対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

おのれ自身の端緒を更新されよ

 

 

 

「水浴」の裸体は、むろん誰の裸体でもない。ここにいるのは、あれこれの〈人物〉ではない。これらの裸体は、マルヌ川の水に浸った少年の裸体を通して、ありうるすべての裸体へと拡がっていった感覚の生命である。

 

セザンヌ 画家のメチエ』前田英樹

 

 

 

 

哲学とはおのれ自身の端緒が更新されていく経験である。

 

メルロ=ポンティ

 

 

 

 

およそ言葉というものはすべて場違いでしかないと思われた。

 

『モロイ』ベケット

 

 

 

 

2022.8.15-21

月曜日

終戦記念日。サイレンが鳴る。

 

明治維新から終戦までが77年で、終戦から今年で77年。早すぎる、遅すぎる。

 


長崎では昭和、平成、令和と被爆体験者に原爆の絵を描いてもらっていて、昭和、平成では遺体が多く描かれているのに対し、令和では焼け跡で人びとが助け合った光景が多く描かれているという。死期が近くなるときに浮かび残したいと思うのは被害者的な側面より地獄の中で受けた、あるいは目撃した優しさや慈悲なのかもしれない。

 

 

 

火曜日

こども哲学を開催した。

 

言葉というものは本当に凄いものだ。

そして言葉を発するということはもっと凄いことだ。

そしてそれを聴くということも凄いことだ。

 

 

わたしは長いこと自分の言葉を失っていた時期がある。

だからたくさんの文学や詩を読んだ。

そしてかろうじて他者と架橋し、自分の言葉を取り戻しつつある。

そういう過程がこども哲学のなかにもある。

こどもは学校のなかで言葉を奪われているのだから。

 

 

 

水曜日

進撃の巨人」を読み進める。20巻をすぎる。

ドストエフスキーのたとえもあるようだが、銭金の話が出てこないので、

たとえとしては違うだろう。

 

アニメは見ていないが敵が「巨人」という特性上、

立体機動装置を使って前後上下左右のトポロジカルなアクションを見たい。

 

 

 

木曜日

お盆がすぎて、陽射しの力が少しずつ弱まったのを感じる。

秋が少しずつやってくるこの中間の時期をなんと呼ぶのだろう。

でもまだクーラーは必要だ。早く走りたい・

 

 

金曜日

深夜に遠くに鳴きだす蝉がいる。

夏がびよんとのびきる。

 

 

土曜日

吉村萬壱先生の「自分の字を好きになってください」という言葉を

ときどき思い出して、書いてみる。

 

 

 

日曜日

アートde対話型鑑賞を開催する。

1つの絵画を長く見ること。

この体験は、私たちの世界を見る目を確実に変える。

少しでもその描いた画家と同じ眼を持てるように、

世界が変容する、わたしが変容する。

 

 

明礬うどんを食べる。

渋谷で中学生による通り魔殺人が起きる。

夏期講習に行くと言って家を出た。

 

 

 

セザンヌが描こうとしていた「世界の瞬間」、それはずっと以前に過ぎ去ったものではあるが、彼の画布はわれわれにこの瞬間を投げかけ続けている。そして彼のサント・ヴィクトワールの嶺は、世界のどこにでも現われ、繰り返し現われて来よう。エクスに聳える固い岩稜とは違ったふうに、だがそれに劣らず力強く。本質と実存・想像と実在・見えるものと見えないもの、絵画はそういったすべてのカテゴリーをかきまぜ、肉体をそなえた本質、作用因的類似性、無言の意味から成るその夢の世界を繰り拡げるのである。

 

『眼と精神』メルロ=ポンティ