対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

空想のゲリラ

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「いろいろあったけど、よかったよかった」となる映画が多すぎる。本当はいろいろあったなら、人は取り返しのつかない深手を負い、社会は急いでそれをあってはならないものとして葬り去ろうとするだろう。人と社会の間に一瞬走った亀裂を、絶対に後戻りさせてはならない。あなたがささやかに打ち込んだクサビは、案外強力なのだ。よかったよかったと辻褄を合わせる必要なんかどこにもない。「たかが映画だろう」と周りは言うかもしれない。しかし映画とは何だ?ぼんやりとみなが想像するものだけが映画ではなない。表現の極北から見出される鋭い刃物のようなクサビで、人と社会を永遠に分断させよう。これら二つが美しく共存するというのはまったくの欺瞞だ。このような映画製作に挑む若者を探している。それは大島渚が切り開いた道であり、決して閉ざしてはならないと思うから。

 

映画監督 黒沢清

 

 

 

 

2022.2.14-20

 

月曜日

ひさしぶりに走った。気持ちがいい。景色に春の雰囲気を見出す。もう後戻りはしないのだから、これから寒さが戻っても着実に春になっていくという確信を抱く。

 

湯けむり展望台から見える景色が真上から太陽が傾斜地の家々の屋根を銀色に照らして、息をのむような絶景となっていた。あそこのビューは大分でも随一だ。

 

 

 

火曜日

声が大きい人というのはなんとも苦手で品のなさを感じてしまう。目の前が公共の駐車場なのでいろんな人の声が聞こえてくるが、でも声が大きいけど不快さがなく品を感じるのは、スーパーボランティアの尾畠さんの声で、いつまでも聴いていたくなるような色艶がある。それは多分伝えるべき相手を的確に捉えて向き合っているからで、でたらめにがなり立てるようなものではなく、方向性をもち的を得ている(説得力がある)からだと思う。

 

 

 

水曜日

わたしの尊敬する先生から「こども哲学」への申込みがあって、びっくりした。

それも近くにお住まいだったとは。

わたしは氏の授業を受けて、自分の長年やってきた対話の場がそのまま理論化される

思いがして、道がすーと白く開いていったのを感じたのだった。

びっしりと書いた講義ノートを幾度も振り返る。

 

・学習の成果として人はどのような社会をつくりだすことができるのか

・指導者は知識伝達より学習援助・共に学ぶ者(J・デューイ)

・ロジャーズの傾聴

マズローの持つことから在ることへ

・過剰な社会適応ー自己管理犬

・批判的省察とは自分の信念、態度、捉え方等々の背後にある前提を認識し、

それらが妥当であるかどうかを評価する学習である。

・自分で自分の前提を吟味すること

・差別を受ける現状を学習者自身が意識化し、それによって内発的に認識を変容していく(フレイレ

・意識化と対等な対話

・永遠の微調整。リベラルの根源は「寛容」(オルテガ

 

 

 

 

木曜日

夜中強い風、朝起きると鉄輪でも軽い積雪。

今日は体感的には今年一番の寒さだった。

日中もずっと冷凍庫の中にいるような。

 

 

 

金曜日

夜、カーリング女子のスイスとの準決勝を見るとはなく見ていたら引き込まれた。

ルールはよくわからないが、緊張感は伝わる。

笑顔と大きな声、エール、コミュニケーション。

よろこびと失望がくるくると入れ替わる。

それにしてもサークルの真俯瞰の映像は、

人を注視させる本源的な力があるように感じた。

黒魔術か白魔術かわからないが。

 

 

 

土曜日

二十四節季の雨水。その通りの長い雨の一日。

 

 

午後は、オンラインで『哲学はこう使う』

「私もAさんと同じ理由でそう思う」というのも十分な応答だけど、

これはなかなか対話の場で聞かないかな。

 

ビジネスの現場に於ける哲学者の存在について。

スナフキンのような。

監査役が哲学者の会社について。

いること、見ること、聞くこと、話すこと、書くこと、一緒に読むこと

MEMBER - Meta Inc.

 

 

そのまま折り重なるように、オンラインで安藤礼二氏の講義。

空海と表現の哲学ー真言曼荼羅・即身成仏」。

半分もわかならかったかもしれないが、始終レヴィナスのことを想っていた。曼荼羅は絵じゃなくて舞台。空海と折口と金沢庄三郎。羯諦、薩婆訶ー汝を祝福する。金剛とドゥルーズの生成変化などなど。金沢庄三郎という名前を初めて知った。

 

 

対話についてNさんより引用のコメントをいただいく

 

***

最近気になったフレーズを幾つか貼らせてください。
 
「考えるということは、むしろ弱くなることだ」
※永井玲衣「水中の哲学者たち」
 
「(語らい、本当の意味でのコミュニケーションは)じぶんを危うくすることでもある
鷲田清一「だんまり、つぶやき、語らい」
 
「対話は「わたし」の輪郭を開いて他者のアイディアを内側に取り込み「わたし」自身が変化していくプロセスです」
脅威に感じられた差異が可能性としての差異に変わるそれこそが、さまざまな脅威に囲まれ、差異への憎悪があふれるこの世界で、他者とともに生きていく方法なのではないか」
※松村圭一郎「はみだしの人類学」
 
対話は、難しいですね。。
自分を柔らかくして、場の中でたくさん考えられたらいいなと思っています。
 

***引用おわり

 

弱くなるというところで、いつか将棋の羽生善治が、

定跡(長年の研究から導き出された指し手)から離れると弱くなるんですという

言葉を思い出した。

 

でも定跡から離れないと、新しいものは生まれないのだ

 

 

 

日曜日

極寒。外は雪降るなか、第一回目の「こども哲学の時間」を開催した。

哲学対話じたい初めての方も多く、対話が終わった後やさしい気持ちになれたとの

コメントは嬉しかった。

 

 

終わって、フリースクールに4月から来たいという保護者の方と生徒さんと面談。

人が一人この世に生きるというのはたいへんなことだ。大人も子どもも。

でもその存在が、ただ在る、そこにただ居るということで、

祝福されるような世界をつくりたいと思う。

 

 

今日はとてつもなく寒かったが、魂は始終燃えていた。

 

 

 

無限と有限がなぜ同一なのか

なぜ神はおのれを表現せねばならなかったのか

安藤礼二

 

 

 

 

まだ道の終局を識らぬ人が、まだ見ぬ目的地を見ようとして、識ろうとして、いわば手さぐりで哲学して行くのではなく、すでに完全に識っていることを、識っているが故に、思索する、それが哲学なのである。

井筒俊彦 神秘哲学

 

『哲学の蠅』吉村萬壱より孫引き