対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

社会も夢を見たい

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春さきの風  中野重治

 

三月十五日につかまつた人々のなかに一人の赤ん坊がいた。

朝の八時半ごろ、赤ん坊は父親と母親とに連れられて、六人の制服と二人の私服といつしょに家の前の溝板を渡つた。夏場はこの溝板がごとごというのだが、この時はすつかり凍てついていて悲しげなきしみ声を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

2022.1.10-16

 

月曜日

成人の日。カレンダーにはComing of age dayと書かれてある。

 

考え事をしながら温泉を出たら、コンディショナーを洗い流さずに出てしまったらしい。ドライヤーで乾かすときに違和感があった。まあそれだけ考えることに集中していたということにしよう。

 

 

勝俣州和氏が出ている街録chを興味深く見る。引き寄せる力と、ものを掴む力が強くて素晴らしい。生命力に満ちているというのだろうか。野口整体ではこういうのは体癖の何種に分類されるのかわからないが、何事にも前に進むときにはたぐり寄せて掴む力が必要だ。

 

昨日の対話の会の所感を参加者のKさんからいただく。

「リアリズムが強かった」という話。

社会も夢を見たい。現実を追認するだけの対話では集まり甲斐がない。

大人こそ理想を語るべし・

 

 

火曜日

清掃センターに正月にたまったゴミを捨てに行く。

キューインに頼んだ印鑑をとりに行く。

無印良品に注文した椅子をとりに行く。

 

 

 

水曜日

朝起きて、寒いなか温泉に入ってすっきりして、母屋の片付け、清掃をするのが

日課になっている。いい日課

 

 

 

 

物質というものが、いかにわれわれから遠くに存在し、その存在の仕方が、いかにわれわれから手の届かないものであるかということを、死顔ほど如実に語ってくれるものはなかった。『金閣寺三島由紀夫

 

 

 

 

かれの斬首の光景がどうしても浮かんでしまうし、

金閣寺』は物質について考え書かれた希有な小説だとも思う。

 

 

 

木曜日

窓から、雪が雨に変わったりまた雪になったり降りやんだりを繰り返しているのが見える。さらさらとくるくると。部屋にいても寒い。

 

本を読むときに炬燵から手を出すその手が冷えるので、左右交互に本を持ち替えて読み進める。

 

強い低気圧、荒れ狂う風、寒さ、曇天と揃うと調子が狂う、うまく眠れない。

 

 

 

金曜日

大分合同新聞起立性調節障害の記事。不登校の原因になっているようだ。

 

 

別府フリースクールうかりゆハウスの打ち合わせ。

フライヤーの構成の検討やPCゲームを取り入れるのかどうか話し合う。

読書や対話を軸にしてスタートしたこの学校には中毒性のあるゲームは

そぐわないのではないかという今のところの結論を出した。

 

 

 

土曜日

 

夜、オンラインで対話勉強会に参加。

テーマは「問いを深めるとはどういうことか?」

・対立する論が出たときに深まる気がする

・そもそも深める必要があるのか

・楽しさと深めるは両立するのか

・「わかる、わかる、そうだよね」は日常はまわるけど、深まってはいない

・深まるとはその人の背景がわかること

・深まるとはその人の思考と人生の絡み合いがわかること

・でも、プライバシーを明かすことが哲学対話の深まりではない

・答えはあるけど、問いがない人、出せない人は深掘りできない

・参加者の「深まり」がどうやったらわかるのか

 

 

 

日曜日

コロナの影響で軒並みイベントが中止になる。

脆い、ウィルスには勝てない。

勝てないと言うことは、こちらが軸になるのではなく、こちらが翻弄されること。

 

 

散歩して、荒涼たる冬景色のなかに、ふと蜜柑の橙色や蝋梅の黄色に出くわすと、ほっと救われる思いがする。

 

 

小倉に住む叔父が昔住んでいた家をフリースクールの拠点としているのだが、

片付けているといろんなものが出てきて興味深い。

今日は中野重治の分厚い詩集が出てきた。

どういう経緯でかれがこの本を入手したのか、そしてきちんと読んだのかは分からぬ。

挿んであった栞にも意思は感じられない。

ただこうしてわたしの手におさまって、読まれるに到ったことはたしかだった。

『春さきの風』を読む。短い小説。

「わたしらは侮辱のなかで生きています。」で終わる小説。