対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

雲から抵抗へ

 

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この線路を降りたら赤に青に黄に 願いは放たれるのか?
今そんなことばかり考えてる なぐさめてしまわずに 

 

小沢健二

 

 

 

 

 

2021.11.1-7

 

月曜日

きりよく11月に入る。

今年もあと2ヶ月ということか。

 

 

以前このブログでピンホールカメラについて書いたら、

ピンホールカメラのキットを譲ってくれる方がいて、頂いた。

当たり前だが組み立てには精巧さが求められるようで、

時間のあるときにじっくり製作して、鉄輪の町を撮りたいと思う。

 

 

 

 

火曜日

眠い、とても眠い。

わたしのたましいはどこに行きたがっているの?

 

 

 

 

水曜日

眠い、とても眠い。

オカユに起こされる。

顔面が迫り来る。

 

 

 

鉄輪を案内した友人が鉄輪逗留を楽しんでいるように嬉しい。

鉄輪は狭いエリアに、たくさんの温泉とたくさんのお店があって楽しいと思う。

自然の造形と歴史と文化と商業。

落ち着いていて、ガヤガヤしていないからゆっくりできる場所だと思う。

なかでもすじ湯は一級品で、入った瞬間に他の湯とは違う泉質を体感できる。

でもそれを言葉にするのはむずかしく、とにかくすばらしい湯としか言い様がない。

 

 

 

新しく企画した声の文化を楽しむ「朗読部」の広報を始める。

すでに4人の申し込みがあった。

きっとよい会になる予感がある。

 

 

 

夜はオンラインで「翻訳を哲学する 柿木伸之×森元斎」をラジオのように聴く。

スピヴァックの"unlearning"という概念が気になって調べる。

スプヴァックはインド出身の文芸評論家。ポール・ド・マンに学ぶ。

学ぶことによって特権を解体し、他者に対する偏見を解きほぐす。

これを"unlearning"と呼ぶ。

学ぶことで自らを特権化するのではない。

違いを上下関係に置き換えるのではなく、違いとともに生きるための倫理。

今の状況にヴィヴィッドに響いた。

 

 

 

 

木曜日

別府大学へ司書の学びで一緒にになった方々と訪問する。

いつも市民図書館ばかりを利用していて、大学図書館は久しぶりで、

やっぱり大学の図書館の方が自分の読みたい本がたくさんあることに気付く。

利用カードも作れるようなので今度作ろうと思う。

 

ついで別府大学の変遷を紹介した展示室にも足を伸ばす。

ここで各時代の学長が紹介されていたのだが、ある名前に覚えがあり足が止まった。

 

 

賀川光夫名誉教授 考古学研究者

 

私が彼の名前を知ったのは、日出町出身の西部警察で有名になった俳優苅谷俊介の自伝であった。苅谷俊介氏は考古学をやりたくて俳優業をやめる。以下wiki引用

 

 

 

 

高校2年生のとき、学校をさぼるために学校の近所の発掘現場に通ったことがきっかけで考古学に興味を持つ。俳優となり考古学からは一時遠ざかっていたが、1980年に石原プロの社長だった石原裕次郎の新居建設現場から多数の土器を含む遺跡が出土したことを契機に、再び考古学への情熱が再燃。石原プロの副社長(当時)の渡哲也に事情を説明して所属していた石原プロを1982年に円満退社した。「考古学研究のため」とはどうしても言えなかったため、表向きの名目はあくまで「独立して俳優をやりたい」ということであった。

 

 

 

 

考古学をやりたくて俳優をやめた男。また彼には高2の頃、考古学者賀川教授との出会いがあった。しかし賀川教授は文春より偽造の嫌疑がかけられ、抗議の自殺をする。2001年3月のことであった。別府大学では不問のこととなっているのかもしれないが、私はこの事件を忘れたくはない。偽造の嫌疑は学者人生のすべてを否定される思いだったろう。

 

 

 

 

あの唾棄すべき「旧石器捏造事件」騒ぎの渦中、心ない雑誌記事のために自身に着せられた事実無根の嫌疑に対して、ただ静かに、しかし悲痛な覚悟を以て決然と抗議し、独り幽冥の途につかれた我が恩師、賀川光夫先生の死に際して、「賀川光夫先生の名誉回復の裁判を支援する会・神奈川県連絡会」を立ち上げ…

 

 

苅谷俊介『土と役者と考古学』(山と溪谷社

 

 

 

 

 

 

金曜日

佐藤泰志の原作を映画化した「草の響き」が最終日だったので、ぎりぎりで見に行った。まるで自分のことを描いているようだった。しかし、この種の「やさしさ」「弱さ」を描くには、70年代80年代は早すぎた。作品の弱さと受け取られた。今やっと読める時代になったのかもしれない。

 

 

 

 

 

俺はもう子供じゃない、友達がひとりあんなふうに死んだのに子供でいられるはずがない、と旗持ちの少年はいった。

 

佐藤泰志『草の響き』

 

 

 

 

 

土曜日

夕方にオンラインで保坂和志氏の「小説的思考塾 vol.5」

人は死に、猫も死ぬ。

その弔いの過程で、どこがいちばん死を認識するときなのかという問い。

ひとつは棺に蓋をして、釘を打つときなのではないのか。

死ぬ前の苦しみの姿に囚われてはいけない。

弔いに於ける、隠坊という存在を知る。

たしかに火葬場には「隠坊」のような役目をする人がいた。

このひとの力量次第で、その場で共有される死の意味が違ってくる

冒頭に挙げられた、井戸川射子『ここはとても速い川』を読みたい。

 

 

 

 

続いてオンラインで「対話勉強会」。合間にいただいた赤飯をかき込む。

対話中の問いの立て方についてがテーマだった。

ファシりも含めた対話というものに対する「教育」が必要なのではないかということ。

学校でそれができればいいのだが、それは期待できない状況なので、

対話のなかで問いを立てることで教育の場に成り得るのではないのか。

むろんここで云う教育とは、誰が誰に教えるというものではない。

協働的な探求の場としての教育である。

 

 

 

日曜日

よい天気。

少しだけ、ほんの少しだけ走る。

身体が重くなっているけど、気持ちが良い。

徐々に距離を伸ばしていきたい。

 

 

 

皿洗いをしながらラジオを聴く。

坂口恭平さんが六本松のスタジオに呼ばれて話していた。

鬱から復活しているようで快活なトークだった。

そのなかで彼のいのっちの電話の番号で、

090と080の違いで繋がってしまう番号があるらしく、

お間違いのないようにとのことだったが、

間違ってかかってきた場合はその人も切るに切れず話しを聞いたりしているようで、

笑えた。小説の題材になりそうな話。

 

 

 

夜、タランティーノの「ジャッキー・ブラウンをDVDで見直す。

かれの中でいちばん好きな作品かもしれない。

音楽があり、人生がある。

その後のタランティーノの映画、脂身の濃い豚骨ラーメンのようなものになるが、

これは蕎麦のような淡麗さがあり、当時見たときはあまり面白いとは

思えなかったので、年月を重ねて再会できたということだろう。

でもタランティーノは30代前半でこの作品を撮っているから、すでに老成の域に達し、

これから撮るたびごとに若返っていったとも言える。