対話と人と読書|哲学カフェ大分

大分市で哲学カフェ大分を別府市で別府鉄輪朝読書ノ会を開催しています。

哲学ツーリズム@釜ヶ崎 参加者の感想

 

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今回「哲学ツーリズム@釜ヶ崎」の参加者のみなさんから

感想をいただきました。その一部をあげたいと思います。

 

 

Aさん 

ツーリズム

 道中でもお話に出ましたが百聞は一見に如かずとは正にこのことかと思いました。

この有名な諺は百見は一考に如かず、百考は一行に如かず、百行は一効に如かず、百効は一幸に如かず、百幸は一皇に如かずと続くようで、今度のツーリズムで見て聞いて行じ考えた事がこれからの生活の一部となり人生を豊かにしてくれるものになると感じています。

 

cocoroom

 カラフルな装飾、たくさんの文字に囲まれる中で何故か落ち着いた空気が流れている不思議な空間でした。水回りがとてもきれいで快適に過ごすことが出来ました。

 

釜ヶ崎の人

 釜ヶ崎、西成では人との距離感が近く、互いに迷惑をかけ互いに頼ることが出来る一種の共同体であり生き物のように見えました。それは大分でも変わらない事なのかもしれませんがより強くはっきり感じることが出来ました。

 

山王子どもセンター、大人センター

 以前通っていた子どもが大人になってボランティアとして訪ねてくるのは、子どもセンターが居心地の良い故郷になっているからこそだと感じました。帰り際の子どもたちの「葉っぱに見える!」という言葉と笑い声が印象的でした。

 

のぞみ作業所

 アルコールへの依存は表面的に見えるもので、依存症の支援だけでなく原因となる背景にも寄り添うことの重要性を感じました。牛乳箱を使った商品のクオリティと西成価格には驚かされました。

 

ひと花センター

 「ここに来るのは意識が高い人ですよ」という言葉は、今回見学させていただいた施設全てに当てはまることなのだと感じました。100円カレーは情報が回って足を運んでもらえるのと比べ、助成金等に関しては中々伝わり切れていないというのは気軽さと目先のメリットが足りないのではないかと感じました。

 

どーん!と西成

 人と仕事のマッチングと聞き、リクナビや相談所など色々あると思い浮かびましたが、個々人に応じたマッチングのため新たな仕事まで作ることに驚きました。改めて仕事とは、やりたいこと、できること、やってほしいこと、できないこと、それらを通して人と人が繋がり報酬を得ることなのだと感じました

 NPO法人職員からケースワーカーになった方の話を聞いて、今の自分は一つの側面の一点しか見えていないのだろうと感じました。

 

釜ヶ崎支援機構

 「人間的な生活をするには少なくとも三食食べれてコーヒーくらいは飲めないと」という話を聞いた時保証される生活水準がとても高い場所だなと感じました。同時にシェルターの就寝スペースには大きな衝撃を受けました。

 

子どもの里

 とにかく子どものエネルギーを感じました。パッと見ただけですがそれぞれがやりたいことを様々な年齢の子どもと一緒に遊ぶことができる環境は素晴らしいものだと思いました

 

飲食

 食い倒れの町だけあってどれもとても美味しかったです。

 

感想を書いている間に何故か何度も思い出したのは、ホルモンやの前でほっかむりスタイルでタオルをまき、右手には食べ終わった串を、左手にはレモンの缶チューハイをもったおじさんでした。

 

他にも多くの体験がありましたが、ひと先ず以上を感想とさせていただきます。

 

 一度自分の感想を書いた後に紹介いただいた参考書籍を読んでから、また考えの経過を見てみたいと思います。

 

 

Bさん

強く感じたのは、釜ヶ崎の街は日本全体と同じように高齢化の波に洗われているんだなということでした。


釜ヶ崎に関する70年代の本を読むと、街には、「30~40代が多い」と、書かれているからです。


その人たちがそのまま釜ヶ崎で年を取っていったのでしょう。高度成長が終わるとともに使い捨てにされて。


 このままいくと、彼らは高齢と貧困のために死に絶えて、釜ヶ崎の街の存在が歴史の彼方に忘れ去ってしまわれるでしょう。その代わりに、やってくるのが現代の日本に生きづらさを感じている若者や、障害などを抱えながら福祉につながれない人たちが少数の人たちが集まってくる小さなふきだまりのような街になることでしょう。彼らは、暴動などは絶対に起こさないから、社会から忘れ去られた街-見て見ぬふりをされるーに今以上になることでしょう。


 人が人を使い捨てにする社会。他人が直面する様々な困難を「自己責任」の名の下で切り捨てる社会。多くのひとが、今の自分に満足せずに、常に自分は何かが足りないと感じている現在の日本が閉塞感をもたらしているのだと思いました。経済的な成功、一流企業の社長が一番成功している「偉い人」と思われている社会では、ほとんどの人が満足できないでしょう、いくら経済的に豊かになっても。それを映す鏡が釜ヶ崎であり、多くの日本人にとって「見たくない」、「無かったことにしたい」街なのです。「あそこまで落ちたくはない」という恐怖の裏返しで。

 
 
Cさん
生来「アングラ」な所に惹かれる性行を持った僕に取って、「釜ヶ崎(西成)」と言う地は「親しみ」のある地名でした。聞けば「飛田新地」にも行くとの事。こちらも日本の性風俗と言う「裏文化」を語るには、必ず出てくる「(アングラにおける)メジャー」な地域です。今回の案内が来た時、躊躇なく応募しました
 
上記は、「ミーハー」な感覚が先行した上での「気持ち」です。正直「釜ヶ崎」には、生半可な知識としか持ち合わせていませんでした。同時に僕は「大阪は嫌(怖い、がさつ、荒っぽい)」と言う、偏見がありました。しかしながら僕も年月を重ねる内、「釜ヶ崎で暮らしている(元)日雇いの方々」と近い境遇になってきました。その過程で出会った、 労働や 福祉や人権関係の様々な本。それらには、「釜ヶ崎の事に触れている本もありました。僕も徐々に釜ヶ崎に関しての「認識」は改まってきましたが、それでも漠然としたイメージのままでした。Sさんが紹介してくれた、「釜ヶ崎」関連の本と映画の数々。全ては無理だったので、本2冊と映画2本に触れて旅に臨みました
 
旅立つ前にSさんが、「良い体験になると思います。きっと何かが変わりますよ」と声をかけてくれました。僕もそれを「期待」していました。若い時は、読書や人との出会いがきっかけで、それまでの価値観がひっくり返る「快感」がありました。けれども年と共に、それらの感覚も薄くなってきました。「熱湯をかけられて目覚めたい」と言う気持ちがありました
 
大阪観光を含む、釜ヶ崎の旅が終わった今。僕は未だに「放心状態」です。「釜ヶ崎」以外の事なら、いくらでも話せます。けれども肝心な「釜ヶ崎」の事について語れないのです。
 
「大阪」への偏見は解けました。僕は世の中を「斜めから冷めた目」で見る人間でしたが、旅が終わってからは「覚めた目」で見るようになりました。圧倒的な「現実」への、「理不尽」「不条理」「矛盾」「無常」・・・。釜ヶ崎には、これら日本の「負の現実」を、まざまざと見せつけられました。皮肉な事に旅が終わってから、これまでと比べて幾分か「穏やか」な人間になりました。それは「覚めて」しまったと言う事も含めて、世の中と自分の人生への「諦め」を強く感じたからなのかもしれません。それでも未だに、今回の旅で感じた事の「処理」が出来ていません。脳内も心も身体も、未だ「熟成」の途中です
 
価値観が瞬時にして変わる、「コペルニクス的転回」は訪れませんでした。しかし今回の旅はそれ以上に、影響力のある旅でした。じわじわと変わっていく、血肉となる「体験」でした。Sさんが書かれていた、「この体験が3年後5年後10年とわたって、みなさまにこだまのように響いてくるのではないのかと思っています」と言う一文。まさにこの通りです。「哲学ツーリズム」と言うのは、「終わってから」が対話の始まりなんだなと感じています。ですから、どうぞ皆様。この先も僕は折々、皆様へ「あの時の事で感じた(考えた)事なのだけど・・・」と月日が経っても話しかける事があるかと思います。その時は、お相手して下さいませ。現に日常に戻ってから幾人の人に、「釜ヶ崎」の事を言ってみました。が、「話」になりません。変わりに「新世界」や「太陽の塔」の事は、興味を持って聞いてくれるのが現実です
 
終わりに、僕自身がこの旅で一番驚いた事。新世界の「ピカスペース」から、帰っていた時の事です。僕は自然と「楽しいなぁ」と言う言葉が、口に出ました。感情を抑えて寡黙に振舞うのが習い性だった僕にとって、「嬉しい成長」でした。あれだけ大阪への偏見が凄かったのに、今では「また行きたいなあ、戻りたいなあ」と言う思いが強いです。こんな感じを抱いたのも初めてです
 
一度は台風で流れましたが、仕切り直した今回のツアー。同行してくれた人、旅先で出会った人。全てが僕にとって、絶妙の「タイミング」だったのでしょう。この不思議な巡りあわせに感謝です。皆様、道中では本当にありがとうございました。良い思い出になりました
 
 
Dさん
大分に帰って釜ヶ崎のこのツアーのことについて振り返ってみると、ひとつの強烈な色彩のあるサイケな夢のようでもあり、でも間違いなく同じ日本の地続きの出来事であり、その整合性がとれずに戸惑い続けていて、けっこう苦しいです。逆カルチャーショックというのでしょうか。魂が抜かれたような、それまで前提としていたものが崩れてしまった。
 
安易に言葉にしてわかったつもりになることは避けたいのですが、振り返りも含め、感想を書いてみたいと思います。書いて整理することがメンタルにも良いとのこと。
 
闇の深いところは光も強い。釜ヶ崎が日本の縮図であること、すべての矛盾や問題が集結していて、それにたいして、なんとかしようと活動している方々の生の声が聞けたのはたいへん貴重で希望や勇気を与えてもらえました。ただ通り過ぎるだけではだめで、中に入って実状を聞く事が大事でしたので、ココルームのTさんの案内にも非常に感謝しています。
 
***
人がひとり生きるということはなんて大変なことなんだろうか。食べる事、寝る場所、愛情に包まれること、話すこと、笑うこと、泣くこと、喧嘩すること、囲碁を打てる場所があること 。各施設で「居場所」という言葉が多く聞かれた。居場所とはなんでしょう。家、会社、学校。メールもインターネット空間も哲学カフェも私にとって大事な居場所です。その居場所がない、もしくはなくなるということはどういうことなのか。またその居場所が居場所足りえるためには安心・安全でなくてはいけない。釜ヶ崎に流れ着いた人たちは居場所から弾かれた人たち。居場所には人間を人間にする、恢復する力がある。人間が社会的な存在になるための基盤になる。どーん!と西成の方はサードプレイスどころか、ここは第4、第5の場所も必要だと説いていた。失敗してもいい、躓いてもいい、失敗ができる場所。ここは徒花に咲くユートピアではないかと思った。絶望と希望が人のささえで反転できること。
 
具体的な厳しい現実を前に、僕は人間とはなにか、生命とはなにか、正義とはなにか、善とはなにかなどの問いに揺れ、具体と抽象を激しく行き交い、頭の中でひとり対話していた。助ける人助けられる人、困った人に手を差し伸べる人、関西では行ってはいけないと言われるこの場所に若い人が入ってなんとかしようと日々奮闘している傍ら、貧困ビジネスといわれる生活保護などを食い物にしようとする人もいる。
 
釜ヶ崎について、今は書くことが困難だ。終生ライフワークとして考え続けたい。釜ヶ崎詣でも続けていきたい。
 
 
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夜の新世界はまた人間的な魅惑に満ちた場で、ここもまた人間の欲が丸出し、食べること飲むことを躊躇せずはじけた。僕は外で飲むことがけっこう苦手で部屋で飲むことを好むのですが、ここはちがった。釜ヶ崎飛田新地、新世界。自分が人間であることを素直に認めて受け入れてくれるトライアングルだった。楽しかった。楽しい店を紹介してくれたYさんありがとう。
 
2日目に釜ヶ崎から僅か10キロも離れていないところの金融街行ったときに、ゴミのない、酔っ払いもない、おしゃれな人が歩く「きれいな」街に違和感を覚えた。たしかに影はない。そして光もない(ように見える)、無味無臭で、これが都市というものだろうし、この違和感は大事にしたい。むしろこちらの方が闇は深いかもしれない。
 
最後に太陽の塔を訪れた。大阪万博当時、釜ヶ崎の日雇い労働者が多く建設に携わった場所。太陽の塔は初めてだったが、その顔、表情は決してウェルカムなものではなく、むしろ憤怒や拒絶といったイメージに近いもので、その違和こそが「生命」のテーマに繋がり得ると思った。釜ヶ崎も生命の問題として僕はとらえている。旅の締めには最高だった。提案してくれたOさんに感謝。
 
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とりとめもなくつらつら書いてしまった。やはり総括のようにきれいにまとめて書くのは難しい。今回のツーリズムでは輝かしい断片がたくさんあり、それがおごそかに私を支えている。シェルターの入り口ベンチで大きな体に小さな文庫本を読んでいたおっちゃん、歩いているといろいろ声をかけてくれたおっちゃんたち(受け流すのではなく、もっと応じればよかったと後悔)、何度も通ったホルモン屋のにおい、立小便、消毒液のにおい、新興キリスト教会の叫ぶような聖歌、子供の目の輝きとその存在の迫力、檻のある四角公園、シェルターの寒々しさ、路上の鮮血、飛田新地の色街の女性たちと物色する男たち、閉まっていたメイドカフェ、路地裏での男同士の野外の性行為、串カツの味、昆虫の味等々、忘れがたい断片や言葉、響きがたくさんある。
 
生活保護支給日翌日ということもあったのだろうけど、大人もこどももみんな明るかった。ココルームもそうだけど、このユートピアのような不思議な明るさはなんだろう。(僕の知る限りの)東京で出会ったホームレスの方々は壮絶に暗く絶望的な顔をしていたが、ここの明るさはやはり街ぜんたいに相互扶助や声の掛け合い、孤立を防ぐセーフティネットがさまざまに張り巡らされているからだと思う。僕はアフリカのような発展途上国にいったことがないけど、経済から見放された方が人は天真爛漫になれるのではというのが一つ見立て。もちろん貧困の問題とは別でまず食うことが満たされていることが前提だが。(釜ヶ﨑では毎日どこかで炊き出しがある)マズローの欲求階層論では最終段階に自己実現欲求があるが、実は段階を上がっていくごとに人は不安は増し、その人らしさから遠ざかってしまうのかもしれない。
 
京アニ事件の容疑者が「今まで生きてきて、人からこんなに優しくしてもらったことはなかった」と医療関係者に感謝の言葉をつぶやいたという。黒子のバスケ事件の彼もエアコンの効く拘置所をホテルのようだと言っていた。彼らを包括することができなかった社会を思う。釜ヶ崎への若者流入が増えているという。今後この街は「生きづらさ」がテーマになるだろう。西成の今後の構想をもっとも先進的に生きづらさと向き合うことができる街にした方がいい。その土壌がそろっている。
 
旅をして自分にも変化がすこしづつ訪れている。素直に生きること、周りを大切にすること、弱い人困っている人を助けること、優しくあること。
 
ここの哲学カフェをセーフティーネットだと言ってくれる人がいた。自分の活動がなんらか社会のひとつの網の目になると嬉しいし、そういったことを有るときから意識するようになっていたので、今回のツーリズムに結実できたと思う。今後もこの線を模索していきたい。
 
最後にみなさんと一緒に旅ができてよかったです。よいツーリズムになりました。ありがとうございました。観光や観光客、哲学ツーリズムそのものについても探求していくと思います。映像や本ではなく実際に目で見て感じることの重要さを今回ほど痛感したことはありません。楽しかった。
 
 
 
Eさん
まず,みなさんありがとうございました!
 
感想をきれいにまとめようとすれば,釜ヶ崎を「欲望に素直なまち」「人情に厚いまち」という2種類の感想をお送りしたいと思います。でもまとまってないです!

「欲望に素直なまち」は立ち小便禁止の看板とか花街とか,たばこの吸い殻がそこら辺に捨てられてるとか,朝から飲める居酒屋がごまんとある,権力に自らの意見を訴える団体行動が苦手なこの日本で暴動が20回以上もくり返され,かつ今もその強いつながりがある,という発見から思いました。私は労働組合のことも少し大学で勉強していて,本当に釜ヶ崎は良い意味ですごいと思います。課題を発見する力,解決しようとする力と情熱,団結力,行動力,本当にすごいです。運動に関しては「欲望」と表現するより主権者意識としたほうがいいかもしれません。
私が釜の特徴だと思った事柄のそれぞれの背景はさまざまだと思うし,花街はどちらかというと釜のおっちゃんたちは利用していないかもしれないけど,でも釜ヶ崎というまちを語るにはなくてはならず,また訪れる人の脳裏にいろんな意味で強く焼き付く光景だと思います。異世界に紛れ込んでしまったような感覚でした。

「人情に厚いまち」は,実はみんなで釜ヶ崎を見学した翌日,三角公園の鋭角の外側で飲んでるおっちゃんたちに一人まざってお酒を飲んだときに感じたことです。みんな優しかったのです。
初めに「やさしそうなおじいさんだ」と思った方に声をかけ,同じように地べたに座って缶酎ハイで乾杯しました。私はスーツケースをがらがら引いてぱんぱんのリュックを背負い,明らかに釜になじんでいない服という風貌です。私がおじいさんの立場だったら「何なんだこの観光客は。俺たちは見世物じゃない」と思ったはずです。それでもおじいさんは困惑しつつも歓迎してくれたのでした。

おじいさんは40年前から釜にいるんだ,とかなしそうにほほえんでいました。たまにする咳にはたんがからんでいて,すこしきつそうでした。黒目のふちには少し白い部分があり,あまり視力はよくないかもしれません。でもその目で釜を見つめてきた歴史を感じました。釜がこのおじいさんを40年も受け入れ続けている包容力と,40年間もここに居続けなければならない閉塞感・抑圧感を同時に感じました。

そしてしばらくすると,近くで飲んでいた50代のおっちゃんが話に入ってきました。出身地は三重県で,釜には断続的に住んでいること,一昨日は神戸に解体作業で行ってきて砂埃のきつい現場であったこと,18歳の娘さんがいること,などを聞きました。

突然,どこからともなく,車いすに乗ったおばあさんがやってきました。おっちゃんは「誰々があんたんとこの風呂で死んどったんやろ」と言いました。
その瞬間,えも言われぬ恐怖を感じたと同時に,釜では人の死があたりまえに語られるものなのか,と思いました。「いや部屋やわ」とおばあさんは答えましたが,色々聞いているとおっちゃんは,おばあさんがその人を殺したと思っていて,周りもそう思っているふうでした。これはやばいと思っているとおばあさんはどこかへ行き,おっちゃんは私に,その亡くなった男性とルームシェアをしていたことがあり,本当にいい奴だったんだ,と話してくれました。その話の途中でまたおばあさんが戻ってきて,今度はそのおっちゃんを車いすで轢くのかというくらい近づいて,何か怒り始めました。よく聞き取れなかったけど「誰々を殺したのはおまえだ!」と話しているように聞こえて,いよいよまずいことになりました。
そしておばあさんはこちらを見て「お嬢ちゃんはどっか行きな!」と凄まれました。おっちゃんは立ちあがると少しふらつきながら何故か私のスーツケースの取っ手を掴み,10センチくらい持ち上げました。「スーツケースが凶器になってしまう」と思った私は慌ててそれを回収し,2歩下がりました。そしたら赤ら顔の別のおっちゃんAが「お姉さん,逃げな」と言ってくれて,5メートルくらい離れたベンチにいたおっちゃんB・Cも「ほとぼりが冷めるまで離れとき」と優しく諭してくれました。でも後ろから聞こえるのはおばあさんの「貸した2万円返せ!」と怒る声で,さっきの亡くなった方はどうなったの,と思いました。

私は最初のおっちゃんのことが心配になりながら三角公園の直角の所の先まで離れました。でも別れを告げずに帰るのは申し訳ないと思って,見てないふりをしながらおっちゃんの方を見ていると,いつの間にか警察官が10人くらい来て公園の鋭角の外側に集まっていました。警察官が巡回中に見つけてほかの警察官に連絡したのか,誰かが通報したのかはわかりません。おばあさんは警察官やまわりの人に何か訴えているようでした。衝撃過ぎてぼんやりしましたが少し近づくと,その人だかりからあのおっちゃんが警察官3人とともに話を聞いてもらうみたいな感じで出てきました。そしたらすぐおっちゃんが気づいて「この子と飲んでたんだよ」と警察官に話し始めました。「西成の警察の兄ちゃんたちはみんな優しいんだ」とか少し話を聞いて,警察の若い方から「釜ヶ崎がどんなまちかわかったでしょ。ここに一人ではいないほうがいいよ。さあ帰って」と言われ,そりゃあもう帰りますとも,帰らないと職務を邪魔することになりそうだし,と思いながら,おっちゃんと警察官に感謝と別れの言葉を告げて私は釜ヶ崎を後にしました------。


釜のおっちゃんたちと同じ目線で道ばたに座っていると,脇目も振らずすごい速さで駆け抜ける自転車の人はまったくこちらを見ず,逆に釜の人たちは物珍しそうに私を見ていくのがわかりました。前日とは立場が逆転しているのを感じました。

私が喧嘩に巻き込まれそうになると,今まで話したことのなかったおっちゃんたちが「離れた方がいいよ」「あのおばあさんはいつものことだから心配はいらないよ」と声をかけてくれました。私は見るからに,そして実際にただの観光客で,なにもおっちゃんたちにしてあげられてないのに,おっちゃんたちは間接的に私を守ってくれました。「見てないけど 心の目でみているよ」という感じがして,こうやって釜のなかで助け合う文化?土壌?があるのだろうなと思いました。
本編には書きませんでしたが,スーパーのカートに生活物資を詰め込んでいるおじいさんが,カートを道路に置いたままにしたことに対して,すぐおっちゃんが「道路に置いとったら危ないって!」と注意していました。

私が釜のおっちゃんたちと飲ませてもらおうと考えたのは,1日目にそんなに危険なまちじゃないと気づいたからですが,もう一人でそんなことはしません。たとえ屈強な男性であっても,一人ならおすすめしません。せめて外から中が見える居酒屋さんがいいと思います。
でも思ったのは,逆に友達だったりいろんな人と飲食をともにする機会がありますが,そういう場面はたいがい,殴られてもおかしくない距離にいると思います。釜での私もそうでした。お互いを信頼しているからそれができるのであって,じゃあ私は1日居ただけでなぜそこまでしようと思えたのかについても,考えてみたいと思います。  
 
 
Fさん     
インターネット、SNSスマートフォンの普及とともに、あいりん地区をネタとしてイジる話が可視化され続けている。
少し前にYouTuberが2018年ぐらいにあいりん地区に行きレポするのが流行った。ちょうど、西成あいりん総合センターが閉鎖のニュースが取り上げられるようになった頃だった気がする。(関東にいてもこのニュースが聞くようになった頃だろうか。)
YouTuberはあいりん地区に行き、レポをする。
SNSではあいりん地区の危なさを面白おかしくネタにして大喜利をする。
インターネットのオモチャの土地だと感じた。無意識のうちに自分自身があいりん地区という土地に対して、ネタとしていじられることを抵抗なく受け入れていたように思う。



私は鈴木大介さんの文が好きで、よく読んでいた。彼が主に書くのは生きにくい人達のこと、主に貧困女子と見えない障害だった。
藤田考典さんの活動もよく見ていた。

そう言う方々の活動を追っていると、一通り困った時に使える術が知識として身についていく。自分自身が福祉に近い存在だと自覚していたので、生き抜く術を持っている人たちからの助言は大切にした。
それからセーフティネットの大切さを実感するばかりだった。

一方で、福祉から遠い存在だと思い込んでいる方々はセーフティネットの必要性を感じない。多数派が必要性を感じていないように思う。自己責任だ、という言葉の檻に閉じ込めて、自分自身の暮らしをより生き難くしていると感じる日々だった。



貧困や福祉について考えながら、どこかであいりん地区はその範囲外の存在としていた。
今回、Sさんの企画で釜ヶ崎を歩くという企画でやっと本物の場所にいける、程度にしか考えていなかった。あいりん地区と貧困をイコールで結びつけられなかった愚かさを知った。そして自分が見てきた貧困とはまた別の貧困を知った。



ココルームに着くまでには、陽気な街だなと思った。
日雇労働からあぶれた人が昼間から酒を飲み、食べて楽しそうに生きているな、と思った。

ココルームさんからの案内後、ゴトンとっと何か落ちた感覚があった。釜ヶ崎という土地に暮らす人々の生きる強さは力が強すぎた。見学途中、何度か声をかけられた。気軽に話しかける行為は自己肯定感が強い人か、酔っ払いじゃなければできない。話しかけてくる人はシラフのように見えた。私が知っているあいりん地区とかなんだったのか。インターネットの虚構を知る。
それから福祉とはなんなのか、よくわからなくなってしまった。



まず福祉水準が高すぎた。
「コーヒー、一杯ぐらい美味しく飲みたい」
「まずは犬の散歩から」

こんなことまでするのかという、福祉関係者が何人もいた。こんなに福祉が充実しすぎていて、羨ましさすら感じた。悩んでいて、前を向いたら相談する場がどこかに必ずあって支援が繋がるシステムに驚いた。
おそらく日本で一番の福祉水準が高い街だろうな、と思った。

私たちがココルームのツアーとして参加しているので蔑ろにはしないと分かって土地に踏み入れているのは前提としてあるが、彼らは明るかった。明日への不安がない。今を生きている気がした。きっと私があの場所にいても誰も気にしない。気にして欲しかったなら自分から声をかけろ、声をかけられなさそうなら声をかけてやるぞ、そんな空気感があった。
(それは生活保護時給日が近くて、心に余裕があったからかもしれないけれど)

オープンでいて他人に興味ない。
そんな人たちが汗かきながら暮らしてる街は、活気は心地良かった。鈴木大介著の書く貧困とは何かが違うと感じた。見学者として、釜ヶ崎を訪れているためより、ディープで辛くて悲惨な貧困が見えなかったのかもしれない。もしくは私がそれらを感じ取っていなかったのかもしれないけれど、彼らが明るいことは衝撃的だった。



貧困でも明るいのは、この土地を支援するNPOを始めとする福祉施設がたくさんあるからだろうか。お金のなさは心の狭さに直結する。けれど居場所がいて仲間がいれば、なんとか明るく前を向くことができるという感覚を私は知っている。支援団体が多く、支援を受ける側も多く、この土地は人との繋がりがなければ生きていけない土地だとも強く感じた。



私が釜ヶ崎を見学し最終的に感じた事は、なぜこのような場が全国各地にないのだろうか?という疑問だった。
スタグフレーションが続く日本はこれから先も少しずつ貧困が広がっている。もうすでに、生存する為に生きてるいる人が多く存在している。健康で文化的な最低限限度の生活すら営めないヒトを知っている。しかし福祉、セーフティネットが広がることがない。果たしてそれは自己責任と言う言葉で片付けていいことなのだろうか。
釜ヶ崎のように「生活に困ったなら相談に来て」と場所がもっとないといけないのではないのだろうか。



インターネットのオモチャとして笑っている、貧困層はいったいどれくらいの数がいるのだろう。日本一危険な場所、スラム街と言われるこの土地を笑い物にして、自分を慰めている場合ではない、と思う。
釜ヶ崎の人々は「勝ち取ってきた」と言う言葉をよく使っていた。その通りだとおった。彼らは「勝ち取ってきた」歴史がある。勝ってきたから、日本で一番の貧困の街と言われても支援の場があり繋がれる場所がどこかにあるのだ。



大阪万博や中国資本が流れてくることをきっかけに、さらに釜ヶ崎と言う土地の維持が難しくなるだろうなと思う。綺麗で、交通の便が良くて、新しい街として生まれ変わるのだろうか。
そしたら、釜ヶ崎を築いてきた人達や暮らしている人たちはどこに行くのだろうか。
追いやられた先に散り散りになるのだろうか。
「勝ち取ってきた歴史」、盛者必衰の一部を今回の釜ヶ崎を歩く会で見てきたのだろうか。
少しずつ消えていくかもしれない釜ヶ崎を改めて見て、素晴らしい場所なのに消えるのはもったいないと思った。もう少しこの場所で暮らしてみたいとも思った。どこかで働かせてもらって、この街をもう少し知りたいと思った。ここに暮らす人たちと向き合ってみたいと思った。とても魅力的な街だった。



彼らと共に暮らす生活はどんなだろうか。
それでもやっぱり、苦しいだろうな、と思う。

どこまで考えても、どんなに書いても私はNPO法人等で支援側として考えているのだから。今回の釜ヶ崎を歩く会で彼らの本当の辛さや苦しさを理解する事はできなかったのだ。

おわり。