伝わらなくても、自分の中で生まれ発せられたことばは、とおとい。
伝わらないことばほど、あなたの中でしか生まれないことばで、なおさら、とおとい。
伝わることばがすぐれているというわけでは、ない。
それは便利だが、伝わらないことばには、そのことばにしかできない、
ことばの役目がある。
対話と〈わたし〉のいるところ twitter
一週間だった。
月曜日
9時間くらい眠っていた。
横井庄一さんが30年近くグアムに潜伏していたときのエピソードを紹介する動画を見た。サバイバル技術が尋常ではなく、あり合わせのもので機織り機まで作って衣服を制作している。粗悪でも酒を作って現実の厳しさを忘れた。横井さんは途中まで3人で潜伏生活を続けていた。19年経って部下が舟を作って日本に帰りたいと提案し、夜になって山から島の海岸線を見下ろしたとき、木々はなくなり、アスファルトできれいに舗装されてしまっており、見つからずに脱出することができないと悟り絶望した。いつか日本に帰れるという希望がなくなった3人は徐徐に疲弊していった。他の2人より年上だった横井さんはお互い気を遣う人間関係を避けて1人別の場所で潜伏するようになった。ある日超大型の台風が島を襲いヤシの実がなくなり、生態系が壊れ、食糧不足に陥って衰弱した。しばらくして他の2人の潜む穴を除くと2人とも衰弱死していた。一緒に潜伏していれば助かったかもしれないと激しい後悔に襲われ自決を考えるも母の顔が浮かび思い止まる。生きて二人の遺骨を日本に持ち帰ることを生きることの支えとした。ある時アメリカ人に見つかってしまい、はじめは抵抗したものの、彼の家に招待され、ご馳走を食べ、病院に行き、日本に帰った。起承転結のごとく一編の映画のようにまとめられていて深く見入ってしまった。
火曜日
夢。大雨のなかオフィスビルに戻る。Yシャツが濡れて寒い。(実際にタオルケットが体から離れていて寒かった)外国人の女性とすれ違い挨拶をする。その女性は同じビルで働いている違う会社の人のようだ。その人とは数ヶ月前の夢の中で出会った人だった。今日はマスクをしていないので一瞬誰か分からなかったが、向こうから挨拶してくれて徐々に思い出す。遠い夢と今日の夢をつなぐ不思議さと再会できた喜び、暖かな感情がゆっくり甦る。英語か何か外国語で短い言葉を交わす。もっと長く話したい気持ちがあるが、仕事が始まってしまうので行かなければならない。そしてそれぞれの仕事場に向かうところで目が覚める。目覚めた後も幸せの余韻が濃密に残っていた。
日本の古本屋で購入してそのままになっていた講談社日本現代文学全集94「北原武夫・井上友一郎・田村泰次郎集」に収められている田村泰次郎『裸女のいる隊列』を読む。僅か数頁の短編だがあの戦争のはらわたが剥き出しに描かれている。鉄輪朝読書ノ会でとりあげたいが、入手困難なのと内容があまり凄惨すぎて諦める。課題としてとりあげたいが諦めた作品が選ばれた作品の背景に山のように存在することを書いておきたい。
小雨のなか走った。
雨に溶けて、雨とわたしの隔たりがなくなった。
水曜日
朝から大雨。
阿寒湖のマリモが岸辺に大量に打ち寄せられているらしい。或一定の周期で起こる自然現象のようだ。生き残る選択として〈受動〉を選んだ生物が好きだ。
全国の刑場跡ばかりを案内する動画を見る。
『もう革命しかないもんね』のオンライン出版記念対談の申し込みをする。
木曜日
少し晴れた。
午後から別府公会堂で湯けむり歴史講座に出かける。
今回のテーマは別府の温泉建築。
資料の残る明治期からの別府の温泉建築の変遷をたどる。
全体を俯瞰して思うのは、平成以降建て替えられたものは予算の関係か、
どれも味気ないものになってしまっているということ。
竹瓦温泉(昭和13年)などはほんとうに貴重な建築であること。
しかしそれにしても失礼ながら話す内容は魅力的なのに、
話し方が退屈で寝ている人も多かった。
登壇する立場にある人は、先生とかでももっと魅きつける話し方を
会得すべきではなかろうか。学校などとても大きな機会の損失になり得る。
生理中のFUCKは熱し
血の海をふたりつくづく眺めてしまう
あ、http://www.jitsuzonwo.nejimagete.koiga.kokoni.hishimeku.com
萩原裕幸
現代短歌をぱらぱらと読む。
金曜日
小雨のなか、走った。カエルになった。
走った後クールダウンにふらふらと歩いていたら、こんもりとした杜のある区域が気になって近づいたところ、なにか素敵な館が杜のなかに建っていて、中に照明が灯されているのが見える。表の方にまわり門にあった表札を見てみると、「おじいさんのもり」と書かれている。なんだこのメルヒェンは。どうも私設の図書館らしく、それも児童図書館で、後から調べたら中学生以下は入館できないこどもの聖域のような場所だ。すばらしい。1985年当時きちんとした公共図書館をもたなかった別府に、大分瓦斯元会長の松本氏が私財をなげうって建てたようだ。自分が私設の図書館を建てるのならこういうのがいいと思わせるような、イマジネーションをかきたてる。災害に弱いオール電化などやめてみんなガスを使おう。
熊が街に出没し、「駆除」されたという。
駆除という言葉がきつすぎる。
命にたいして駆除とか処分は使ってはダメだ。
そうい言語感覚といじめやヘイトはつながっている。
川瀬敏郎の『一日一花』
今日は室町時代の古銅亜字形華瓶に石榴(ザクロ)が活けられている。
つぼみと開花と実が三位一体となって表現されている。
この本は思い出したときにぱらぱらめくって眺めている本のひとつ。
土曜日
朝方、地震があった。昨晩寝る前に南海トラフ地震5年以内に起こるという警告動画を見て眠ったので、一瞬でもかなり怖かった。夢かと思った。夢と地震の親和性。明恵の夢日記にも地震の記述がなかったけ。けっこう揺れた感じがあったがオカユは寝たままだった。
今日は桜桃忌。以前は三鷹に暮らしていて太宰のお墓が近くにあった。桜桃忌にはたくさんの人が訪れ、桜桃やタバコ、酒がお墓に所狭しと捧げられていたのを思い出す。なかでも、太宰治と暮石に彫り込まれた文字の窪みに桜桃が冗談のように押し込まれていたのはなんとも太宰の愛され方を想起させた。ちなみに太宰の墓の前は森鴎外の墓があった。
別府の豊泉荘で。ここの建物の改修に以前何度も来たことがあり、懐かしい施設だ。利用したのは初めてだ。なかなか高額なセミナーだと思っていたが、その価格に見合う内容だった。温泉分析表を読み込むことができるようになったのは嬉しい。温泉地鉄輪に住んでいるから、温泉の基礎的知識を得たかった。講師の話がうまかった。1秒も途切れることがない。配布されたテキストも450頁以上あり、かなり充実している。じっくり読みたい。
隣に座った女性がとても綺麗な人だなと思っていたら、後でミス別府の方だと知った。
「声」とはなにか、みんなで対話した。良い夜だった。
この哲学カフェは、ぼそぼそと話すことが受け入れられる余白がある。
ハキハキ理路整然と話さなくてよい。
言葉になる前の、思考として形をもつまえの、
つぶやきや独り言のようなものでさえ、オチがなくても語ってよい。
それが哲学かと問われれば心もとないが、
未形のものに対する畏れや敬い、萌芽の可能性は残しておきたい。
そのほとんどが空振りだったとしても。
日曜日
朝起きてカーテンを開けると夏のような光がはいってきた。
清々しい。
冨士屋さんからピアノ曲を練習している音が聞こえる。
トトロの曲が行きつ戻りつ弾かれている。
これ以上ないくらいの平和な日曜日。
すこしだけ蝉が鳴いた。早いと思ったのかそれ以上は鳴かなかった。
窓を開けていると田んぼの匂いがどこからかする。
この匂いはとくべつ私を落ち着かせる。
だが近くに田んぼなど、どこにもない。
夏思わせる強い光線が、まぼろしの匂いを導いたようだ。
次の対話の企画や、読書会で読む小説を決める。
こういう時間が一番愉しい。
自分のゆたかさを他者に循環させるよろこび。
以前友人の占い師に占っていただいたときに言われた言葉を思い出す。
今日は一日中気持ちよい風が吹いていて、
干している白いシャツが風にたなびき、
猫がねむる。
それ以外になにがいるというかな。
欲望のうつわが小さくなっていく。
明日は夏至だと、いただいたメールで知る。
風のそよぎ、温度や光の変化、微かなゆらぎを丁寧に感じていく日々。
なぜなら、カミというのは、
太古から人間をして心からよかったと思わせてくれてきたものの総 称だからである。
『ここで暮らす楽しみ』山尾三省