一体、この美しさの正体は、何なのだろう?…自然のもつ、物理的な規律や、正確さのためか、それとも逆に、あくまでも人間の理解を拒みつづけようとする、その無慈悲さのせいかなのか?
八月の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。暑い中でしたが、ほぼ満員御礼となりました。ありがとうございました。
今回とりあげた作品は安部公房の『砂の女』でした。2017年の6月にもとりあげたのですが、今年が安部公房生誕100年ということと、そのときかなり好評だった記憶もあり、再度とりあげました。私は〈再読〉ということを、新しい本を読む以上に大変重要視しており、これからも過去取り上げた作品を再度取り上げたいと思っています。2017年のときに参加してくれた方が今回も参加されていて、2017年のときには分からなかったことが今回は分かったと喜んでおられたのが印象的でした。〈私〉が変化すれば、本も変化します。同じ本は二度と読めないというのはそういうことだと思います。再読だけが創造的という言葉が私は好きです。
今回も初めにみなさんの全体的な感想を聞いたところ
・形容しにくい、感情移入が誰にもできない
・わけがわからない
・気持ち悪い
・なぜ妻?のことを”あいつ”と呼ぶのか
・砂が自分にまとわりつく作品
・エロい
・理系的な思考で書かれている
・番傘での食事のシーンや砂が降ってくるなかでの情交シーンは忘れ難い
・1回読んだだけでは理解できない。いかに今の自分が自由か感じる
・砂に惹かれた。大好きな作品。生きる喜びがある!砂の中にこそ自由がある!
・私は逃げたい。自由からも
・自由や本能、希望について考えさせられた
今回の読書会が特徴的だったのは、読み手によって解釈が快不快も含めて180度違ったことと、お互いに問いかける場面が多かったことで、主催者として、とてもステキな時間だったなと思いました。こんな問いかけがありました。
Q あいつとは誰のことだと思いますか?妻、愛人、かつての恋人?
Q ラストはハッピーエンドだと感じましたか?バッドエンドだと感じましたか?
Q なぜ男は最後村に残ることを選んだのだと思いますか?
Q 村の人がわざと縄ばしごを外さなかったと私は思うのですが、みなさんどうですか?
Q 砂の女は強い女ですか?弱い女ですか?
Q なぜ最後男は泣きじゃくりそうになったのですか?
Q ラジオが私にとって謎なのですか、みなさんどう思われますか?
Q 外への関心のないこの砂の女は理解できますか?
Q みなさんは失踪したいと思ったことはありますか?
Q 村人には悪意があると思いますか?
この作品は自由とともに幸福とは何かという問いも含まれていると思われ、男にとっては移動の自由があって安定もした教員生活(人間関係はよくない)よりも、砂に囲われていても自分の創意工夫が生きる人生の方がとてもいきいきとしているように見え、みなさんはどちらの生を生きているのか?聞こうとしてタイムオーバーとなってしまいました。
今日のむすびのさんの特性メニューはもちろん〈砂〉をイメージしたもので、スープは砂抜きをしたアサリが使われ、ホットサンドの具材は砂地で育つ、ラッキョウや長芋、そして細かく切った鳥の砂ずりが使われていました!たいへん美味しかったです!
ご参加ありがとうございました。
次回は8/18、パレスチナ文学、ガッサーン・カナファーニーの『ハイファに戻って/