対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催報告】哲学カフェ大分 6.22

 

 

 

6月の哲学カフェを開催しました。

今回はソクラティク・ダイアローグの手法を使いながら3時間バージョンで

「役割」についてみなさんと考えていきました。

 

 

 

最初に自己紹介をしていただきつつ、「役割」に関してのみなさんの問いとエピソードを聞いていきました。

 

 

 

みなさんの問いです

・役割は人を幸せにするか?

・役割とは外から与えられてこそ役割と言えるのか?

・活力になる役割と疲弊する役割との違いとは?

・役割とお金の関係とは?

・肩書きや呼称から生まれる役割と自然発生的な役割との違いとは?

・自分の役割を自分で捨てる、変える時、その人の生き方が表れるのでは?

・「自分の役割」を認識せずに生きることは可能か?不可能ならその場その場で作っていくもの?

・役割を担う意義とは?

・自分に合う役割を見つけるにはどうしたらいい?

・誰もが幸せと思える役割分担の条件とは?

・その場における自身の役割に左右されない部分とは何か?

・役割、キャラクターが特定されると落ち着くのはなぜか?

・社会が役割を求めるのはなぜか?

・肩書きと役割は何が違うのか?

 

エピソードを分類しながら、広く面のようにあるときは深掘りしながら進めていきました。

 

アメリカの方の役割を「帽子」に喩えたところ、そしてそれに続いて日本では「わらじ」に喩えられるところが1つ鮮明に本質が浮かび上がりました。

 

そしてさらに「帽子」と「わらじ」の本質として、〈すぐ脱げる〉〈着脱可能〉といった点が指摘されました。

 

 

そしてこれまで対話された内容をふまえての、私たち参加者の結論を記述していきました。

 

1 役割とは、帽子のように着脱可能であるが、自分の意思でできたりできなかったりするもの。

 

2 役割とは、社会や集団といった他者との関わりのなかで、本人が見つけたり、与えられたりするもの。 

 

 

3つめの、「役割」のネガティブな面や危険性についての記述はタイムオーバーで書ききれませんでした。

 

事後的に書くことが許されるなら、「役割とは、視点によって良きものにも悪しきものにも変わりうるものである」でしょうか。。

 

役割は人を没頭させる力や魅惑がありますが、そこに固着してしまうと視野が狭くなり、自身の役割において遂行されるものの帰結が見えづらくなります。たとえば、忠実に自身の役割を遂行しただけのアイヒマンのように。

 

 

ご参加ありがとうございました。

 

3時間はあっという間でしたが、初めての方には頭がフル回転してだいぶ糖分が不足したようです!またチョコを補充しておきますね。

 

終わってから、みなそれぞれに座布団やホワイトボードや配付資料を片付けるのを手伝っていただいて、自然発生的な「役割」が立ち上がるのを目撃したのでした!誰が指示するというわけでもなく。

 

また対話の場でお会いしましょう♪