対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催報告】哲学カフェ大分 6.14

6月の哲学カフェ大分を開催しました。

今回は「わかり合うってどういうこと?」をテーマに哲学対話をしていきました。

 

最初にみなさんのわかり合えたこと、わかり合えなかったことについての経験を聞きながら、今回のテーマに関する問いや疑問を聞いていきました。

 

以下みなさんからの問いです。

Q わかりあえない時、どうすれば良い関係にすることができるでしょうか?

Q 本当にわかり合えることはできるのでしょうか?

Q わかりあうために必要なことは?

Q「わかり合えた」と判断する方法がわからない。どう判断する?

Q 犬派と猫派はわかり合えるのか?

Q 分かりあうことは必要なのか?

Q まず「わかる」とはどういう状態だろうか?

Q 交ざる 混ざる どちらに近いのか?

Q 話せば分かるは本当なのか?

Q 言葉で分かり合えることはできますか?

Q ずっと分かり合えることはできるか?

Q 職場の分かりあえない人との適切なつきあい方とは?

Q 言葉以外のわかり合いの方法って何があるだろう?

Q お互いがわかり合うためには世界観が同じ出る必要はあるか?

Q「わかり合おう」と思って(意識したり、努力したり)わかり合えるものなのか?

 

みなさんの問い

みなさんの経験

 

みなさんの経験と問いを聞いて、哲学対話を始めました。

 

・分かり合えなかったという経験の方がよく語られた

・瞬間的に分かり合えるものと、長い付き合いのなかで分かり合えていくものとがある

・関係が近いほどわかり合いにくい

・わかり合いたいという方とそうでもないという方がいる

・「わかり」と「合う」を分けて考える

・わかってほしい

・哲学対話は「分かり合えない」が「わかる」場所。でもわかり合いたいという気持ちは残る

・ライブにおける「わかり合い」とは

・ロジカルにわかっていくのか、感情(共感)でわかっていくのか

・心が触れ合う

言語化していく

・すべてを明瞭化しないことも大切なのではないか

・何気ないことも、分かり合えるに含ませる

・お互い大切にしていることが違うんだということを知る

・「わかった」は罠

・重なる部分に意識を向ける

・応えられない問いこそ重要

 

などなど

 

今回は言葉を使いながら、言葉以外の世界、わからなさに向かって開かれた時間だったように思えます。このあたりの哲学対話の価値が外部に伝わりにくいところ。。

 

ここに集まってくる方は、お互いが大切にしていることが近いのかな、、ここには来ない方は、大切にしたいことが違うのかな、、などいろんな問いや疑問が新たに浮かびました。困難な対話は外にある。

 

今回のすてきなPネームたち

 

 

ご参加ありがとうございました。

 

今回は哲学対話、哲学カフェへの言及もよくあった会でした。わたしはいろんなスタイルを模索しつつ、日々探究、アップデートし、参加して楽しかった、(できれば)心も温まりながら、頭からも煙が出るような会を目指しています。

 

哲学(自己の真理への探究、厳しさ)と対話(他者との協調、公共性、やさしさ)はそもそも矛盾するものがくっついています。そこにわたしは魅力を感じて続けています。この両方をどう見つめていくのかは、生涯をかけた問いです。

 

次回は7/19(土)に開催します。またのお越しをお待ちしております。