対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

日付のない日記

 



 

「港に入ったと思っていたら沖に放り出されていた」

 

ドゥルーズフーコーの仕事を評して使うライプニッツの言葉。

 

 

 



 

月曜日

・よい仕事に出会えたこと

・よいパートナーに出会えたこと

・よい趣味に出会えたこと

 

人生この3つのうちどれか一つあればよい人生だと言えるという言葉を目にした。

いまの自分は三つとも充たされた人生を送っているとも言えるかもしれない。

でもたとえ三つのうち一つも充たされなくても絶望する必要はないと思う。

かつての自分がそうだったような、文学であったり哲学であったり映画であったり、

なにかこの世界との結び目があれば、生きていけるのではないか。

 

 

 

火曜日

音楽を聴いているとき、一枚の布地に織り込まれるように、

世界と私がなだらかに繋がるような感覚を覚える。

決して世界から疎外されるというのではなく、包まれるというのとは違うのだけど、

本当に一枚の布地に織り込まれる感覚。

それは音楽にしなかい力だと思うけど、

それに似た場所がたくさんあるのを知っている。

そういう場所を自分も作りたい。

フリースクールもそういう場所でありたいと思う。

 

 

水曜日

 

 

「子猫たちを思い出すこともある。蜂になっただろうか、花になっただろうか、それともその中間だろうか。それがなんであれ、きっと美しいものになっているはずだ。」

ハン・ジョンウォン『詩と散策』

 

 

木曜日

日付はひとつの呪縛かもしれない。

 

 

金曜日

春の光が満ちる。

 

ある高校へ、案内を受ける。

クールな高校。

要望があれば動くけど、こちらからは動かない。

義務教育ではない。

その割り切りはある意味ではありかと思った。

 

 

Bareishotenさんへ。

本をいくつか買う。店主と話す。余白を感じる。

本をどこで買うかはとても重要なことだ。

それぞれに場所と本が結びついている。

 

 

土曜日

雨。

面談。

じっくり話す、聴く。

 

 

今の何万画素のデジカメより、昔の画素数の少ないデジカメの方がいい写真が撮れた。

細密になるほどに淡いが消えていったように思う。

 

 

高崎さんのカメノスである写真のワークショップに参加したいが、

日程的に合わない日もあり断念せざる得ないのが残念。

その対話的な進め方に大いに興味がある。

芸術は対話なのかという大きな問いもある

 

 

日曜日

お天気回復。

鳥が遠くで近くでたくさん啼いているのがすばらしい。

これもまた私と世界を均す音楽のようなものだ。

 

 

読書会の申込みを受けて、フィルターがかかって違うフォルダに紛れていた。

慌てて返信する。

 

 

町内の自治会長さんたちに頼んで、別府市教育委員会からの哲学対話の企画の

フライヤーを町の掲示板に貼ってもらう。町の掲示板はたくさんあることに気づく。

ここでもなにかできることがあるような気がする。