よくいるかホテルの夢を見る。
夢の中で僕はそこに含まれている。
「あなたの話をして」と彼女は言った。
ただ踊っているだけだ。意味なんかないんだ。
あなたが泣けないもののために私たちが泣くのよ。
僕は何か自分の為に文章を書きたいというような気持ちになっていた。
村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』(講談社文庫)
十月の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。
今回は村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』をとりあげ、皆さんと対話しました。
コロナも落ち着いて、参加者が少しずつ戻ってきました。
はじめにみなさんの全体的な感想を聞いてみました。
・読み切れる自信が最初はなかったけど、楽しく読めた
・会話文がお洒落、おかしい、軽妙
・よい食事ってなんだろう?
・読む前は拒否反応があったが、最後は主人公に好感をもてて読めた
・音楽に詳しければ、もっと立体的に楽しめるのに
・30年ぶりに読み返す機会を与えてくれて、ありがとうございます
・私も主人公と当時同年代。ユキは今は46才になっている
・知り合いが大ファンで、村上春樹の作品を読むことで救われたというが、私には夢の話など難しく、みなさんの話しを聴きに来ました。
・初めて読みました。スタイリッシュな文体だった。経験のない出来事が、普通に起こるように書かれていた。音楽が好きなので、シンクロして聴いていた。
・村上春樹の世界性、どこの国で読んでも違和感がない。集団的無意識、別次元へのワープ、トラベルにわくわくした。
・彼は死んでいるとの声を聞いた
・昭和の終わりに書かれた作品なのに、いまだ新しく光を放っている
・同世代でもある、私の中のムラカミハルキを壊したくなかったけど、読むと勇気が湧くのはなぜなのか、知りたくて来た
・シューベルトの音楽を聴きながらずっと読んだ
・まだつかみきれていません。新しい経験でした。みなさんの話しを聞きたい
・苦手でやれやれと思ったが、パレードやカーニバルのように楽しく読んだ
・はじめは苦手意識があったが、楽しく読めた。これは関西の感覚!
・下巻は笑いっぱなしだった。
いるかホテルとは何だろう。怖くもあり、慰めでもあるその空間を一人ではなく、何人かの人とつながって共有している。夢や異次元の世界では、生きる死ぬは関係なく存在する。どうしようもない欠落感も同じように関係の無い空間。
自分というのはふわふわしていて、自分というものを知りたいとき、他者が必要となる。他者の中に自分を見出していく。そうやって自分の確かさを得ていくのだと思う。そういう確かな経験がないので羨ましくも思う。
清潔感。日本の私小説とは違う清潔感がある。心と体は別である。清潔なセックス、料理、睡眠。生理的欲求をきちんと描いている。
リラックス。通常使われる語意とはすこし違う。素の自分でいられること。主人公の僕は不思議と人をリラックスさせることにたけた人。セックスもリラックスとして考えている。
娼婦への態度。職業に対するリスペクトがある。恋人とは態度が違うか否か。
踊ること。ダンス・ダンス・ダンスの意味。文化的雪かきとイコールなのか否か。受動的な能動。ステップを間違いなく踏むということ。役回り。うまく立ち回ること。頭で考えている暇はない。ダンスは一人ではなく、イラストにあるようなキキの影、幻と組んで踊っているのではないか。
アイロンを丁寧にかけることが重要!
キキという名前がすばらしい。耳、聴く
救われるということが分からない。みなさんは集団的無意識を経験している?集団的無意識とは想像すること。この読書会でみなさんとつながって、考え方が変わっていくのもそれに近いのではないか。
これから!というところでタイム・オーバーとなってしまいました。純文学と呼ばれるジャンルの中で、日本でこれほど読者を獲得している現代作家はいません。新作を読めて、同時代に生きていることの喜びを感じつつ、間口は広く出口は狭く、作者が闇と光に向かって読むことがひとつの冒険であるような体験を与えてくれる作家はそう多くありません。今後も時機を見てとりあげたい作家の一人です。
むすびのさん提供のドリンクは作中に何度も出てくる、ピナ・コラーダを意識したパイナップルとココナッツのジュース。お食事は、「つながり」をキーワードにお米つながりで、米味噌、塩麹、甘酒を使ったお料理と踊り炊きの玄米でした。たいへん美味しかったです。ありがとうございました。
ご参加ありがとうございました。
次回十一月は『愛人 ラマン』マルグリット・デュラス(河出文庫)をとりあげます。
またの参加をお待ちしております。