月1で開催している臼杵市野津町にある学習教室Spicaさんでのこども哲学。
こどもたちが問いや考えることに発光する(狂喜乱舞)のを見るのは、
こちらがいろんなことを教えられます。
小学生の低学年の部と高学年、中学生の部にカテゴリー分けして開催しました。
最初に小学生の低学年から。
まずPネームを考えるのに大盛りあがりです。
でも自分の名前を新たに考えるというのは難しいみたいで、仮のものであっても
やっぱり気に入った名前でありたく真剣に考えます。
なるべく現実の自分の名前とは離れた名前にしてねと伝えています。
そして考えたい問いを書き出してもらいました。
一人8つも考えてきた生徒もいて、熱いです!
Q なぜ夜はくらいのか?
Q なぜ自分の番号があるのか?
Q なぜ自分の名前があるのか?
Q なぜ海がひつようなのか?
Q なぜものぜんぶ名前があるのか?
Q どうして勉強しないといけない?
Q ちきゅうはなぜまわるのか?
Q なぜむかしといまはこんなにちがうのか?
Q なぜげいのうじんはおもしろいのか?
Q デジタルききは、たのしいのか?
Q いたみ、くうふくをかんじたらいたいのか?
Q なぜバイキンマンはあくものなのか?
Q なぜせんそうをしぬまでするのか?
なぜ「こどもてつ学」はたのしいのかという嬉しい問いもありました。
最終的に多数決で、
Q なぜ自分の名前があるのか?に決めました。
ここから哲学対話です。
はじめは、区別をするためとか、呼ぶためとかの理由があげられましたが、
じゃあ、飼っている犬も名前をつけなく、「犬」でいいの?とか、
飛んでいる蚊になんで名前をつけないんだろう?とかいろんな問いを重ねていくうちに
種類としての名前と、固有の名前にわかれることに気づきました。
じゃあなんで、固有の名前が必要なのかを考えていったところ、
家族だからとか親しい関係性への言及があり、ぐっと深まっていきました。
また親しさへの対象(名前をつける対象)も人によって違うという指摘も
ハッとするものがありました。
飛んでいるように見える意見も、実は関連づいていたりして、
そういうのを整理しつつ薦めるのがファシリテーションの役割でもあります。
みんな話すテンポ、考えるテンポが違うのがあたりまえで、楽しくもあります。
後半は小学生高学年と中学生の部で哲学対話をしました。
Pネームも問いもみんな早々と書きます。
挙げられた問いは、
Q なんでお金ができたか?
Q 「友だち」は必要?一人では生きられない?
Q なぜいきものにはじゅみょうがあるのか?
Q しゅくだいはなんでめんどくさいのか?
これも多数決で、
Q なぜいきものにはじゅみょうがあるのか?
に決めて、哲学対話を始めました。
その問いの背景には、「死」への関心、死ぬことの不思議があるのが話される内容で
感じました。なんで人は死ぬのだろうと?
昨日まで生きて動いていた人が動かなくる、死ぬ不思議をともに考えます。
対話をしていくうちに、寿命で死ぬのと、病気や事故、災害で死ぬのとは違うことが
わかり、そして鉄や木にも寿命があり、寿命がないものはないのでは?という
意見も。いろんな具体例を聞き出しつつ、寿命がない方がいいのかな?と問うと、
自分だけが生き残るのは寂しいとか、人が増えすぎてぎゅうぎゅうになるという意見も
そして寿命があるから、人はいろんなものを残そうとする、文化や信仰など。
寿命で死ぬ自然死というのはじっさいどこまで病気ではないと言い切れるのか
わからないということをネットで調べつつ話したら、そもそも人は(潜在的に)病気な
のでは?という意見や、寿命(自然死)というのはないんじゃないのかという意見も
出てたいへん興味深いところで終わりました。
・もしかして恐竜にはじゅみょうはなかったかもしれないけど、隕石で死んだ
いろいろと脱線しつつも、最初の問いに何度も粘り強く立ち戻って考えた1時間でした。
中学生には終わって、今回の哲学対話についての作文を書いてもらって終わりにしました。
みんな、ご参加ありがとうございました。
次、いつ来るの?と言ってくれるこどもたちに感謝。
次回は11月27日。また会おう!