哲学カフェを開催しました。
今回のテーマは「責任」。
ソクラティク・ダイアローグの手法を使いながら、
3時間かけてみんなで「責任」の本質について、哲学対話していきました。

最初に出されたみなさんの「責任」に対する問いです。
Q 責任は他者へ要求するものか?
Q 責任は自己へ向かうものの方なのか?
Q 責任って誰のもの?誰のためのもの?誰か(自分含む)が納得するためにあるもの?
Q それって、なぜ感じたり負ったり取るのが正しいとされているの?
Q 責任を取らせれば許せるのか?
Q 個人的な責任と社会的な責任について教育現場で責任をとらない大人たちとは?
Q 責任(感)はどのようにつくられていくのか?
Q 責任とは?
Q 何に?
Q 責任感をもってない人の評価が低いのはなぜか?
※問いを考えてくださいと言った時に、なかなか問うことが難しい方が毎回一定数いて、自分の考えを問いの形にすることの困難さについて考えさせられます。慣れの問題もあるでしょうし言語化の問題もあるでしょう。もう一つは思考が自己完結してしまうと、他者への問いかけが難しくなるのではと推測しています。そしてそれは対話の難しさにもつながってきます。
そして合わせて「責任」に関してのエピソードを紹介してもらいました。

対話の主なトピックをまとめてみます。
本質に届くようで届かないのと、「責任」のイメージが大きく違っていること、
それがどこからくるのか判然としなかったのが挙げられます。
意見に伴う理由の語りが足りなかったのかなというのが反省です。
・責任と義務の違い、責任と覚悟の同一性。
・法律や刑罰から責任を見る人と良心に起源を見る人
・責任という生き方である
・契約を内面化しているかどうか
・人から強制ではなく、覚悟を持つこと、受け入れること
・道路の医師を拾うことは責任か否か
・傷ついたことへの回復としての責任をとる
・ハムラビ法典の目に目をの本来の意味
・法律が責任のベースならその抜け穴を狙う人が出てくる、そうでなくて良心があるはず

3時間かけて、全員でああでもないこうでもないと「責任」の本質についての記述を探究しました。今回はなかなかまとまらず、もうだめかなと思った最後にNさんが、私責任に守られていると感じて安心しましたという感想が出てきて、最後のはまらなかったピースがはまったのでした。みんな驚きました。

まとめの文章です。
☆ 責任とは、社会的な責任と個人的な責任がある。責任とは、行為によって育まれ、法律の遵守と契約の履行により、個人を守るものである。
責任とは状態ではなく、行為であること。
そして個人を守るという概念が責任という概念に結びついたのは驚きと感動がありました。
このまとめの文章が、最初の問いに応えているか検証するところで終わりました。
みなさまおつかれさまでした。3時間では足りませんでしたが、終わってクールダウンの時間もたいへん盛り上がりました。ご参加ありがとうございました。