日常にある死と再生。昨日の自分と今日の自分は同じ存在だろうか。
そもそも職業とは誰かのニーズがあり、そのニーズに応えて成立するもの。アートには、もともとニーズがない。自発的に想いをカタチにしているだけ。だから職業となじまない。しかし、ごくまれに職業として成立してしまう者が現れる。ここが、幻想を生む原因だ。では、これを、どう考えれば良いか。
アーティストとして生きること 宮島達男
次のスポットは自然の造りだした「行者洞穴」へ。
波で浸食されてできた洞穴群。
ここがなぜ祈りの場、修行の場になったのだろうか、とか
どこまでが自然でどこまでが人工なのか、とか
さっき見た美術館との相関関係など浮かんできた問いは
後から集まって対話の題材としました。
浸食されるということは、ここが境界であるということ。
海と陸の、波打ち際の。
潮に常時晒されてつねに洗われて浄められているとも言える。
今の時期は夕陽が岩間のスリットから射し込む。
光線が倍加され、これを世界の開闢と感じることもできる。
子宮から生まれ出るときの眩い光とも。
何度でも生まれ直すことができる。
個と宇宙。そんなことを話しました。
岩場に打ち寄せる波は反響して反響して、
金属質の音のシャワーを絶え間なく浴びた。
行者洞穴を見終わった後、ちかくの浜辺に移動し、
ひまわりのオブジェの下で対話をしました。
最初の石仏から不均質な自然と人の美術館、そして行者洞穴で体感したことを
言葉にしていきます。
対話型鑑賞においては「どこからそう思う?」という問いかけが重要になってきますが
その根拠を語るのはなかなか難しかったりもします。
対話の間、間に聞こえる渚の音が心地よく、自然と同期するようなリズムで
話し聴き考える事ができたのは屋外ならではの体験でしたね。