対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催報告】ゲストハウスさんかくワサビ × ソクラティク・ダイアローグ 9.6-7 全記録(1)〜探究テーマを決める

光が差し込む室内

 

 

佐伯の素敵な素敵なゲストハウス さんかくワサビさんで、9月6日と7日の二日にかけて開催された合宿形式のソクラティク・ダイアローグは無事終了しました。ここに全行程の記録を書き残したいと思います。

 

ここ5、6年参加者の要望と自分のファシリテーターとしての腕試しもあり合宿形式による哲学対話を模索していましたが、宿泊場所や開催場所でこれといった決め手ところがなく時だけが過ぎていました。

 

今年の5月末に臼杵のUEMURA BREADさんでの哲学対話で、ゲストハウスさんかくワサビオーナーの香純さんと出会い、通常の哲学対話の依頼を受けました。その際にここはゲストハウスだから合宿ができるぞとひらめき、プランを相談したところ快諾していただき、メールで参加者を募ったのが6月末。参加者が集まって開催日を9月6日に決めたのが、8月頭と実現していくスピードがとにかく早かったです。開催日程を決めたところで、ソクラティク・ダイアローグ最初のステップとして、2日間かけて何を考えたいか、テーマをみなさんから集めました。それが以下のものでした。

 

「愛」
「平和」
「怒り」
「死」
「幸福」
「自由」
信じる
「知る・学ぶ」
「恥」
「期待」
「人間関係」
「哲学」
 
 
以下みなさまが挙げられたそのテーマを選んだ理由です。(到着順)
 
 
 
「愛」
愛という言葉は身近に溢れてて、あらゆる場面で使われるにも関わらず、その意味はと問うと、一言では説明できず、ただ「深い」などの言葉で片付けられてしまう。愛の本質とは何なのか、ただ美しい言葉で飾るのではなく、肉感のある言葉をぶつけ合いながら、参加者全員の等身大の愛と、その本質について一緒に探っていきたいと思ったので。
 
 
「愛(するということ)」
愛が大きければ良いと言うものではないなぁと思うことが過去にあって、例えば、親子愛でも愛が強すぎる(重すぎる?)と過干渉になったりして、逆に子供を苦しめたり、恋人関係でも愛が重すぎると束縛になったり。
そこで本当に愛するとはどういうことなのかなと普段から考えていて、いろんな本とかを読んでみるのですが、なかなかしっくりくる答えが見つからなくて、他の方がどう考えているのか聞いてみたいなと思い、挙げました。
 
 
「愛」
愛の存在を、もっと実感したいから。かな、と思います。愛の、欠片のような存在のきらめきを感じることはある。とは思うんですが、しっかり捉えようとすると、はっきりせず、幻にしか思えなくなってしまう気がします。
もっと大きく横たわるというか、流れ続けているどっしりした揺るぎないような感覚を得られたら良いな~なんて思いました。
 
 
「平和」
平和の存在を、もっと実感したいから。かな、と思います。平和の、欠片のような存在のきらめきを感じることはある。とは思うんですが、しっかり捉えようとすると、はっきりせず、幻にしか思えなくなってしまう気がします。
もっと大きく横たわるというか、流れ続けているどっしりした揺るぎないような感覚を得られたら良いな~なんて思いました。
 
 
「怒り」
怒りという感情は、相手を傷つけるだけでなく、時として自分自身にも傷を負わせてしまう。怒りとはどこから来て、どこに終わりがあるのか。ぐるぐると頭の中を巡り続ける怒りという感情について、そもそもこの感情が必要なものなのか。皆さんの怒りの体験をお聴きしながら、ソクラティク・ダイアローグの中で、この永遠に続く怒りという感情を終わらせる事ができるならば終わらせてみたいと思ったので。
 
 
「死」
普段、私たちが語る対象は「生きている人間」ばかりです。
今日のニュースも、SNSの投稿も、職場での会話も、「これからも続く生」を前提とした人間の営みが前提だと思います。これは過去を前提とした縦軸の話(昔は日本も戦争をしていて、死が身近にあった)でもあり横軸の話でもある(途上国では今も毎日飢え死にをしている人々がいる)もちろん現代日本でも死は隠れていたり際立って表に現れていないだけで実は内在している。みんな見て見ぬ振りをしている?現時点の医療や技術では死は不可避であり皆が将来100%経験する人生の終着駅、死について語ることで自分達の正体,前提を明らかにしたいです。それに加えて安楽死の是非、実現可能性、条件についても語りたいです。
 

「幸福」
私の記憶が正しければ哲学カフェ大分のソクラティック・ダイアローグの第1回が幸福についてだったと思います。何故そのテーマになったのかは覚えていませんが、幸福は私がずっと考えているテーマでもあり、結論を出す新形式にとてもワクワクして参加したことはハッキリと覚えています。もしあの続きがあるならぜひ体験したい笑
 
 
「自由」
自分のことなのですが、自由になりたいとずっと思っていて、自分がやりたいことをやろうと、今起業を目指していろいろ勉強しているのですが、いざやりたいことを何でもやっていいという自由な環境になるんだと思うと急に不安になって、自由とは何かとじっくり考えてみたいなぁと思って挙げました。
 
 
信じる
私自身がプロテスタントのクリスチャン(3世)で、
神の存在が当たり前な感覚で今まで生きてきました。
20代後半になった今、そこに違和感というか、モヤモヤを感じてきています。
偶然この環境で育ったから、この神を信じて生きているだけで、もし仮に宗教観のない環境で生まれ育っていたら、私はどんな感覚で生きることになっていたのかなと想像したりします。

一方、日本人は一般的に無宗教が多いと言われていると思いますが、目的(?)や答え(?)がないこの世を生きていくには、特定の宗教でないにしても、科学でも、思想でも、お金でも、自分でも、何かを信じていないと不安になってくるような気もしています。

でも、どれも不安定で絶対的に正しいものはないように感じます。

それなら、私たちは、意識・無意識に関わらず
暫定的にでも何かを信じて生きているはずで、
それを対話を通して考えていきたいです。
 
 
 
「知る・学ぶ」
というテーマは、「信じる」に関連していると思っています。
そもそも神を知らなければ、神を考えないし、
神を信じることもないのかなと思います。
それと同じように、ある思想を学ばなければ
その思想にも興味を持つことすらないだろうと思います。
つまり、知る・学ぶというのは、何かを信じる前の行為のような気がします。

なので、「信じる」というテーマだと、
イデオロギーとか個人の思想の話になる可能性が高く
対話するのには少しハードルが高い気もするので、
一歩手前の「知る・学ぶ」をテーマにするほうが
そこまで緊張感なく対話できるかなと思いました。
 
 
「恥」
中学校で働いていたとき、「恥ずかしい」思いをした、させられた生徒たちの話をよく聞いていました。彼らにとっては本当に一大事でした。でも、私は大人になるにつれてそういう思いを上手に避ける術を身につけたり、そういった経験も少なくなっていったように思います。でも、いまいちど「恥」というものについて、その正体をじっくり考えてみたいなとふと思ったという感じです。
 
 
「期待」
先日、あまりにダラダラ過ごす娘に小言を言っていたら、「私に何を期待してるの」と返されたので、私のあのイライラは子供への期待からきているのか、そもそも期待って?という背景がありました。
 
 
「人間関係」
色々な人の話を聞いていく中で(私も含め)人間関係の一番最初は親と子の関係が根強いと思うのですが、自分で考えるのは限界があって…それについて深く広く考えてみたいと思ったからです。
 
 
「哲学」
私は雑談のつもりで話していたことを、友人に「それ哲学だよ」と言われ、それがきっかけとなり今こうして哲学対話の場に通っていますが、それまで自分の人生に哲学という要素が加わるなんて夢にも思っていませんでした。

歴史上の哲学者やその思想について勉強したこともないし、哲学というと「賢い人たちだけに開かれた、専門的でストイックな営み」みたいな偏見があったため、そもそも哲学という学問がどういうものなのかを知ろうとしたことすらなかったように思います。

そして、別に今もよく分かっていません。。

先日「スマホ時代の哲学」を読みました。この本の哲学観として「歴史上の哲学者の作ってきた概念を土台にする」ということが掲げられていました。
専門的でなくてOK🙆🏻‍♀️というソフトな場しか知らない状態で一丁前に哲学たのしーみたいな風になっていたため、そう書かれているのを読んだとき、やっぱりちゃんと勉強したわけでもないのに哲学とか言ったらダメかな…と自信をなくし、哲学ってけっきょく何なん…?状態に陥りました。

「自分の直観に基づいて思考し、それを言葉にしていく営みなら何であれ哲学と呼ぼう」とするタイプの哲学しか私は知らないですが、これって哲学なのか、むしろこっちが哲学なのか、この世界ぜんぶ哲学かもしれないのにわざわざ哲学という枠組みは必要なのか…
このタイプの営みを哲学とするとして、私は問いへの向き合い方も気まぐれでぜんぶ勘なので、この哲学の中だったとしても私は哲学できてないのでは…?と思ったりします。

その人の美学、ゆずれないものなどを言い表すときに「〇〇することはその人の“哲学”」みたいに表現したりしますが、美学と言われると分かる気がするけど、哲学と言われた瞬間分からない…哲学ってどういうことや…とボンヤリ立ち尽くすような気持ちになります。

なにが分からないのか、私は本当に哲学って何?ということについて考えたいのかも分からなくなってきましたが、哲学という枠組みに触れるたびこういう気持ちになるので、テーマとして提案してみました!
 

 

 

このなかからメールで一人2票、投票して一つに決めました。

 
「愛」7
「平和」1
「怒り」
「死」3
「幸福」
「自由」
「信じる」3
「知る・学ぶ」
「恥」
「期待」
「人間関係」
「哲学」2
 

 

他のテーマもとても捨て難いものでしたが、ソクラティク・ダイアローグでみなさんと考えるテーマは「愛」に決まりました。これが8月14日。

 

念のためテーマが「愛」だったら参加しづらい方は遠慮なくお伝えくださいと連絡はしましたが、特にテーマによるキャンセルはなかったです。

 

そして、決定したテーマ「愛」に関してのエピソード・経験談をみなさんから集めました。

 

(2)につづく

kannawadokusho.hatenablog.jp