
5月の哲学カフェ大分を開催しました。
今回もたくさんの方に集まっていただき、哲学対話の関心の高さを感じました。
ありがとうございました。
今回のテーマは「お金で買えないものとは?」でした。
ここから参加者の問いとエピソード(経験)を聞いていきました。
挙げられた問いは以下です。
Q お金では買えないものにリアリティはあるのだろうか?もしも買えるなら、買うだろうか?
Q お金が発生する(お金で買える)人とのつながりとそうではないもののちがいは?
Q「苦労は買ってでもしろ」はありか?なしか?
Q お金があるほど逆に選択肢がなくなる?
Q 幸せはお金で買えるのか?
Q 価値を測る場合に、〈お金〉以外のものはないのか?
Q すべてがお金で買えるとしたらそれでいいと思える?
Q 本当にほしいものはお金で買えないものなのになんでお金を得ることにエネルギーや時間を使ってしますのか?
Q お金を得るために交換しているものは何?
Q お金で買えないものは年々増えるか?減るのか?
Q お金で買えないものが、もし買えるとしたら…何にいくらまでならOKですか?
Q 基準は何?
Q 貨幣社会ではあらゆることにお金や消費が結びついているか?
Q お金では買えない欲しいものがなにかありますか?
Q 愛はお金で買えるか?
Q「人生」ではないか?
Q 情報商材が売れると判断する(良心は同意しているの?)
Q ネットワーク パスする相手?
以下は問いの形になっていないものです
・お金が存在しない社会を考えてみたい
・設問に違和感あり。「お金」がエラそうに思える問題提案
・時、運(命)、集った方々
・永遠の命(知人の死)、人の矜持、無償の愛、悲しみ、苦しみ、憎しみ、絶望
・エンタメコンテンツを消費する以外で「楽しさ」を再現する方法、条件を知りたい



問いやみなさんの経験をベースに対話を進めていきました。
・故人との語らいや捨ててしまった大切なもの、一瞬の風景、ご縁、偶発的な出会い、絶版の本、過ぎ去った過去など、もう失われてしまって今は存在しないものやこと。
→〈再現不可能性〉というものが一つ大きな要素かなと。
・健康や運、命、真実の会話、恋愛、決断、読書体験などそもそもが数値化、計測しがたいもの→〈代替不可能性〉
・他者の気持ち、恋心、成績が上がらない!→〈使い方〉
違う角度から(再現可能)の考察として、
・パスすること。寄附すること(自分ができないことを、できる人にお金という支援をすることで代わりにやっていただく)
・おみやげ(金額よりもまず思いがある)
・お金で買えないものをとらえていく力
・評価がお金と結びつく
・人間の本質とお金というものに親和性がある(人類と共にある)
・そもそも値札とその売られている物が合っていない
最後に「お金大好き!」という意見が聞けて、わたしは個人的に救われました。


ご参加ありがとうございました。
許可を得て、参加者の方の感想を載せます。
Aさん
昨日はありがとうございました。感想ですが、日本の昔からの文化で、「お金は汚い」(お寺に寄付したら浄財)、 というような考え方が発言者の根底にあった哲学対話だったのかな と思いました。 あと、「時間は買える」という発想ですが、話は半分は分かるのですが、「時間を買うためのお金を稼ぐ時間」 というのを考えると、 本質的には買えてないんじゃないかと思います。電気はエコだけど、発電するのにCO2を出すみたいな事です。 お金に関しては、みんなモヤモヤしてましたね。寄付の話をすると否定的な意見が出るのも日本ならではなのかなと 思いました。 また次回もよろしくお願いします。
Bさん
昨日はありがとうございました昨日はモヤモヤが残った人が多かった
ように感じましたし
私も窮屈さや不快感も感じましたが
けれどそれが自分はどうしたいかを深めてくれる
わけなので
やっぱり何も良いとか悪いとか判断できない
ジャッジは何も新しいものを生まないなと感じ
「こういうのが正解」とか
「こういうのが良きこと」
と自分が決め込んでたものがひっくり返った
最高の回だったかもしれないなと思って
何事も自分がどう見るか、受け取るか
だなと思いました
資本主義社会やお金の見方も
既存の見方は変えられない、この考えが絶対だ
と無意識に選んでいる人と
ほんとにそうなのかなって感じている人もいて
そういう人は資本主義社会では弱者とレッテルを
貼られがちだったりして
これからどんどんマインドの既知は崩れていって
名も無い純粋な人たちが自由に楽しく生きられる世界が
開けるぞって希望も感じました
俯瞰してフラットに見ることがいまチャレンジ
していることなので
お金との関係性を見直す貴重な機会を
ありがとうございました
来週もよろしくお願いします
Cさん
「人の話を聞く気がない人、受け入れる気がない人と話したくない」って本音につながってこれが、私が子どものころからずっと母親に感じてた不快感だと気づき、自分の正当性を主張したいだけ、自己価値の欠乏をうめたいだけで他者と対話する気がない自分の見方を変革する気はないみんなで話しやすい場を作って気づきを深め合うスタンスではない「受容モードじゃないバイブレーション」に接するのがそもそも不快でしたこの不快な母親のやり方をコピーして自分も無自覚に他者にやってしまっていて結局は自己への嫌悪感だったんですそれが投影されたんだな、と。オジサンが嫌なんじゃなくて男女問わず「オジサン的バイブレーション」が嫌なんだってまたひとつ明確になりました。意図の違い、です。「不快とちゃんと向き合う」ってことも今のインナーワークのメインテーマでもあって、自分に戻せて安堵しました向き合う機会をいただけたことに感謝ですありがたいです
先日はありがとうございました。メール拝見しました。感想お送りします。
今回、
発言すればするほど自己変容から遠ざかってしまう感覚にとらわれ ました。 モヤモヤを楽しめる余裕や、
不快感を内省のきっかけにできるぐらいの精神性の高さがまだ自分 にはなくて、もがいていた回でした。
対話をずっと聴き続けている方は、自己変容の最中にいたからか、
最後の一人一言のパートがものすごくよかったです。
体験ベースのお話は色々と気づかされることが多く、
自身も話したいなと思ったものの、今回、 誰にも否定されないという安心感があまりなかった気がします。
あと、
コミュニティボールを手渡せる距離で話せたらいいなと思いました 。会場の広さか、人数かはわからないけど、ボールの手渡し方、 扱い方で対話の仕方が変わる気がしました。
自分の未熟さがよくわかった回でもありました。
ありがとうございました。
︎対話は、





