◆「こども哲学の時間(主に中高生対象) 」
先月に引き続いて、こども哲学を開催します。
○テーマ:みんなから募集して、一つに決めます。
○日 時:5月15日(日)10:00-12:00
○対 象:主に中高生(大人も参加可)
○企画・ファシリテーター:シミズ
○参加費:300円※10代の参加者は無料です
○備 考:開催前日までにお申込みください。
○前回の様子:
☆こども哲学のコンセプト★
こども哲学は、正解のない問いをみんなで考え合う場です。
◆「こども哲学の時間(主に中高生対象) 」
先月に引き続いて、こども哲学を開催します。
○テーマ:みんなから募集して、一つに決めます。
○日 時:5月15日(日)10:00-12:00
○対 象:主に中高生(大人も参加可)
○企画・ファシリテーター:シミズ
○参加費:300円※10代の参加者は無料です
○備 考:開催前日までにお申込みください。
○前回の様子:
☆こども哲学のコンセプト★
こども哲学は、正解のない問いをみんなで考え合う場です。
今日は『歌ってレコーディング体験!』を開催しました。
みんなで歌って、語って、録音して聴いてみて、他の曲も思いつくままに歌ってみた。
ハモるって楽しい!
最初は大人だけだったけど、子どもたちも自然と入ってきた。
歌って、好きな曲について思い思いに語った。
音楽は10代から70代までの年齢差をあっという間に飛び越える
共通言語だと改めて認識する。
アプリがあればレコーディングも簡単にできる時代なのも素晴らしい。
2022.5.2-8
月曜日
日曜日の夜にあるガキ使を10年以上ぶりくらいにテレビで見ているけど、全く面白くなっていることに驚く。YouTubeなどで過去のものを見ると面白いのだが、現在制作されているものの面白くなさは何だろうか、これは充分論考に値するものではなかろうか。ただあの5人がいるだけで面白かったような場の力というのが消滅してしまっていて、それを企画(ボードゲームとか)で無理矢理面白くさせようとしているのに白けてしまう。なんだろうこの地殻変動は。放送倫理の縛りかもしれないし、笑いの運動神経の喪失とか、時代の変化とか複数の要因があるのだろうけど、笑いの力の持つ社会への余白を拡大していくような勢いがなくなり、すでに今ある余白のなかに入っていこうとするだけの遅れが無残にも展開されているのを見せられているだけ。1989年から始まったこの番組。老いの問題として、あるいは終わりなき青春の強制反復としても捉えてみたい。
火曜日
子どもの頃は「ケンポウ」と言えば「拳法」のことで、
それを記念する一日とはどういうものなのか、
さして問わずにいた。
水曜日
GWらしさ。
人には働くときとはっちゃけるときが必要だとつくづく思う。
木曜日
国東へ。1年前は国東でアートカフェをしたのが早い。
今年も国東の風を感じたく、三浦梅園先生の旧宅や中世の荘園風景がそのまま残る
田染荘などを巡った。
書かれたものと空間(土地)はどのような聯関があるのか。
その人生で3度しかこの土地を出なかった男の思想。
どこでもよかったということはないと思う。
金曜日
生徒が30分だけオカユに会いに来る。
動物がもつ無条件な愛、種が違うからこそ成り立つ心の対話、
教えるのではなく引き出されるもの。
土曜日
月に一度の対話勉強会。
テーマは「みなさんはどのような目的で哲学対話の場を運営していますか?」
問いを通して人が繋がっていく、対話的な社会の実現(の不可能性)、
哲学対話は練習の場で平場が本番、根拠と論拠の違い。
日曜日
筋トレをこつこつと。
松本人志が筋肉を鍛え始めたのは、頭打ちする生の勢いに対して
抗するためだろうか。
老いに対して、さまざまなかたちで描かれる文学はたくさんあるが、
その多くが老いに比して「若いね」「元気だね」と言われるようなものが多いけれど、
老いることによって、できること・できたことが〈縮減〉される恐怖のようなものを
描いているのはあまり知らない。
人に時間は流れているのかと思うことがある。
その精神において、こどものころ、中学のころ、20代いろんな自分が併走している。
ただ肉体が(同時に精神も)その力がかつての勢いを失っていく…
これは同時に日本の経済状況のことでもあるし、
「下りてゆく」ということをどう肯定して受け入れるのか、
老いた者たちは考えなければならない。火は目の前なのだから。
まぎれもなく偉大な、独創的な、特異な思想家であったし、そのような思想家であってはじめて生きえた逆説にちがいなかった。しかし、その逆説との格闘は、梅園の自負するところが大きかっただけに、のみならず、同時代はおろか後世にも、ひとりの後継者、いや理解者すらあらわれなかっただけに、のみならず、今日もなお、いわば神話のヴェールにつつまれているだけに、かえって痛ましい。わたしは繰り返し、こう問いかえさずにはおれない、梅園の生涯をかけた思想的格闘は、いったいなんであったか、と。とはいえ、そのような格闘がさまざまにかたちを変えて、いたるところで繰り拡げられることなしに、日本の近代がありえなかったであろうことは、たしかである。それはすでに影響の問題を超えている。
『黒い言葉の空間』黒田慶兒
「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、
自分の誕生祝いにしようと考えた。」
五月は以前この読書会で扱った川端康成の『眠れる美女』
最近、不登校の子どもたちの専門紙からインタビューを受けました。不登校の子どもたちもしばしば「意思が弱いから学校に行けない」と言われてしまいます。しかし、不登校の子どもたちも「学校に行かないことが自分の意思」とは言い切れないわけです。
行きたくないという「意思」があったのか、どうしても「行けない状況」だったのか、はっきりと線引きができない。それは、私たちの行為が意思によって一元的に決定されているわけではないのですから当然でしょう。そしてまた、意識は結果だけを受け取るようにできており、行為の原因を知ることが難しいわけですから、本人に不登校の明確な原因が分からないのも不思議ではありません。
月曜日
副代表のりんりんの親御さんと妹さんがうかりゆハウスに遊びに来たので、
鉄輪を案内する。
鉄輪は不思議な町。
かわいさもあり、地獄と呼ばれる苛酷な自然もあり、
行き場のない者が集まってきた地でもあり、
一遍上人の踊り念仏が花開いたパンクな場所でもあり、
冨士屋の安波さんはここで新しいことをするときに、
「鉄輪に聞いてみる」そうだ。
ここはもう住み始めて8年くらいになるけど、
魅力が尽きない。飽き性の私でも飽きない汲めども尽きせぬ源泉がある。
火曜日
生徒さんの学校を訪問。出席扱いや連携の話をする。
昔はフリースクールというのは学校の存在を否定するような、
いわば〈敵〉のようなもので非協力的だったらしいのだけど、
文科省の方針転換もあり、今は多様な学びの場として協力体制がとられることが
ほとんどだ。
それにして異様に蒸し暑い一日だった。
こういう日があると、あ、夏ってだるいなと思ってしまう。
どこまでも概念的に生きたく、そこにリアルを感じるのは、
たしか野口整体でも分類されていた種で、初めて知ったとき救われた感じがした。
水曜日
知床の海難事故について、うちの会社も同じように、
経済とリスクで経済の方を選んでいるという声を多く聞いた。
自分の命は営利企業に預けるということはどういうことなのか、
利用者に罪はないが、利用者もよくよく考えておかなければならないと思う。
昔安曇野でエココミュニティを開いているところにお邪魔したとき、
屋外活動で外に出る際曇り気味だったので、
ある人が主宰者に「傘は持っていった方がいいですか?」と聞いたら、
その主宰者はやや怒り気味に、「自分で考えて判断しなさい」と言ったのを思い出す。
この風で運行するのは安全なのかどうかを利用者に判断させるのは酷だが、
なんでもかんでも判断を営利企業に預けてしまうのは危険で場合によっては
命を落とすこともある。そのへんの嗅覚はもちろん私も含めて鈍っている。
木曜日
落ち着きなく、席を離れたり坐ったりしているこどもに
最後感想を聞いたら、この絵本のテーマをずばり貫いた言葉が出てきて驚愕した。
じっと坐って礼儀正しく人の話を聞くというのは儒教から来ているのかもしれないが、
じっと坐って聞いていても、その本質が届いているかどうかは全く別の話で、
ただ単に大人の都合かもや知れぬとそのとき思った。
金曜日
GW。鉄輪温泉に県外ナンバーが増える。
富士山ナンバーを初めて見た気がする。
夜にオンラインで哲学カフェを開催する。
テーマは「大人はなぜお酒を飲むのか」だった。
良いテーマだなと思ったときは、いつも参加人数が少ないのが残念だが、
テーマもあり、お酒をちびちび飲みながら語り合った。
お酒の大人としての飲み方を私は誰かから教わったことはない。
でもある参加者は教えられたという。
土曜日
M氏と別府のおしゃべりなスプーンでタイマン対話。
哲学カフェ、哲学対話、あるいはこども哲学も参加者は、
そこに何を期待して参加しているか、当然ばらばらだ。
ごりごりの真理追究の哲学論議を望む者もあれば、
そのコミュニティの否定性のない空気が好きというのもあるだろう。
また好きだったコミュニティも、好ましからず人物が入ってきたために
行くのを止めたというのもよく聞く話。
もちろん参加を強制することはできないので、
自然とまた来たいなと思ってくれる場にしたいと思っているけど、
いちいち一喜一憂するのもきついものがある。
M氏からはジャック・ランシエールの『無知な教師』を勧められる。
「私は君たちに教えることは何一つないことを、教えなくてはなら
ない」
日曜日
青山真治氏のオールタイムベストのサム・ペキンパー「キラー・エリート」DVDで。
20年以上前に見たはずだが、細部にもストーリーにも記憶がなかった。
確かにこれは人間の尊厳をめぐる映画だ。