オンライン哲学カフェを開催しました。
オンラインでの対話も回を重ねるにつれ。Zoomの扱いなどには慣れるものの、
参加者との距離感や空気感の対面式との違いにまだ戸惑いはあります。
今回のテーマは「性について」。
女性5人男性5人の参加者で対話しました。
「性」といってもあつかう範囲が広いので、
参加者の皆様にそれぞれどんなトピックに関心があるか最初に聞きました。
・ラジオでの岡村さんの発言について。性産業のジェンダーギャップ
・セックスはなにをコミュニケーションしているの?
・性産業の後ろ暗さはどこからきている?
・なにが搾取されているの?
・性的消費は許される?性の商品化について
・セックスの繁殖以外の価値はあるのか?
・愛する人とのセックスが幸せにつながる?
・性教育とは?
・不倫は生物学的にみていけないことなのか?一夫多妻制など
・このコロナのなか、誰かと話をしたくて参加しました。
・萌え表現などの創作物における性の表現の善し悪しはどこで線引きできる?
このなかで比較的多かった、岡村さんの発言や性産業をめぐる男女の意識差など
について、みなさんと話し合うことにしました。
岡村さんの発言とは、
「新型コロナウイルスの影響で風俗店にも行けない」というリスナーの投稿に「コロナが終息したら絶対おもしろいことあるんです。短期間ですけれども、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります」と答えて大炎上した。
これを受けて、
性を売るということはどういうことなのか、なにが売買されているのか、
セーフティネットとしての性風俗や女性をモノとして見ることについて、
などなど抽象と具体を行き交いながら、出口のない問いを重ねました。
恥ずかしさがあるのか、自分の実存として性を語る人は少なく、
データや学問、誰々がこう語った、男はこう、女はこうといった語りが多かった
のが印象に残りました。このテーマは続けることで、
その先を語ることができるようになると思います。
ご参加ありがとうございました。
会の後、参加者の方からご意見をメールでいただきました。
性について語ることの難しさや対話における陥穽をついていたので、
ご本人の許可を得てここに掲載します。
***
相手の意見を自分と異なる一意見ととらえるのがいつもより難しく、考え方が違う場合に「そうじゃないでしょう!」と言いたくなってしまいました。。。自分も相手もただの一人の個人で、男性代表がしゃべっているわけではないし自分も女性代表にはなれないのに、世の中の男性の偏った見方を女性たる己が指摘しなければ!みたいに感じてしまいました。
普段の哲学カフェでは、全員の意見が多種多様であることが前提になっていて、「私個人はこう考える」がベースだけど、昨日はどこか「女(男)である私はわかってるけど女(男)ってこう考えるんです」「女(男)である私にはわからないけど男(女)ってどう考えるんでしょう?」みたいな、個人としてではなくその性別属性の人間としての考えを問われ、語ったような気がしています。
昨夜の「痴漢や性的同意なしのセックスは一部の不心得な男がやっていることで、善良な一般男性にはあまり関係ない」という論調は、私には容認できないものでした。「不心得な男性」以外の市民全体が、痴漢やレイプを嫌悪し攻撃するのが当然の社会であれば、性犯罪はきっともっとずっと減る。「よくないことだと思うし僕はしないよ?」というぼんやりした感覚は現在実際に起きている性犯罪を容認することと感じました。
以前職場内痴漢の話をしましたが、私があの時泣き寝入りを選ばずにすんだのは相手が男女問わず職場内で嫌われている人だったからです。多くの人はこの男を擁護せずに激しく非難するだろう、私を疑ったり攻撃する人はあまりいないだろう、そんな確信がありました。もし犯人が周囲と仲良くやっている人だったら、きっと言えなかったと思います。被害者が声をあげる前に、冤罪じゃあとかその程度でとか言われて攻撃されないだろうかと検討しなければならない社会を作り、結果的に加害に加担しているのは、性犯罪の存在をうっすら容認し、自分はしないからと容認していることを正当化している、自称善良な一般市民だと思っています。
昨日はそういった、発言を「容認できない」「そうじゃない」と感じてしまうことがたくさんありました。
意見を個人の一意見としてとらえられなかった。
Aさんが人種と同様に性も多種多様だとおっしゃっていたように、一人ひとりが異なっていて、女性は一人残らずこうとか男性は誰もがこうとかそんなことは誰も言えないはずなのに、どこか「女たちの意見」「男たちの意見」としてとらえてしまっていました。
難しいです。
考えるほどにわからなくなるのでいったん送ります。
***
私の返信
Aさん
今回のメールも非常に勉強になります。対話における陥穽といいますか、自分がどの位置から語っているのかという視点は常に重要です。
僕がオウムや植松死刑囚のことを異常者だとして線引きして自分とは違うと脇にどけて安全地帯に立つ人に危険性や苛立ちを感じるように、Aさんも性を語る人の、その語り方立ち位置に敏感だと思います。
きのうはそういった安全地帯から語る発言もあり、僕自身もそうであったかと思いうかつでした。
語りを対象化してしまって距離をとられることへの危うさを感じ、そういったスタンスそのものを問うようなメタな問いかけを今後はしていく必要があると思っています。
男性一般、女性一般の立ち位置に頼ってしまったのは、
性を個人的に語ることの難しさがあったのだと思います。ぼくは
ジェンダーとかではなく、もっとエロというか、
肉慾的なところの性を語りたかったのですが、
そういう流れにはならなかったですね。。