〈医療・看護・介護福祉関係の方の哲学カフェ10.5〉を開催しました。今回で2回目になります。前回は「看取り」について、今回は「人間にとっての病」について、みなさんと対話しました。
日本のテレビ番組の多くは 健康や病気に関するもので溢れていますが、根っことなる死生観や人間観がないために、いたずらに不安を煽り、 対症療法的に右往左往しているだけのように見えます。母はそういう健康番組をたくさん録画しているのですが、あれが健康に良いと聞けばすぐ入手して試す、これが健康にいいと紹介されればすぐに入手して試すを繰り返しています。
今回のようにじっくり病や死について話し合える場が増えるといい なと思っています。
◆対話の中で出てきた、 重要だと思われるキーワードを羅列してみます。
喪失感/死生観/老いと病の境界/意識と身体のズレ/下降線/ 障害受容/長生きが善か/当事者/準備/生き方を変える/ 医学的な回答と宗教的な回答の違い/人間性が磨かれていく/ 自分のキャパを超える体験/不安/コントロール不可/ 主体の裂け目/開かれる/開かれている/治すとは別の仕方で/ 主体性が生まれる/寝たきりは日本特有/土台がなくなる/ 一瞬一瞬/後悔/ケア/ レヴィナスの他者には死者が含まれている/ 身代わりとして生きる/意味を紡いでいくこと/ 意味づけられないこと/生ききる
二次会はばんぢろさんでクールダウンしました。
映画「ジョーカー」を見ても思ったのですが、
個人の病を社会がどう包摂するのかは、たいへん難しい問題です。
「周囲からの支援と尊敬」
が欠如した状態に置かれると、どれほど生理学的・ 生化学的に健康な生き方をしていても、 それはあまり人間の生命力を高める役には立たないということであ る。内田樹
不定期ですが、この〈医療・看護・介護福祉関係の方の哲学カフェ〉は
継続して開催していきます。