大阪の道頓堀でヘイトデモが行われている最中、チマチョゴリを着た女性が
フリーハグをされている動画を見て涙が出た。その理屈を超えた強さにあこがれる。
フリーハグは言語的な活動ではないけど、そこには対話に似た一瞬の行き交いがある。
年齢や性別、立場や考え方が違っても、まずリスペクトがあり、憎しむことなく
人生が交差し、許しに似た感情が生まれる。個別の生が抱える具体的な対象は
そこで明示されることはない。
哲学カフェにおいての〈自分語り〉には限界があって、
なんというか自己紹介の域を出ず、そのときのテーマや参加者と響き合わない。
むろん思索するうえで具体的なエピソードは重要だが、自分語りはそれとは違って、
お話に終始し、普遍性にまで届きづらい。
明示しないが、なにか耐えているものがあったり、語り得ないものがあって、
それがとりあげたテーマと響き合う。参加者のなかに他者が浮かび上がる。
でもその〈自分語り〉によって、その人の生が再構成されているのも感じる。
その人にとって大事な時間が流れていると思えるので、長くなってもファシリテーター
として止めたりはしづらいものがある。20人もの人が知らないその人の人生を聴く。
***
最近知ったのですが、〈哲学プラクティス連絡会〉という日本国内における
哲学カフェ、哲学対話関係者が集まって、活動報告や情報交換をしたり、
ワークショップを開いたりする場があるようで、今週末の8/24と8/25に
立正大学にて第5回目が開催されるようです。
今回カフェフィロのyさんからご紹介いただき、当日ワークショップを主催される
nさんよりアンケートによる参加要請を受けました。
「哲学カフェについて考えるときにわたしたちが考えること」というWSです。
今回は東京での開催なので行けませんが、アンケートという形で、
参加させてもらうことにしました。
アンケートの問いは以下のようなものでした。
・自己紹介(哲学カフェ紹介)
・自分の哲学カフェの自慢をおしえてください。
・自分の哲学カフェに固有だと思うこまりごとをおしえてください。
・哲学カフェをひらくきっかけ、モデルがあればおしえてください。
当日は興味深いワークショップがたくさんあり、
(400人の対話をいかにファシリテートするか?や中高年の哲学対話の可能性など)
駆けつけたい所ですが、行けそうにありません。
http://philosophicalpractice.jp/wp-content/uploads/2019/08/2019JAPP_timetable_0814.pdf
次回は大阪であるようなので、参加できるといいなと思っています。
いい会になるといいですね。
機関紙もあるようなので、興味のある方はぜひお読みください。