11月の哲学カフェ大分を開催しました。
今回のテーマは「捨てる」。
3時間かけてゆっくり振り返りまで、対話をしていきました。
アイスブレイクの質問は「今までで、もっとも大きな捨てたものとは?」。
夢、数学、結婚して自由な自分の時間、独身、山、自尊心、雛人形、卒業アルバム
最初にみなさんの今回のテーマに関する問いを聞きました。
Q 捨てる、とはいつ始まるのか?
Q 罪悪感、拭いきれない染み付いた意味とは?
Q どうして捨てる気になるのか?
Q 捨てたくなくものを捨てざるをえなかった時、その人は何を捨てたのだろうか?
Q 自分自身に捨てるほどの何ものかの持ち合わせがあるのか?
Q 捨てることと成長(変化)が結びついている・・のはなぜか?
Q いつ捨てたらいいのか?
Q 捨てられないのは悪いことか?
Q わたしたちはどんな時に「捨てる」のだろう?
「捨てる」の反対は「拾う」ではない、「捨てない」。
捨てることに痛みが生じる。
捨てるときに感じる罪悪感を問う一方で、悦楽を語る方も。
喜捨。
捨ててこそ浮かぶ瀬もあれー。
軽くなりたい。タスクを減らす。
自由になりたい。
どうなるかわからないけど、「捨ててみる」。
時代によって変わる捨てる基準。
「手放す」との違い。
可能性や循環という言葉が出てきて、対話の深まりを増したと感じました。
そして信念について。
極限状態で信念を捨てざるをえないとき。
捨てるにも様々な局面があり、喜んで手放せる場面もあれば、生と引き換えのような
捨てるもあることが見えてきました。
特に結論は出しませんが、振り返りを兼ねて
2時間半の対話を経て、さらに新たに出てきた問いを聞きました。
Q 捨てざるを得ないところで捨てないこととは?
Q 捨てるは「いつ」成立するのか?
Q 捨てたものにも愛はやどるのか?(愛がやどっていてほしい)
Q 捨てるのは生きるのが前提になっている?生きるために捨てる?
Q 捨てると罪悪感を生むもの何か?
Q 捨てると孤独になるのか?
かなりそれぞれに揺れた、揺さぶりをかけられた3時間だったと思います。
最後「孤独」とか「寂しさ」という言葉が出てきて、次なる展開もありましたが、
タイムオーバーとなりました。
ご参加ありがとうございました。
終わって初参加の方から哲学対話に手応えを感じられたようで、
弟子入りはできるのですか?と問われて嬉しかったです。
まずは時間の許す限りたくさん参加されてみて、対話やファシリテーションを
体感してみることかなと思います。そのうえで、来年はファシリテーションの講座など
開ければと思っています。
次回は12月14日。「センス」について考えたいと思います。