少女期のふしぎな眩暈花ミモザ
堺信子
ほととぎすの声こそ、恣意のまた恣意だった。
歌が続くかぎりは、永遠も恐れるものではない。
鉄鉢の中へも霰
2022.3.7-13
月曜日
ネコと遊んだ。
戦争があった。
火曜日
ネコと遊んだ。
戦争があった。
夜に招待されてオンラインで教育関係者の対話の会に参加。
横のつながり、意見交換の大切さをしみじみ感じる。
初めての参加であったが、Tさんに話を振っていただいて、
哲学対話の話などいろいろできて良かった。
水曜日
ネコと遊んだ。
戦争があった。
多くの人が死んだ。
月刊「セーノ!」の原稿をチェックバックした。
誕生日のディナーの予約をした。
バラエティ番組をつけると、何が面白いのか出演者はただただ狂騒的に大笑いしている。笑って彩りを添えることが仕事。心から笑っているのかわからない。
木曜日
ネコと遊んだ。
戦争があった。
いろんなメールのやりとり。
もう千人くらいとのやりとりをしてきたから、
メールの文面だけで、その人のことが分かる。
言葉には、その人そのものが宿っている。
スタジオジブリは小金井にあって、自分はかつて三鷹に10年ほど住んでいたので、
あのあたりの空気感が画面から伝わって、ただただ懐かしい思いで見ていた。
内容的にはポニョの製作過程を追った「ポニョはこうして生まれた」に劣るが、
スタジオジブリの雰囲気とか、周辺環境を見るだけでとても癒やされた。
「ポニョはこうして生まれた」はDVDで手元に持っておきたいと思う作品だけど、
価格が高騰していてなかなか入手し難いものがある。
あれは五月の武蔵野の空気感が伝わる、本当に(私にとって)貴重な映像だ。
むろんそれ以上に製作過程が素晴らしいのだけど。
金曜日
戦争。
ネコ。
花粉。
土曜日
夜、オンラインで「みんなで教育について考える哲学対話」。
コミュニティは一日ではできない。
回を重ねるごとに醸成されていくもの、を再確認した回だった。
普段は緊張しないけど、いつも哲学対話が始まる前は「緊張する」と仰有ったSさん。
未知なるものへの期待と不安に開かれている態度だと思い感心した。
日曜日
誕生日。年に一度の。
日出にある大神ファームに行ってミモザや河津櫻を楽しんだ。多くの人が同じく、この黄色、桃色、緋色の光景に春の訪れを感じたくて集まっている。ニホンミツバチもメジロも文鳥も人も同じように燥いでいるところに幸福を感じた。
夜は奮発してアットホームなフランス料理のフルコースをいただく。
美味しいものを、手の凝ったものを食べることの至福を味わい、心から温かくなった。
そういうものは戦争が始まると真っ先に消えていくものとしてあるものを確かめた。
いつも15分で食べ終わる夕食を1時間半かけてじっくりと食べて味わう。
これもまたマインドフルネスか。
レーヴェンイェルム将軍は、三十年前ふたりが別れたときと同じように、ろうそくの灯に照らされたマチーヌの顔を見た。ベアレヴォーの変化のないちっぽけな世界での三十年の歳月は、いったいどのような跡をひとりの女の顔に残しているのだろうか。
それにしてもその顔は、なんと清らかで気品に溢れていたことだろう。目は穏やかな信頼感にあふれ、口もとは愛らしく清らかで、思慮のないことばなどひとこともその唇から漏れることはないといったように見えた。
『バベットの晩餐会』イサク・ディーネセン