」とかしか考えていないが、下り坂は勢いがついて、筋斗雲に乗っているみたいだ。たぶん筋斗雲の感覚。

 

豆腐にキムチ、韓国のりをのせ、ごま油、醤油をかけて食べるのがうまい。初めはキムチだけだったのに、どんどん増えて主食化している。

 

 

火曜日

修理に出していたカメラのGR2が戻ってくる。

痛い出費だけど相棒が戻ってきた安心感は得難い。

 

 

水曜日

自宅にいることが多くなったので、ストームグラスを購入して机に置く。

気候によって結晶具合が変わる。箱庭的な癒しがある。

 

メダカが飼いたくなるが、猫がいるので厳しかろうと思う。

 

教育委員のNさんと話し合う。貴重な情報をいろいろと聞く。

別府の中学校は男子がムラムラするとかいう理由で女子はうなじを見せるのは禁止だそう。。

 

九州南部梅雨入りの報。じわじわ迫ってくる梅雨前線。

 

 

木曜日

シネマ5bisで映画「ブックセラーズ」を鑑賞。メンズ・デーで1,100円だった。

海外でも本を愛する者は猫を愛する確率高し。

 

メダカ屋に寄る。ちいさい水槽で飼うのはかわいそうだと思ってやめる。

 

 

金曜日

走る。今日は快調、体が軽い。

足裏の地の反撥がきれいに中心軸を貫いて、バネがついたように軽い。

 

ぼやっとしていた蛍光灯をLEDに交換する。電気工事の国家資格を持っているので一人で替えられるのが自慢。

 

 

 

みんな何を必死に働いているんだろうか。おれには理解ができない。人を助けることが第一。それが生命よ。生命のルールを忘れたらそりゃおかしくなるに決まってる。いつだって生命のルールに照らしておけば間違わない。人間以外誰も働いてないよ。

坂口恭平 twitterより

 

 

 

土曜日

九州北部梅雨入りの報。きたか。五月の光が好きなのに。

 

オンラインでの哲学カフェの広報を流す。テーマ決めは昨日の夜までかかった。

今回は「癒し」について考えたい。

 

ゴダールの「イメージの本」をDVDで鑑賞。

アーカイヴの極地。アーカイヴの洪水。アーカイヴは〈編集〉あって完成する。 

 

 

 

ともあれ、人文学の道にしがみつくことだけを、自分の生き方にする。その勇気を手に入れるまで、30年かかった。この社会は、幼児には夢を語らせる。語らせるだけ語らせて、それなりの年頃になれば、躊躇わせ、慄かせ、諦めさせる。

ニーチェフーコーの苦悩が、折口信夫ドゥルーズの明るさが、みえるようになる。彼らは苦悩のなかでも、明るさを失わない。前のめりに、崩れるように進むことだけを解決に、彼らは先を行く。その背中は不格好だが、美しい。自分がこの世でなしたいと思うのも、それだ。

 

田中希生 twitterより

 

 

 

哲学や文学、芸術の周辺で生きている人々というのは、数は少なくとも、いつの時代にも必ずいます。一切の妥協をすることなく真剣に言葉を発するとしても、その言葉は、必ずどこかで聞かれていると考えてよいでしょう(本質的な言葉の営みは、「今はもうそんな時代ではない」に抗うところから始まる)。

 

イデアの昼と夜 twitterより

 

 

 

 

 

日本には内省から始まる知識というものが殆どなく、命令と服従禁止と許可、鋳型の中で育てられて疑ることも知らず、自分で考えるということを知らないばかりでなく、それがむしろ悪徳とせられていた。

 

坂口安吾「男女の交際について」

 

 

 

 

日曜日

新しく拠点となるお家の片付けを進める。

先住者のグランドファーザーが残した物物との格闘。

物とどう向き合うのかは、どう生きるのかと直結している。

 

つげ義春の『貧困旅行記』を別府図書館で借りて読む。すばらしい脱力。

1960年代には湯の平や杖立にもストリップがあったんだ。旅館の一室だけど。