対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

起きる前に跳べ

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愛隣的空間は、古代から現代まで、一貫して大阪の都市構造の重要な部分を担ってきた。どんなに大阪という都市が大きくなり、どんなにきれいでおしゃれになっていっても、形を変えながらも、愛隣的空間は不死身の生命力を発揮し続けてきた。

 

 

そのおかげで、大阪という都市は、「思想」をもつことになったのである。都市としての東京に、思想はない。

 

 

近現代になってからは、ドヤ型スラムとして成長していた釜ヶ崎で、キリスト教の修道女たちが、文字通りの愛隣的実践に、我が身をささげている。イエス・キリストの神は「無の神」であり、現世では財産を捨てた無産者のなかにこそ、この無の神の息吹を感じることができる。こう考えた修道女や修道士にとって、釜ヶ崎は最高の修行場であると同時に、神の祭壇そのものであった。

 

 

 

中沢新一『大阪アースダイバー』(講談社

 

 

 

 

2021.12.13-19

 

月曜日

ねこが寝ているときに体がピクピクッってなるのはかわいいな。

これも活元運動のようなものなのだろうか。

自分も寝ているとき,けっこう体を動かしているときがある。

単に運動不足なのかもしれないけど。

ばたばたしていると思う。

それで現実との「調整」を行っているのかもしれない。

 

 

 

火曜日

あるラインの30人くらいのグループに入っているのだけど、そこである大学生がレポートかなにかの提出のために分からないことがあって、それをラインで投げかけて答えをもらっている場面に遭遇した。グーグル検索的世界観とでも言うのだろうか。たしか内田樹氏が今の大学生はいかに効率よくコスパ良く単位をもらえるかが全てになっているみたいなことを書いていたが、そういう現場に遭遇した思いがして残念な気持ちになった。

 

 

 

水曜日

フリースクールのサポーターとなってくれるMさんをうかりゆハウスに案内する。

湯けむりの流れる、のんびりした鉄輪の空間を気に入ってくれた。

作為と無作為について話す。人間の作為はむしろ歪めさせる。

「こうしよう」というのを手放すこと。

福岡正信の自然農や無、中井久夫のことばについて語る。

 

 

 

 

 

 

俺が何かしているんだという主語が非常にはっきりしているときというのは、治療は上手いこといってません。中井久夫

 


世界は記号によって織りなされているばかりではない。世界は私にとって徴候の明滅するところでもある。それはいまだないものを予告している世界であるが、眼前に明白に存在するものはほとんど問題にならない世界で在る。これをプレ世界というならば、ここにおいては、もっともとおく、もっともかすかなもの、存在の地平線に明滅しているものほど、重大な価値と意味とを有するものでないだろうか。それは遠景が明るく手もとの暗い月明下の世界である。『徴候・記憶・外傷』中井久夫

 


もっとも、そういう場は、短期的には誰しも通過するものであって、その時には単なる「自己コントロール」では足りない。おそらく、それを包むゆとり、情緒的なゆるめ感、そして自分は独りではないという感覚、近くは信頼できる友情、広くは価値的なもの、個を越えた良性の権威へのつながりの感覚が必要であろう。これを可能にするものを、私たちは文化と呼ぶのであるまいか。「踏み越え」について 中井久夫

 

 

 

 

 

 

午後は横尾忠則展を見にOPAMへ。

すばらしいなあ横尾。すばらしい。愉楽。

10代からのファンで今も変わらず「私」を刺激し解放し続けてくれる。

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撮影可だったポイントで撮った。

 

 

そのままBareishotenさんへ。

オレンジジュースを飲んで、吉増剛造の『詩とは何か』を買った。

ここは散財するおそろしさがいつもある。

そして元気がもらえる場所である。

 

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木曜日

4ページものだったリーフレットを、6ページものに作り直す。

自分のやりたいことをグラフィックデザインとして表現するのは楽しさ極まりない。

寝る時間もいらないほどに没頭する。

 

 

ロゴはこんな感じでデザインする。Adobeで花巻というフォントを見つける。

宮沢賢治をイメージしているのかな。とても気に入った。

ネーミングも「とまり木」や「やどり木」「うもれ火」「こもれび」などもあったが、

「うかりゆハウス」の湯に浮かんでいる感じが良いとの声でこれに決める。

 

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金曜日

激しい風が始終吹き続けた。

別府湾の海は白波を立てていて、たしかに兎が跳ねているように見えなくもないが、

そんな趣を味わうより、ともかく寒かった。

 

 

そんななか「別府フリースクールうかりゆハウス」立ち上げのための定例打ち合わせ。

パンフレットの原案を見せて、あーでもないこーでもないと議論する。

パンフレットについて考えることが、そのままこのフリースクールとはなにかという

問いになっているから、今ここが重要なポイントである。

 

 

 

 

土曜日

午前中に別府鉄輪朝読書ノ会。

 

午後から朗読部。

だんだんみんな上手になっている。

朗読はやった分だけ上達する。

あとは自分の「味」や「特徴」をどう出していくか。

それぞれ違った人生の背景と声質があって、それが楽器となる。

 

 

夕方からは廣川玉枝 in BEPPU。

鉄輪が燃えていた。

 

 

余韻のまま、しばらく考えた。

ダンスではなく、舞踏のもっといい在り方と

神さまの在り方があるのではないのかと考えた。

人間の方に寄せるのではなく、人間が神の方に寄っていくような。

 

 

 

日曜日

氷点下の朝。

 

 

今日は一日アーダコーダ主催の「こども哲学ファシリテーター養成講座」。

第2部の今日は実践編とでもいうべき、実際にファシリテーションをした。

良い点もっと良くなる点を指摘してもらって、とてもいい勉強になった。

ああ早くこども哲学を学校や外でやってみたいな。