8月の哲学カフェ大分を開催しました。
今回はソクラティク・ダイアローグの手法を使って、
3時間の短縮バージョンで「自由」についての本質を参加者のみなさんと
哲学対話していきました。
最初に自己紹介をしていただきつつ、「自由」に関しての問いとエピソードを
聴いていきました。
【みなさんの問いです】
・FREE HUGの自由って何だろう?哲学対話の自由に似ている気がするけど・・
・「自由」に生きるとはどういうことか?
・自由は”相対的”にしか感じられないものではないのか?
・(自由としがらみの関係性)どうすれば、どうすることで、自由になれる(自分を解放できる)のか?
・自由といいつつ責任を問う大人たち、、その兼ね合いとは?
・自由は本当に幸せなことか?
・「ヒマ」と「多忙」どっちが幸せか?
・自由とは不自由さの中にしかないのではないか?
・もし無条件の自由があったらそのときの人々の思考はどうなる?
・自由であるためにはどうしたらよいか?
・ハードワークでも自由を感じる人とヒマでも不自由さを感じる人がいるのはなぜか?
・自由はその人自身の個性が見えるもの?
・自由は身体的物理的と精神的(心)すべて自分で操られる?責任のとり方は?
・侵し侵さない、孤独にならない『依存&被依存を許容した自由』は実現可能なのだろうか?
・自由とは、自分の希望を選び、それを実行することが可能であることなのか?
そしてあげられたエピソードを中心に、哲学対話を進めて行きました。
自由=幸せ?、解放が関係している、素であること、自立していること、複数の依存先があること、伝統との関係は?、介護のエピソード、不自由は人間関係がすべてで無人島でひとりで衣食足りていれば自由も何もない、不便さと不自由の関係とは?選択できること、勝ち取るものであること、相対的な自由の例(持続的)と絶対的な自由の例(瞬間的)があげられ、ゾーンのような集中、死と解放が意味づけられたりもしました。
イメージを描いて図示して説明される方もいて、分かると分からないを行ったり来たり、他の方の説明を他の方が補足したりとケア的な思考も発動しながら、自由とはものさしのようなものである、自由はつかれる、自由は価値感とか本質をついたキャッチーな言葉も出て、「自由は対等であるための道具である」という他者性のある別の視点も提示されました。
ここまで2時間が経ち、まとめの文章をつくる段階に入りました。
ああでもない、こうでもないと、自由の本質を文章化する難しさと愉しさ。
うまくおさまるかドキドキです。
【まとめの文章】
①自由とは、相対的な自由と絶対的な自由がある。
②自由とは、お互いが対等であるための手段である。
③自由とは、自分で選択できることであるし、自分で選択したいものを知っていることである。
④自由とは、結果ではなく、在り方である。
これらのまとめの文章が、最初にみなさんが提起した問いに応えているかどうかを検証します。すべてどれかにあてはまっていました。なんとか時間内に終えることがでました。
個人的に深めたいのは③の知ることと自由のつながりで、哲学が自由を希求する学問だと思うのは、知ることによってとらわれから解放され自由になるからだと思います。
あっという間の三時間でした。おつかれまでした。
その後のクールダウンの二次会の場も盛り上がり暑さも冷めぬまま解散となりました。
ご参加ありがとうございました。
また対話の場でお会いしましょう♪
参加者のMさんが翌日まとめてくれたマインド・マップ!!ステキすぎます!
ありがとうございました。