Nagasaki,2013
サングラスのうしろで目をなかば閉じ、家々の番地も街路の番号も見ないように歩いた。
2022.6.27-7.3
月曜日
5時起床。
昨日の読書会の余韻。
すぐ隣のむすびのさんで行われたというのが信じられなくもあり、夜の静けさにまぎれて亡霊のように浮かびあがる。
関東地方や九州南部では梅雨が明けたという。
古くなったマッサージチェアを2脚処分したら、1階がスッキリした。
断捨離ってなんだろう。
物がまとう古い気配が消えることが、生を活性化させるのかもしれないが、
アンティークがもつ良さも捨て難くある。
火曜日
大分・別府も梅雨が明けた。まだ6月なのに。
熱波がキツい。
大分合同新聞の取材を受ける。
フリースクールうかりゆハウスの理念について語る。
VUCA(ブーカ)の時代に対話と哲学。自分で考えること、問いを持つこと。
不登校は感度が高いだけだから負い目を持つな、VUCAの時代に。
V:Volatility(変動性)
U:Uncertainty(不確実性)
C:Complexity(複雑性)
A:Ambiguity(曖昧性)
私としては曖昧性の世界というのがもっとも興味深い。
水曜日
紗良さんが大阪から来てくれて、ラッピング講座を開催する。
見学希望のお母さんが見えられて、お話をする。
結論は急がず、自由に語りうる空間をつくりたい。
木曜日
6月とは思えない暑さ。
見学希望のお母さんと娘さんが見えられて、お話をする。
「問題」は個人のなかには存在しない、「問題」と思わせている構造やシステムが
あるだけ。だから自己責任というのは成り立たないし、ネットワークで「問題」を
背負っていけばいい。うかりゆハウスをそういう場所にしたい。
金曜日
7月になった。
見学の方が増える。活動に関心を持ってもらって嬉しい。
対話的な居場所としてのうかりゆハウスに興味を持っていただき、
ボランティアで関わりたいと言ってくださる。
こちらの理念を理解してくれてそこに共感して声かけしてくださるのはとても嬉しい。
おそらくこれからフリースクールのようなものは増えると思うが、
背景にはっきりとした主催者の考える理念や哲学がないものは消えていくだろう。
土曜日
OPAMへ国立国際美術館コレクションへ。
荒川修作の初期の作品「抗生物質と子音にはさまれたアインシュタイン」と岡﨑乾二郞氏の「光にとって空気は透明ではない(侵入の妨げ)。だから天空には星!つまり窓が開き、夕方には眩しい光(言葉ではない)が地上へととどく。」が見られて良かった。
ああやっぱり美術で戦ってきた人たちの痕跡はいいなあとあらためて20世紀と21世紀を振り返った。
日曜日
オンラインでの対話勉強会。
組織改革などに使われるホールシステムアプローチの手法を学ぶ。
旧来のギャップ・アプローチ(問題や欠陥を特定し、修正していく)から
ポジティブ・アプローチ(本来の最高の価値を発見し、どうあるべきかをダイアログ)
へのシフトというのが目から鱗だった。
ずっと間があいて,どこにも帰りつきたくない屈託者が川風をよすがに歩きつのってくると,ちょうどすぐ手まえまで来ていたその橋を,乗り合いの大型車が渡るところだった.夕日と夕雲とそれを映した川面とを総身のがらすに蒐め,ばらいろにゆらめいて過ぎた.橋うらにこもる音の非情に気がすんでそこから折りかえし,つぎの晩夏,町は去られた.
『累成体明寂』黒田夏子