激しい雨。
雨は写真には写りづらい。
台風前夜、友人と会う。
喫茶ムムムは閉まっていた。
台風接近による気圧の変化への不快、だるさ、オカユとごろごろしてやり過ごす。
たとえば季節の推移とかそれに応じて表情を異にする外界の事象であるとか、とにかく存在が無意識にその変化を符牒として読みとり、そのつど乱された調和を回復してゆくことになる刺激の総体は、われわれの生の条件と死の条件とを同時に開示するものとして、あたりを埋めつくしている。それをいま環境とも、風土とも、世界とも、ことによったら歴史と呼んでしまってもいいと思うが、そうしたものの秩序が急激に崩れるときに精神と肉体が蒙る不快感は、生の条件を構成するものの無数の系列を一瞬顕在化させながら、ウイとノンの選択を許さない苛酷な限界点のありかを、不可視の領域にほのめかすことになる。
『批評あるいは仮死の祭典』蓮實重彦
田中登監督「㊙色情めす市場」をDVDで見る。
大阪の人にとって通天閣とは、どのようなものなのだろか。
どのように内面化しているのだろうか、その「視線」を。
『カラマーゾフの兄弟』にはほとんど風景描写がない。
むろん通天閣のようなものもない。徹底的して平滑。
〇〇タワーじゃなくて、通天閣と名称したのがすばらしい・
友人の話を聴く。
長いこと聞いているうちに主客が分からなくなるときがあった。
彼は自分のことを語っていたのか、私のことを語っていたのか、
私が聴いていたのか、彼が聴いていたのか、
イタトマのかたすみのテーブルにて、対話の原理に触った。