対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

ここだったら、居てもいいかな

f:id:kannawadokusho:20220418134416j:plain

 

 

 

宮沢賢治の生涯は「挫折」であったとひとはいう。賢治自身が「半途で倒れた」という以上それは正しいだろうし、わたしもそのように書いてきた。けれどもいったいどこに到達すれば挫折ではなかったというのだろうか。あるひとは賢治が革命の思想に到達しなかったから挫折だという。けれどもそれじたい挫折ではなかったような革命がこれまでにあっただろうか。

 

宮沢賢治 存在の祭りの中へ』見田宗介岩波現代文庫

 

 

 

2022.4.18-24

 

月曜日

100分de名著は、難解と言われるハイデガーの『存在と時間』を扱っているが、

分かり易い解説こそが『存在と時間』の本質から遠ざかることになっている。

私の感じる『存在と時間』の本質は、不気味とも言えるほどのあの不穏な文体にあり、

意外にも番組中の朗読や使われているイラストは、その不穏さに近いものがある。

 

 

今日も近隣にフライヤーを配っていく。

鉄輪はどこも快く置いてくれるのが嬉しい。

 

 

火曜日

朝起きてから、本を読むのが好きだけど、

作務というのか、まず掃除をしたり鉢に水をあげたりするのが、

心身ともに良いと感じるようになった。

 

 

日曜日の読書会に新しく参加の申込みが3人もあった。

 

 

 

水曜日

別府のもうひとつのフリースクール、みんなの教室のみなさんがうかりゆハウスに

立ち寄ってくれる。髙部さんのみんなの教室Tシャツがいい。

 

 

 

敬意を感じていた人のオンラインのセミナーに参加したが、

その人の商品を推す話、つまり宣伝ばかりでがっかりした。

たとえその商品が素晴らしいものであっても、

伝え方を間違える(推しが強すぎる)と嫌われるということを学んだ。

SNSでもそうだが、宣伝3別の語りが7くらいが丁度良いのではないか。

 

でも本屋の本の宣伝というのは、どんなに推されても嫌にならないというのは、

本というものが私にとってどれほど入れても痛くない精神と同一のものであるから

かもしれず、フリースクールや学び舎がそういう在り方に達したいと思った。

 

 

木曜日

生徒が休みになって、私も急に休みになるものの、

やることをしていたらあっという間に一日が終わる。

 

 

補助金申請への質問状が上から目線すぎて、辞退の旨を担当者に伝えると宥められて、

ふたたび申請するやる気を取り戻す。

 

 

夜、オンラインで哲学カフェの実践者交流会に参加。

途中までしか参加できなかったけど、ゲストの永井玲衣さんの説明が

声の通りも良くカジュアルで分かりやすく感銘を受けた。

彼女の哲学カフェへの愛を聞いていて、また違った側面から捉えることが出来て、

自分のやりたい方向性が見えた。

こんなふうにも捉えられるのかと、自分もこんなふうに捉えたかったんだと、

嫉妬を覚えるほど、その感覚が良かった。

 

 

金曜日

オーストラリア在住でサポーター会員の大晴さんと

Zoomで繋いで、世界のリアルをインタビューした。

オーストラリアの時間に追われない「豊かさ」を羨ましく感じつつも、

たとえば京都とか大阪のような「豊かさ」を私は愛していて、

じゃあどちらをとるのかといえば後者になるけど、

それは日本の過労死とか鬱といったものと不離なものなのだろうか。

 

 

 

土曜日

以前から気になっていた明礬うどんにごぼう天うどんととり天を食べに行く。

細麺のうどんってなかなかなくて、通い詰めそうな予感。

出汁がしっかりしつつ、それでいて濃いという感じでもない。

ごぼ天もとり天もサクサクして美味。

 



 

 

日曜日

月に一度の別府鉄輪朝読書ノ会。

今回は、アンドレイ・クルコフがロシア語で書いた

ウクライナ文学『ペンギンの憂鬱』を読んだ。

私は文学を読むということで、かろうじて私は平和を願っているのだろうか。

これは無力なことなのか。遠いウクライナから離れた温泉街で想うことは。

 

 

 

 

 

知床半島の観光船の事故。

数年前知床を訪れて、その自然に魅せられた人間としては残念で仕方がない。

人間がいるところには欲望がある。戦争もあるし、憎しみも悲劇もある。

それがあのうつくしい知床の風景とそぐわないのは矛盾でもなんでもないの

だろうけど、やはり営利先行のこういう事故は起きて欲しくなかった。