対話と人と読書|哲学カフェ大分

大分市で哲学カフェ大分を別府市で別府鉄輪朝読書ノ会を開催しています。

エリ・エリ・レマ・サバクタニ

 

 

 

 

ここにすべてがあるから、わたしは書くために遠くまで行く必要はない。

 

辻山良雄

 

 

 

 

 

f:id:kannawadokusho:20210705191225j:plain

鉄輪温泉渋ノ湯の裏手にある月を象った碑。どういう意味があるのか分からない

 

 

一週間

 

 

月曜日

暑い、蒸す、これはもう夏だ。クーラーつける。

 

 

昨日の韓氏意拳の稽古の残響、筋肉痛。普段ジョギングなどで鍛えている身体とは別の身体が私のなかで生き始めているのか。

 

 

近所のコンビニで働くもう長いお局様のような女性店員がいるのだが、「いらっしゃませ〜」とか「ありがとうございました。またお越し下さいませ〜」のかけ声に強い癖があり、なんというか後を引くような、しゃくり上げるような言い方をしていて、いつも気になっていた。このコンビニはAPUに近いこともあり、外国籍のアルバイト店員も多く働いていて、今日久しぶりに訪れたら、その外国籍の店員みんなのかけ声が、そのお局様の言い方と全く同じ癖の強い言い方になっており、笑いそうになった。それが標準的な言い方だと思って真似たのか、自然に感染したのかはわからないが、言語習得の一場面に立ち会ったようだった。

 

 

教養系YouTuberのある人が某新興宗教を紹介する動画を作っているのをたまたま見たのだが、教祖の写真が全然別人でその致命的すぎるミスに看過できず、思わずコメントを投稿した。わたしは信者でもなんでもないが、嘘が教養として流通していくのは耐え難いものがあった。

 

 

 

火曜日

ホン・サンス監督「逃げた女」をシネマ5で見る。いつも以上にミニマルに仕上げてきた感じだが、ホン・サンスの世界は常に開かれていて、ひとつの解釈に狭められない。というか解釈に意味がない。映画の中の映画。フレームの中のフレーム。内と外がくるんとひっくり返る快楽を何と呼ぼうか。

 

 

映画館から出て歩く。東京に住んでいた頃、映画を見て映画館を出て渋谷などの駅にそれぞれ黙って向かって行き、初めは塊だったものが、見た映画を抱えながら群衆のなかにそれぞれ消え離れていくことが、とても尊く厳かなもののように思えたこと。

 

 

水曜日

いまいち調子が上がらない1日。

そういう日はそういう日で。

 

 

新しいキーボードが届く。高かったけど、快適だ。打つストレスがない。 理由もなく打ちたい。気持ちいい。

 

 

 

 

或る朝、なんの前触れもなしに一台のスピネットピアノが私たちの家に運ばれて来た。それが、未だ面識のない黛敏郎氏から送られて来たものだと知ったときに、私は音楽という仕事の正体に一歩ちかづいたように直感した。

 
 

私が理想とする音楽の聴かれかたは、私の音が鳴って、そのこだまする音が私にかえってくる時に、私はそこに居ない—そういう状態だ。

 

 

『音、沈黙と測りあえるほどに』武満徹

 

 

 

 

木曜日

いまいちの調子でうだうだする。湿度か気圧か。 

 

 

はっきりしていることは、〈流祖の時代〉の刀法は、予測を許さない禍々しい敵手との百年の葛藤の末に生み出されたということです。そうした敵手を背腹に受け、脅しも、すかしも、厭がらせもしないものが、上泉伊勢守の刀法であった。彼の刀法がこの時代を制したことは、文化上のひとつの奇跡にほかなりません。制したとは、単にたくさん勝ったということではなく、勝つことの意味を変え、敵手を説得する「太刀(かた)」の価値を創造し、下克上を超える晴れやかな生の肯定をもたらしたということです。私が稽古する刀法は、このような一人の人物を明確にその起源に持っています。

 

剣の思想』甲野善紀前田英樹

 

 

 

下克上を超える晴れやかな生の肯定か…すごいな。

 

 

 

金曜日

激しい雨が朝から。 

少しずつ調子を取り戻す。

 

 

 

救われたいと思っていた、でもそうでない自分もいた。と書かれたつぶやきを見た。

 

 

好きなことで生きていくというより、嫌なことで死なない。という言葉を見た。

 

 

 

土曜日

激しい雨。少し涼しい風。

少しずつ調子が戻っている。

 

 

夢 

映画美学校時代にお世話になったA監督との夢を見る。A監督いやA先生は、私の顔を久しぶりに見るなり「お、元気がないなあ」と言った。ドキリとした私は一方で嬉しくもあった。20年以上ぶりの夢の中での再会であるのに、そんな時間の厚みはない。夢に見るというのはおそらくその関係性が完了していないからだろう。なにか残してきたものがあるのだろう。師と弟子、先生と生徒の関係は恋愛よりも一筋縄ではいかない。憧れとか尊敬だけではなく、敵意や憎しみもあるかもしれない。誰にでもそんな「先生と私」はある。

 

 

夜はオンラインでの哲学カフェを開催する。いつもは5、6人くらいだけど今回は10名と少し多い。最初、zoomがなぜか不調でとても焦った。イベント中止が何度も頭をよぎったが、ぎりぎり開けた。

 

テーマ「諦めることとは」について対話した。とても楽しかった。この時間の豊かさをどう表現したらいいのか分からない。

 

ある参加者の「諦めることは自由になること」という言葉がこだまする。

 

詳細は開催報告にてまとめます。

 

 

 

日曜日

九州南部は梅雨明けしたらしい。

大分も午前中は夏のような陽ざしだった。

 

 

輪島の塗師赤木明登さんが大分に来ていることを知る。赤木さんは中央大学で哲学を学び、その後編集者の仕事をし、輪島に渡り塗師になった。漆塗りは静かだという言葉が忘れられずに私のなかにある。

 

 

夕方走る。40分くらい走って20分くらい歩く。

全身汗びっしょりになって、温泉に入っていく気持ちよさをどう表現したらいいのか。

 

 

国東の写真家Tさんがワークショップの企画を立てたとのことで相談にのる。

 

 

アイスは一日一本までと決めており、今日は昼過ぎに食べてしまったので、

夜に食べたくて食べたくて悶々とする。