GWを利用して4泊3日で奈良、高野山へ行ってきました。高野山は初めてで非常に精神性の高い旅になりました。つらつらと記録をあげていきます。
18:00.別府港よりさんふらわあで出航。初めて個室スタンダードを利用。
広角レンズで撮られた宣伝用の写真をイメージしてしまっていたので、かなり狭く感じたが、この狭さが逆に落ち着く感じでよかった。
テレビは見ないが、洗面所がついているのが地味に嬉しかった。壁が薄くて隣の人の声やテレビの音が気になったけど、まあそれも慣れて眠りについた。
6:30大阪南港到着。久しぶりの大都市の景色にすこし興奮。住之江区の団地では団地間で鯉幟を渡していた。豪快やな。
他所を訪れた時にいつも感じるのは山のかたちの違いである。自分にとって風景とはなによりも山のことなのかもしれない。大阪から奈良へ抜けるところ屏風のように長くなだらかな山が見えた。たぶん生駒山地だろう。
8:50.奈良の天理にある石上神宮に立ち寄る。原初的な祭祀の場を感じる神社が好きで、以前から行きたかったところ。神宮号を伊勢神宮と同じく古くから称している。朝の冷気、霊気が境内を満たしていた。濃厚で甘やかな森の匂いに癒された。
天理の町はいろいろ凄かったが…割愛。
11:00.唐招提寺。奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のもの。水平のプロポーションがため息が出るくらい美しい。建物もすばらしいが中に安置されている盧舎那仏座像、薬師如来立像、千手観音立像もまた圧倒的な存在感だった。こちらは撮影禁止。
磯崎新氏が柱原理主義と呼ぶのも頷ける。京都に都が遷ってからはこのような柱を前面に出したスタイルの建築は廃れてしまったようだ。
私のなかの奈良のイメージはこのような土壁となだらかな山と野。京都とはちがう空気感が好きだ。
14:15.すさまじい傾斜の高野山ケーブルカーに乗り込む。
14:50.突如として山上に町があらわれる。高野山到着。とにかく寒い。司馬遼太郎が『空海の風景』のなかで学生時代に兵隊に徴収される前に友人と吉野から熊野に抜ける山々を歩いているときに迷ってしまってふと高野山の街に出た時のことをこう書いている。
「途中、川筋をとりちがえたのか、ゆくほどに流れが細くなり、道もけものみちのようで、空木の木などがはびこり、歩くのに難渋した。それでも一晩中登りにのぼるうちに、不意に山上に都会が現出した。悪いものにたぶらかされているようでもあり、夢の中にいるようでもあった。深いひさしの下にある門燈に寄って行ってきくと、ここは高野山だという。いまふりかえってみると、このときの驚きが、私にこの稿を書かせているようでもある。」
総本山金剛峰寺。時間がなかったので、この日は拝観しなかった。
高野山では石楠花が見頃で、ほんとうに眩く輝いていた。
15:30.今日お世話になる宿坊の本覚院さんへ。宿坊に泊まるというのも私にとって初めてのことなので、これもまた得難い経験となった。このお寺には秘仏や狩野派の絵師による襖絵、天井画などがたくさんあり、そのすべてが撮影禁止となっている。今回の旅全般に言えることだが、肝心なものはすべて撮影禁止対象だった。だからこのブログによる記録もまた核心部が抜けているともいえる。
襖仕切りではあるが、鍵もあるし何の問題もない。この光の透過性がなによりいい。それにしても寒いので暖房をつける。
疲れた体に和菓子の甘さが染みわたった。
今回の旅の目的はいろいろあったけど、ひとつはお寺の掃き清められた庭や玄関、整えられた部屋を体感したかったというのがある。そういう精神がわたしにはとことん欠けていて、掃除や整理整頓が苦手で混沌を好む性質であったが、場の清浄さが精神に与える影響は大きいことに気づき、学びを得たかった。脱いだスリッパがいつの間にか揃えられているのには感動した。鉄輪で利用している温泉で利用者の下駄をいつも揃えるおじさんのことを思い出した。
回廊から見える重森三玲氏による庭。さまざまな視覚的効果を配しているようだが複雑すぎてわからない。
18:00.夕の精進料理。精進料理もまた道だ。量が少ないので、ひとつひとつ丁寧に味わって食べると、胃への落ち方も違う、ご飯やお吸い物から立ち上る湯気にも豊かな香りがあるのに気づく。瞑想に誘うような静けさ、汁をすする音、椀を置く音、箸の音、食べるという行為の神聖さに思い当たった。
なぜか大分、豊後に関係する部屋名があるかと思ったら、本覚院は大友宗麟や臼杵藩の稲葉信通の寄進を受けていたようだ。さきほど夕食を食べた広間に大友宗麟も座っていたことを思うとこの宿坊に泊まったのもなにかの縁だったかと思う。
https://www.pref.oita.jp/uploaded/attachment/2006969.pdf
磨き上げられた回廊。塵ひとつなく。お風呂は熱めでよかった。この日は早々と眠った。つづく