……人生とは、あるいは生活史とは、要するにそれはそのつどの行為選択の連鎖である。そのつどその場所で私たちは、なんとかしてより良く生きようと、懸命になって選択を続ける。ひとつの行為は次の行為を生み、ひとつの選択は次の選択に結びついていく。こうしてひとつの、必然としか言いようのない、「人生」というものが連なっていくのだ。
『東京の生活史』岸政彦
内省的哲学対話を開催しました。
今回もテーマを「自分」として、少人数で語り考え聞き合いました。
自分と他者、私とあなた、他者と私、あなたと自分が言葉を介して、
同じ場所で、ときに外の風景と混ざり合いながら、対話空間を形成する。
想像し、創造していく過程に驚かされながら。
どの語りも印象深いものでしたが、特にAさんの沖縄に2年間住んでそこから離れたとき
の話が彗星の尾のような透明な輝きを放っていつまでも残像を結び続けました。
毎日毎日窓から見える沖縄の海の美しさを眺め感嘆し続けていたら、
自分の語りが準備された。
波(自然)によって内面が整えられていたというのはとても興味深い。
女性性ということもあるのかもしれない。
自然と対話というのを少しでも結びつけたくて、私もこの内省的哲学対話では、
外を散策する時間を持つようにしている。
他者の語りというのものが、自分の語りの一部になるというのだろうか、
聞くこと、語ることの力を改めて思った。
Mさんが私のファシリテーションを評して、
しっかり聴いて深掘りしていくところと、曖昧にして宙吊りにして余白をもたせる
ところの両面がある人は他にいないと言ってくれたのが嬉しかったです。
対話はつづく。