6月の哲学カフェを開催しました。
今回はソクラティク・ダイアローグの手法を使いながら3時間バージョンで
「役割」についてみなさんと考えていきました。
最初に自己紹介をしていただきつつ、「役割」に関してのみなさんの問いとエピソードを聞いていきました。
みなさんの問いです
・役割は人を幸せにするか?
・役割とは外から与えられてこそ役割と言えるのか?
・活力になる役割と疲弊する役割との違いとは?
・役割とお金の関係とは?
・肩書きや呼称から生まれる役割と自然発生的な役割との違いとは?
・自分の役割を自分で捨てる、変える時、その人の生き方が表れるのでは?
・「自分の役割」を認識せずに生きることは可能か?不可能ならその場その場で作っていくもの?
・役割を担う意義とは?
・自分に合う役割を見つけるにはどうしたらいい?
・誰もが幸せと思える役割分担の条件とは?
・その場における自身の役割に左右されない部分とは何か?
・役割、キャラクターが特定されると落ち着くのはなぜか?
・社会が役割を求めるのはなぜか?
・肩書きと役割は何が違うのか?
エピソードを分類しながら、広く面のようにあるときは深掘りしながら進めていきました。
アメリカの方の役割を「帽子」に喩えたところ、そしてそれに続いて日本では「わらじ」に喩えられるところが1つ鮮明に本質が浮かび上がりました。
そしてさらに「帽子」と「わらじ」の本質として、〈すぐ脱げる〉〈着脱可能〉といった点が指摘されました。
そしてこれまで対話された内容をふまえての、私たち参加者の結論を記述していきました。
1 役割とは、帽子のように着脱可能であるが、自分の意思でできたりできなかったりするもの。
2 役割とは、社会や集団といった他者との関わりのなかで、本人が見つけたり、与えられたりするもの。
3つめの、「役割」のネガティブな面や危険性についての記述はタイムオーバーで書ききれませんでした。
事後的に書くことが許されるなら、「役割とは、
役割は人を没頭させる力や魅惑がありますが、そこに固着してしまうと視野が狭くなり、自身の役割において遂行されるものの帰結が見えづらくなります。たとえば、忠実に自身の役割を遂行しただけのアイヒマンのように。
ご参加ありがとうございました。
3時間はあっという間でしたが、初めての方には頭がフル回転してだいぶ糖分が不足したようです!またチョコを補充しておきますね。
終わってから、みなそれぞれに座布団やホワイトボードや配付資料を片付けるのを手伝っていただいて、自然発生的な「役割」が立ち上がるのを目撃したのでした!誰が指示するというわけでもなく。
また対話の場でお会いしましょう♪