対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催報告】オンライン・ソーシャルカフェ 9.25

 

 

 

 

先日、かつてヨーガを個人的に習っていた先生とひさしぶりに電話でお話する機会がありました。近況をお尋ねしたら、「必死の思いでヨーガのレッスンを受けに来る人たちがいるので、感染対策をしながらヨーガ教室はずっと休まずに続けています。」とおっしゃっていました。「必死の思いで」という表現にハッとしました。

 

 

藤田一照「お前はお前の主人公か?」『不要不急』新潮新書

 

 

 

 

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オンライン・ソーシャルカフェを開催しました。

「デートは不要不急の外出か」をテーマに、みなさんと対話していきました。

 

対話に入る前にみなさんの今回のテーマについて考えているところを聞きました。

 

・デートは不急であるかもしれないが、不要ではないだろう

・コロナとどう向き合うか、どう考えるかは個人差があり、その対応の如何によってはお互いがすれ違い齟齬を生む破局に至ることもあるだろう

・感染対策を守っていくと、元々の関係は維持できるけど、新しい人間関係が拡がっていかないことに気付いた

・なので逆にこのコロナ禍のなかで出会えた人とは縁があるのかもしれない

・コロナの中での人間関係をどうするのかがテーマ

・生身の出会いがないと、オンラインとかでは思いやりが行き届かず出会いから結婚に至るのは難しいのではないか

・人間は生きるため(働いて寝て食べて)以外のことが大事なので、これ以上の我慢は無理なのではないか。そろそろ限界にきている

・オンラインによって全国から海外からの人たちとの出会いがあったのはコロナのおかげ

・医学的な知見に基づいた(とりあえずの)正しい根拠でもって行動するということがあまりなされていないのは、政府の対応に問題がある。コロナが原因で破局に至ったカップルは、そのカップルだけの問題ではない。

・コロナが価値観のふるいになっている。

・価値観ってなんなのか

・オンラインで会うことは、「会った」ことになっているのか。

 

最初のみなさんの考えを引き継ぎながら、対話に入っていきました。

 

ここまでが政府のやるべきことで、ここからが個人がやるべきことといった線引きがおかしくなっていて、本来個人が悩んだり議論したりすることではないことに悩んでいるのではないのかという問い。それは政府からの情報不足に起因するという意見もあれば、政府がどれだけ手を尽くしても個人を管理するのは難しいといった意見もありました。カップルがコロナが原因で対立してしまうケース、その原因は誰が作っているのかという問いも。

 

コロナが難しいところは、自分が無症状でも他人に感染させる可能性があるというところで、「他者」をどう考えるのかという哲学や倫理との親和性が出てきます。

 

自粛や行動規制を「やらされている」ととらえるのか、「主体性」をもったものとして自らがやるのか。政府の指導に従うことは受動ではなく、受動的能動ではないのかという意見もありました。またコロナを通して意外にも人に会わなくても平気だという自身の非社交性を発見された方も多いようです。

 

 

この対話に場においても、地方に住む人と都会に住む人との間にはずいぶん温度差というか緊張感の違いがずいぶんあるなと話していて感じました。当然と言えば当然かもしれませんが。その危機意識において、深くシビアに考えている方とゆるく受け止めている方の違いが興味深かったです。もちろん住む場所だけでなく、働いている環境とか一人暮らし家族暮らしによってもずいぶん差が出ますね。クールダウンのための対話語の2次会の語りでは、会うことでいきなりコミットメントが要るという話もあって、そんな覚悟のようなものが自分にはなかったのでたいへん驚きました。会うことの「必死」みたいなのがあるのかもしれません。

 

 

コロナはいろんな切り口で語れそうです。今後また違ったテーマで扱いたいと思いました。ご参加ありがとうございました。