対話と人と読書|哲学カフェ大分

大分市で哲学カフェ大分を別府市で別府鉄輪朝読書ノ会を開催しています。

バカ波。

 

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1週間のふりかえり

 

 

 

世の中の裏側にあるような貧しげな宿屋を見ると、私はむやみに泊まりたくなる。そして侘しい部屋でセンベイ布団に細々とくるまっていると、自分がいかにも零落して、世の中から身捨てられたような心持ちになり、なんともいえぬ安らぎを覚える。

 

『貧困旅行記つげ義春

 

 

 

 

 

 

月曜日

いかにも梅雨みたいな雨が朝から降りしきる。

昨晩は唐突に熱帯夜がきて、でもエアコンつけるのも悔しく悶々として眠った。

寝不足ぎみ。

 

夕方は少し晴れたので、走った。上り坂が苦でなくなったのは筋力と肺活量が増えたからだろう。そうやって「成長」が分かるとやる気も出る。小さな達成を刻む。

 

 

火曜日

髪を切る。

自分が詳しくない、人が熱中している趣味の話を聞くのが好きで、カットしてくれるFさんの釣りの話を聞く。以前沖縄に行ったときにタクシーの運ちゃんが海辺を走りながら、どんなに静かな波の日でも1日1回だけ、とんでもない大きな波が来て釣り人をさらっていくんだというのは本当ですかとFさんに聞くと、「そうなんすよ、バカ波と言って、とんでもないのが突然来るんですよ。1回死にかけましたよ〜」

バカ波という言葉を覚えた。

 

 

芦屋に六麓荘町(ろくろくそうちょう)という超高級住宅街があるらしく、それを延々と写し出している動画を見る。坂の上に上がるほど住宅規模がどんどん大きくなり高級な造りになっていくのがわかる。しまいには電柱電線が消える。町内会費が月50万円だという。コメント欄に「なんやこの町をみていると、“頑張ろう”って気持ちと、“死にたい”って気持ちが共存するわ。」とか「不便じゃないのかという意見があるが、このレベルになると便利が寄ってくる」とか「鳥のさえずりまで上品」とか書かれていて笑った。

 

 

水曜日

新しく拠点となる旧宅に残る粗大ゴミを一挙に出す。だいぶスッキリした。

床がだいぶ傷んでいるが、改修するといくらくらいかかるんだろう。

 

格安SIMに変えた。通信料が半額くらいに落ちる。

もっと早くやっておけばよかった。

 

 

 

木曜日

各種手当ての申請手続き。

天気が荒れ放題の気圧の急激な変化のせいか、ふらふらになる。

それしても福祉系の申請書類のわかりづらさよ。

自分はこれでも会社で総務とか補助金申請の書類の作成をやっていたので、

勘所はあるのだけど、それでもわかりづらいので、お年寄りだったり、

うつで頭がうまく働かない人とか作成するのはかなり厳しいだろう。

聞けばいろいろと教えてくれるけど。そこまでたどり着けるのだろうか。

 

 

 

 

金曜日

苦海浄土』三部の川本輝夫さんがチッソ社長に詰め寄って慟哭するところで、

おれも慟哭してしまった。

ここ1、2ヶ月、水俣の本ばかり読んで登場人物への感情移入が尋常ではない。

月末の『苦海浄土』読書会、2時間では惜しいなあ。1日かけてやりたいわ。

ん、いや、そういう企画をつくろうか。

 

晴れ間をぬって走る。30分ほど。雲間から輝かしい太陽が出てくる。

そんなとき「ブレードランナー」をラストをいつも思い出す。

 

一般社団法人の横判をデザインして、注文した。実印も作らねば。

 

ニラ玉ブタをつくる。卵を割ったとき、勢い余って手が滑り黄身がコンロと壁の間に、ずり落ちていったのをなすすべもなく見送った。

 

 

土曜日

お昼は、オンラインで対話の勉強会に参加。

梶谷ルールの①「何を言ってもよい」について考察し合う。

いろいろ他所さんの対話の場に参加すると衝撃を受けることが多い。

どれが正しい間違っているということではなく、その多様さに驚かされる。

 

世の中には2種類の哲学対話があるという。

配慮の哲学対話と哲学の哲学対話。

自分は両方とも好きだが、自分が主催している哲学カフェは前者のものだと思う。

それは自分の性質と参加者の人間関係、繋がりに負うところが大きい。

そこがどこまで「哲学」を妨げているのかは、考えたいところだが。

 

次回のテーマは「意見の否定がなぜ人格の否定につながるのか」について。

 

***

夜は、自身の主催するオンライン哲学カフェを開催。

今回は「癒し」について対話する。

対話の場自体が癒しだな、自分にとって。

他者との応答で自分自身との関係性が更新されるような感覚が癒しに繋がるから。

なにかとても幸福な時間を共有するのだった。 

 

 

日曜日

 

朝起きたときから、びっくりするような眩い晴天。

 

でも屋内で、片付け。片付け。

物があるから箪笥などの収納がいるのか、

収納があるからそのスペースを埋めようと物が増えるのか。

物の本質は後者の方だという感じがしてきた。

 

昨日のオンライン哲学カフェで、ある参加者さんからの感想に感銘を受ける。

様々な参加者がいる。話される人、話さない人。

ロジカルに話す人、言葉を宙に飛ばすことで自分の考えに辿りつく人、

終わって冷静になって考えが追い着く人。自己開示できる人。

フォローする人。呼びかける人。

共通するのは、強制とか押しつけがないこと。そして待てること。

そういう土壌が自然と?できたのは、ここに咲いた一つの花じゃないか。

 

 

 

 

哲学対話の楽しみは、慣れるにつれ

 

①安心した自己開示

②他人への共感と差異を感覚する

③他者の問いに寄り添う

 

と進んでいくように思います。

①〜③のどれも、学校の教室で行われると喜ばしいものです。

哲学対話を行わなくても、ルールを研究することは、

教員にとって価値あることと思います。

 

対話と〈わたし〉のいるところ Twitterより