8月のオンライン哲学カフェを開催しました。
今回のテーマは「過去の行為をさかのぼって罰することとは?」でした。
SNSにおいて、過去の言動が永遠に「過去」になってくれず、いつも現前化した状態で表れるというインターネットの特性(書籍や手紙などなら古くなることが身体感覚でわかるけれど)が、過去の行為が暴かれ裁かれる要因に寄与しているのではないのかという問い。そしてそれが匿名によってなされるということ。そこに責任はない。またそれが定型化していることについて。
・承認欲求を充たすために罰する
・反省を促すのではなく、一発退場。社会からの排除になっている
・自分より力があるものを引きずり下ろす快感
・自分の影響力を行使したいという欲望
・「反省」という概念が消えているのではないか、だから罰するしかなくなっているのではないか
話は現代から、過去の戦争責任について考えました。
・国家の責任と個人の責任
・責任は英語でresponsibility...response...応答するということ
・過去からの無限の呼びかけに応答する、聴く
・考え続けること
・「当事者」はやがて死んでいく。引き継いでいくということ
・責任は終わらない。ここまでやったからOKというのはない。
・個人を超えた責任
・関わっていなくても責任がある
・気づいてしまった、知ってしまったことの責任
・未来に対する責任
・かつて同盟国であったドイツの犯したホロコーストは日本と無縁ではない。フランスがホロコーストを批判するのと同じようにはできないはず。
・やはり教育の問題の大きさ
などなど、テーマの持つ難しさを前に少しずつみんなで言葉を紡いでいったように思います。「和解」や「無条件の赦し」「忘却」、法との関連までは時間的にいきませんでした。
正面切って、このようなテーマをじっくり考える機会を今回持てて良かったという声が聞かれました。普段思っていることを、考えて言葉に出して他者に投げかけてみることで、違った響きになるという体験は他にないものかもしれません。
ご参加ありがとうございました。