
十二月、今年最後の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。今回とりあげた作品は初の詩集で、先月亡くなられた谷川俊太郎の詩選集2を集英社文庫から選びました。
最初に、簡単な自己紹介と全体的な感想、そしてこの詩集から一つお気に入りの詩を選んで朗読していただきました。朗読は恥ずかしかったかもしれませんが、みなさんの声の響きに感動してしまいました。詩は声に出されて初めて完成すると思っているので、嬉しい試みでした。
それから詩集全体のこと、谷川俊太郎自身のことなど語り合いました。
言葉への不信、言語の限界、詩のもつ気恥ずかしさとは、今を生きているということ、原っぱや草原、芝生がたくさん出てくるのは地球に立っているということ、などなどいろんな話が聞けました。
また声に出されて読まれた詩と目で黙読として読んだ詩が同じようには感じられないことや、展示や書体など、差し出される形の違いによっても感じ方が違うという指摘は示唆に富むものでした。
また私が谷川俊太郎個人がいないということを指摘したら、詩が宇宙にむかうほど表現の分母が大きいので、谷川俊太郎が感じられにくいのではないかといった意見もありました。

むすびの河野さんのこの日の特製メニューは、「詩めくり」の日付から追った記念日から着想を得たものでした。きしめんのカレー、蒸したブリの香草、もち麦のごはんとたいへん美味しかったです。ありがとうございました。

今日は参加申込みが有り難いことに多かったので、隣の別府フリースクールうかりゆハウスで午後から第二部をその後開催しました。

第二部でも同じようにお気に入りの詩を朗読していただいたのですが、午前とまったく被らなかったのが不思議。。国民的な詩人と呼ばれるゆえんは、この間口の広さにあるのではと思いました。
第二部では、詩とは何なのか、意味なのか、無意味なのか、詩がわかるとはなんなのか、わからないものの方が重要ではないのかといった、原理的な対話がありました。
その人だけの正解が、たくさんあるということなのではという意見にハッとさせられました。
私が谷川俊太郎の詩には谷川俊太郎がいなくて空洞のように感じるのが不気味なのか、いまいちのれないところもあると言ったら、そもそも、もともとに私たちは空洞である、自分がいると勘違いしているのを気付かせてくれるのが谷川俊太郎の詩であるという意見も。
同じ理由でRさんは谷川俊太郎が嫌い、Mさんは好きというのも興味深く聞きました。
谷川俊太郎は分かっていることを書いているという指摘もあってドキッとさせられました。


ご参加ありがとうございました。第1部も第2部も参加してくれた方もいて有り難かったです。詩を読書会でとりあげるのもいいなあと思いましたので、年に1回はとりあげようと思います。
(午前、午後と両方参加された方が、全然違いますねと感想を仰ってくれたのですが、対話というのはそのとき一度ぎりのもので、同じテーマや題材でも、人や場所が違うと全然あり方が変わってくるのが興味深いのです)
次回は来年1/26で、『よむよむかたる』朝倉かすみ(文藝春秋)をとりあげます。