有る程の菊投げ入れよ棺の中 漱石
東京時代に少し親交のあった中村靖日さんが亡くなられたとの報をヤフーニュースで知る。まだ無名だった頃、一緒に中央線で帰って映画について戦争について語り合ったのは20年前くらい。俳優もやり監督もしたいと言っていてわたしより随分先を走っていて嫉妬をした思い出があります。でもとても気さくで謙虚な方でした。ご冥福をお祈りいたします。
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福田平八郎の作品を浴びるように見て、その静物画に於けるセザンヌやモランディとの決定的な違いを考えた。それは「物」をどう見るか(どう受け取るか)の違いでもある。形態と色に魅せられたというのだろうか。
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はてなブログプロをやめた。わたしには必要なかったようだ。
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夏。健康診断。強烈な熱さとともに夏の情緒を感じにくくなった。
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こどもたちとの哲学対話。
わたしの方からこどもたちに開眼させられる。
こどもは近代以前は「ちいさな大人」だった。
Als das Kind Kind war, wußte es nicht, daß es Kind war, alles war ihm beseelt, und alle Seelen waren eins.
子供が子供だった時、自分が子供だと知らず、全てが自分にとって魂の込もったもので、全ての魂は一つだった。
Als das Kind Kind war, war es die Zeit der folgenden Fragen: Warum bin ich ich und warum nicht du? Warum bin ich hier und warum nicht dort? Wann begann die Zeit und wo endet der Raum? Ist das Leben unter der Sonne nicht bloß ein Traum? Ist was ich sehe und höre und rieche nicht bloß der Schein einer Welt vor der Welt? Gibt es tatsächlich das Böse und Leute, die wirklich die Bösen sind? Wie kann es sein, daß ich, der ich bin, bevor ich wurde, nicht war,und daß einmal ich, der ich bin, nicht mehr der ich bin, sein werde?
子供が子供だった時、こんな疑問を持つ時があった:
なんで僕は僕で、なんで君じゃないの?なんで僕はここにいて、なんでそこにいないの?
いつ時間は始まって、どこで空間は終わるの?
太陽の下で生きているのって、ただの夢じゃないの?
僕が見て、聞いて、嗅いでるものって、この世界の前の世界のただの幻じゃないの?
実際に、悪いこととか、本当に悪い人たちとかっているの?
僕である僕が、僕になる前には、いなかったって、どうしたらありえるの?
そしていつか僕である僕が、もう僕じゃなくなるなんて、どうしたらありえるの?
Als das Kind Kind war, warf es einen Stock als Lanze gegen den Baum, und sie zittert da heute noch.
子供が子供だった時、枝を槍として木に向かって投げた。
そしてそれは今日もそこで揺れ動いている。
映画「ベルリン・天使の詩」より
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書。筆とひとつになる。筆の前に道はない。
それにしても上野の石川九楊展にしぬほどいきたい・・地方の文化資本・・
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教えているハーフのこどもが夏に故国に帰る。帰っても日本語を忘れないでねと言うと、「僕は日本人だから、日本語を忘れるわけないよ!」と言ってきてたいへん感動した。
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読書会、満席になる。『砂の女』は世界文学の普遍がある。すばらしい
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