風蘭さんの書
道教室では直接「古隷」
を臨書の題材として選ばなかったが、
個人的に漢代の磨崖に刻され二千年の風化に耐えた「
開通褒斜道刻石」に強く惹かれるものがあり、
いろいろと調べたり、試みに自分でも半紙に書いてみたりした。
線がとても難しくて面白い、魅力がある。私の愛する
中村不折の龍眠帖はここからきているのだろうか。
最初の「開通褒斜道刻石」の印象はジャクソン・
ポロックの抽象画を見ているようだった。
ぞわぞわからゾクゾクへ。テキストに掲載された「
開通褒斜道刻石」
をしばらく眺めていると不思議な感動が押し寄せてきた。
地と図がともに溶け出したような、
それでいて石に刻まれるほどのメッセージがあり、
そしてデザインで言うところの極端な字詰めと行間詰め、
そして文字自体はゆるふわ、
見ているうちに虜になってしまった。
***
石川九楊氏の解説に導かれてみる。
「総じて「古隷」は、風化・風蝕の美学の上に成立している。
古隷のもっとも美しい拓本は何かと尋ねられたら、
わたしは躊躇することなく開通褒斜道刻石と答える。
開通褒斜道刻石は、文句なしに美しい。その美しさは、
八分体に至る途上の素朴な文字構成もさりながら、それ以上に、
崩れた岩肌と、岩肌の亀裂と文字の字画が溶け合う、
不思議な光景の魅惑による。」『書の宇宙 4』
***
地も図もなくなったような開通褒斜道刻石のような、
文章を書きたいとも思う。いやこんな人になりたいというのか・・
どんな人だろう。
幸田文が
「崩れ」に惹かれたようなものかもしれない。
人生が崩壊の一過程であるがゆえに・・わたしの輪郭がじゃまだ。