かみさまがにんげんをつくったのか
それとも
にんげんがかみさまをつくったのか
(中略)
かみさまにせかいをまかされて にんげんたちはこまっている
『かみさまはいるの いないの?』谷川俊太郎
7月の哲学カフェを開催しました。
7月は、以前参加者の方から考えたい問いを聞いたときに「
なかなか重い? 普段カジュアルに話しづらい内容だったかもしれませんが、 そういうテーマこそ哲学対話で考えてみたいテーマでした。
最初に、みなさんから今回のテーマに関しての「問い」を聞いていきました。
・「神」って、そもそも何?God,仏、Kami
・なぜ神様は必要とされたのか?(生まれたのか?)
・人間は欠如感を満たすために神に祈るのか?
・神がいるとしたときの、いないとしたときの、メリット、デメリットとは?
・ウソをついても神様と自分はだませないのだから、自分は神様と同じくらい尊い存在なのでは?
・そもそも〈神様〉とはどのように定義づけられるものなのか?
・神様が「いなくてよい」を体験できるのか?
・神様がいるとすれば、自分とは別の神様を信仰する人に対して敵対視することが多いのは何故か?
・何故神はいると信じたいのか?
神様の存在そのものを問う姿勢は、 存在を疑っている立場からのもので、 信仰によって神様がいるのが当たり前の人にとっては、 そもそもを問えないといった意見や、 対話をしていくうちに科学の力によって無神論者であっても、 科学を信仰しているのではという考えが浮き彫りになっていったの はとてもスリリングな体験でした。
またほかに現代ではお金や会社が神の代わりになっているのではという意見もありました。
考える補助線として、途中谷川俊太郎の詩「かみさまはいる いない?」を読みました。
ひさしぶりに抽象と実在、否定と肯定を行き交う対立が鮮明な哲学対話でした。
わたしは神様と宗教(組織)って関係ないのでは?だから戦争が起こるのでは?とふと新たな問いが想起されましたがタイムオーバー。
語れなかったわたしの神様観は、人間に関せずで、人間が戦争をやっていても無関心、つまりそこに自由があるとの見方です。
2時間では足りず、クールダウンの時間を場所を移して続きをしましたが、 モヤモヤが残って、対話には終わりがないのでした!
ご参加ありがとうございました。また対話の場でお会いしましょう♪