BunDokuという別団体で活動しています第57回目のBunDoku哲学カフェを開催いたしました。初参加者合わせて18名の方々にお集まりいただきました。ありがとうございました。
今回のテーマは某ユーチューバーさんの不登校をきっかけにした、「子供が学校に行きたくないなら、行かなくてもいい?」でした。
学校というものの機能として、「学力」をつけるための場所と「社会性」を身につけるための場所の二つが大きくあり、学力をつけることに関しては他でも代替可能だが、社会性を身につける場所としては現状学校がいちばん優れているのではという考えが多かったです。
そもそも社会性ってなんだという話にもなり、コミュニケーション能力ということがあげられました。そのコミュニケーション能力も世渡りのスキルから自分の本音を伝える力、恋愛関係におけるものまで、人が他者とともに生きるにあたってつきまとうすべてがあるようでした。
僕自身としては対話の前は、学校はそんなに無理して行かなくてもいいんじゃないのと考えていましたが、対話が終わってからは、学校は時代遅れのものになりつつあるシステムだが、まだまだ利用価値のあるコスパの良いものだというふうに考えるようになりました。
ご参加されたみなさま、ありがとうございました。
次回は7月14日(土)。テーマは「お金の為に働く必要がなくなったら、あなたは何をしますか?」です。ご興味ありましたら、またご参加ください。
◆対話中に出てきたキーワード◆
「外集団同質性バイアス」…自分の所属する集団の多様性が他の集団よりも高いとみなすバイアスこと。
「中間共同体」…個人の生活領域と国家のような大きな公をつなぐ半ば公な共同体。
「オルタナティブ」…代替となるもの。
「異質性への寛容が民主主義」…マハトマ・ガンジー曰はく「不寛容は、
「無敵の人」…失うものが何もないので、一般人を巻き込んで犯罪を起こすことに躊躇のない人。
「積極的不登校」…学校のあり方や行くことに疑問を感じ、考えて行かないことを自ら選択すること。