対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

茶色い戦争ありました

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台北市 国立故宮博物院翠玉白菜」2018

 

 

 

幾時代かがありまして

   茶色い戦争ありました

 

      中原中也「サーカス」

 

 

 

2022.2.28-3.6

 

月曜日

あたたかい一日。春が近づいている。

 

録画していた「ぼくはしんだ じぶんでしんだ 谷川俊太郎と死の絵本」の番組を見る。すばらしい創作のドキュメント。作っては直し、作っては直す。

 

 

火曜日

春の兆しの雨が降る。

 

 

水曜日

春のきらめいた透明な光はいつまでも見ていられる。

潤いのある蒸気を通した光線。

学生の髪の毛の天使の輪が、春の光に照って動いているのを見るのが好きだ。

 

 

県北のある公立高校で哲学対話を実践されている方から招待の連絡をいただく。

学校内での哲学対話の実践に関心があるので、とても嬉しい。楽しみだ。

 

 

 

木曜日

水平社宣言から100年のようだ。

奈良にある博物館にはぜひ行ってみたい。

 

 

別府市教育委員会と話し合い。

学校での哲学対話の実践の可能性を探る。

ひとまず公民館で開催して、そこから認知を広げていくのはどうかという提案を

いただいた。

哲学対話は先生が先生でいられなくなることを云う。

その時間だけでも、ひとりの人間として問いに向き合えれば、得るものは大きい。

 

 

 

 

金曜日

いまおかしんじ監督の映画「れいこいるか」をDVDで見る。

ただただ素晴らしかった。素晴らしいものは人を沈黙へと向かわせる。

見覚えのある手持ちキャメラの撮影は鈴木一博だった。

主題は「ドライブ・マイ・カー」と似ている。

こどもの喪失に妻の不倫に。

でも私には「れいこいるか」の方がはるかに人を解放へと向かわせる力があると思う。

 

 

土曜日

月に一度の対話勉強会をオンラインで。

哲学対話でファシリテーターが大切にしたいチェック項目を挙げていく。

わたしは「笑い」の要素が対話にあったかを重視した。

対話に笑いは不要だとする意見もあるだろうし、狙って笑いをとるわけでもない。

笑いが起こることで、安全な場が立ち上がることも十分あり得るし、

難しいことを、きちんとしたことを言わなければならないという抑圧からも

解放してくれるのではないか。

間違ったことを言うのを恐れる先生たち。

強い者も弱い者も抑圧に晒されている。

笑いは一撃でそんな緊張をほぐすと思う。

 

 

日曜日

両親が鉄輪へ。

蕗をいただく。春の味。

お隣の冨士屋さんの庭から梅の香りがする。

でもウクライナでは戦争が起こっている。

義勇兵を求めている。

他の国のために戦うとは(命を賭す)どういうことか。

正義という観念のためか。

祖国というのもまたひとつの観念であるだろう。

観念のために人は生き、死ねる。

 

 

草間彌生の描いた富士山を見る。

草間彌生のあの水玉模様のついた南瓜を戦場に配置したい。

荒川修作の設計した家に住む者がこの部屋では悲しい気持ちになれないと

云ったように。あの南瓜を前にしては戦意は失われるだろう。

戦争を前にした「恥」を拭いうるのはいまのところ私にはこんなイメージだ。

あるいは犬を愛するプーチン、あるいは広島の原爆投下の映像を見て

参列者のなかで唯一十字を胸の前で切ったプーチンはどこにいった。

 

 

恥は革命的な感情である。マルクス