対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

ゆったりと真にカルチベートされた人間になれ

 

 

 

 

「もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生わすれないで覚えているぞ。君たちも、たまには俺の事を思い出してくれよ。あっけないお別れだけど、男と男だ。あっさり行こう。最後に、君たちの御健康を祈ります。」すこし青い顔をして、ちっとも笑わず、先生のほうから僕たちにお辞儀をした。
 僕は先生に飛びついて泣きたかった。

 
 

太宰治『正義と微笑』

 

 

何度も引用している気がするが、何度でも引用しよう。

 

2022.7.11-17

月曜日

先週のことはもう思い出せなかった。

 

 

火曜日

みんなで餃子の皮を使ってひとくちピザをつくった。

あたらしく来た生徒と古株の生徒とのハーモニー。

 

 

大分でコロナ感染者が千人を超えた報

 

 

夜は教育関係者の集い。オンライン。

 

 

水曜日

大晴さんによる「世界のリアルな話!」を開催した。

オーストラリアの冬の淡い光がオンラインの画面からでも感じられた。

 

 

木曜日

宗教について、いつかちゃんと書きたいが、

にせものの宗教ほど流行りやすい、それは「わかりやすい」からだ。

 

 

 

金曜日

お母さんと面談する。

一人一人の話をじっくりと聴ける場があるということは、

本当に素晴らしいことだ。

やっていてよかったなと思うときのひとつ。

 

 

 

土曜日

フリースクールの下を歩く若者が、「こども哲学」の看板を見て、

おれ、こういうのやりたいんだよなと言っているのが聞こえた。

 

 

別府フリースクールうかりゆハウスは大人にとっても子どもにとっても

社会的な居場所であることを目指している。

大江健三郎の小説を読むと、ここが魂の居場所であるような、

深いところから発せられた言葉を読み取って私の魂は安堵する。

 

 

 

 

夕暮れのフランクフルトに汽車が到着する直前であったが、ラウリーのもっとも美しい中篇に思える『泉への森の道』の、作家であり音楽家でもある語り手が、創作への励ましをもとめる祈りを書きつけた箇所に、僕は新しく自分を引きつける契機を見出したのである。

 

『新しい人よ眼ざめよ』大江健三郎講談社

 

 

 

 

 

日曜日

こども哲学の時間を開催した。

やさしい時間、やさしい時間がながれる。

参加者のKさんと永井玲衣さんを大分に呼ぶ話をする。

 

夜、永井玲衣さんのスペースを聴く。

永井さんが7刷になった『水中の哲学者たち』を朗読する。

文体と声質が寸分も違いなく一致して心地よかった。

もう一度読もう。

 

 

 

 

好きな木が切られて、かなしかった。ここからでも、哲学は始めることができる。

 

『水中の哲学者たち』永井玲衣(晶文社