その他
毎朝見るたびに、はつとするほどその書が新らしい 高村光太郎「黄山谷について」 2023.1.30-2.5 月曜日 教えている生徒さんの字が突然上手くなって、 もちろん練習の成果であるわけだが、 自転車に乗れるようになるように、 ある日突然、それは訪れる感の方…
2013 涙の兆しはないが、景色からあふれてくるものに浸されている気がした。通夜の客に姿を変えて、故郷というものがあふれてくる、と思えた。 『鳥を探しに』平出隆 メカスは、自分にとってワールド・トレードセンターとは、北斎にとっての富士山のようなも…
Nagasaki , 2010 意拳は実際の組討の中で、往々にして「只一下(ただ一撃)」で戦いを終える。この意拳の奇異な現象を、多くの人は「奪力一摶(すべての力を振り絞って殴りかかる)」、「孤注一擲(すべて運に任せて一息に勝負に出る)」などと理解し、甚だ…
Atami , 2006 するとそのとき、こういったさまざまの文学的関心とはまるで別のところで、それとはまったく関係なしに、突然、一つの屋根、一個の石の上にきらりと光る太陽の光、ある道から立ち上がる香りが、特別な喜びを与えて、私の足をとめさせるのだった…
私がベンヤミンに惹かれる理由のひとつは、そこかもしれません。彼は、最初から断片として構想された形式は、人類の最後の日における美しきものの像を確保している、というのです。 『鳥を探しに』平出隆 2022.12.5-11 月曜日 クロアチア戦、敗北、残念。 で…
人間の幸福というものの幻のような、おとぎばなしのような性質が彼には興味深かった。 『幸福』チェーホフ 2022.11.28-12.4 月曜日 みんなでみかん狩りヘ。 農園は丘陵の上にあり、目線の彼方には海が見える。 潮風を浴び、農薬を使っていない、露地栽培。 …
いやはや、なんのための議論になったのでしたかな!初めは健康のことだったのに、死ぬ話になっちまうなんて。チェーホフ『ヴェローチカ』 光を伝える!こういう言葉は、会話にも本にもありませんが、それを考え出し、頭の中に見つけ出したのですからね!『聖…
OABさんが当フリースクールのこども哲学を取材・撮影してくれて、先日「じもっと!OITA」で放送されました。端的にこども哲学をまとめていただいて嬉しかったです。YouTubeにもアップされたので、ぜひご覧ください。 ↓ www.youtube.com
長い、露のやどった口ひげを撫でながら、彼はずしりと馬にまたがって、何か忘れものがあるか、言い足りないかといったふうで、目を細めて遠くのほうを見た。いちばん地平線や果てしない曠野のあちこちに聳えている物見や古墳が、いかめしく、ひっそりと見お…
〔断章六より〕衝動のようにさへ行はれるすべての農業労働を冷く透明な解析によってその藍いろの影といっしょに舞踏の範囲に高めよ宮沢賢治「生徒諸君に寄せる」 2022.11.7-13 月曜日 新装したサッカーシューズでこどもたちとボールをひたすら蹴る。 蹴って…
ついにはありがたいことにまったく顔を見せなくなったころ、ヘイノ・ヴァンダージュースは視野の隅の方で、粗面積みの石壁と波打つニレの木の合間にきらきらと光る翼の付いた物体が見えたような気がしたことが一度か二度あった。そして奇妙なことに、それが…
イルカの交信がかれらのなき声によってはなされないで、音と音のあいだにある無音の間の長さによってなされるという生物学者の発表は暗示的だ。 武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』 2022.10.17-23 月曜日 夜は冷たい風が吹いたが、 猫のオカユは温泉の蒸…
脱穀・ 大分の安心院という(あじむと読む)地域は別府の鉄輪から車で40分もかからない場所にあり国東とも宇佐とも違う内陸の谷あい山あいの地域だ。そこに佐田という地区があり、佐田京石と呼ばれるストーンサークルがある不思議なところだが、そこで合鴨農…
この巨大な褐色がかった青が、私の魂のなかに落ちてきて、そこで歌っていた。私はこの色に浸り切っていたのです。 セザンヌ 2022.10.3-9 月曜日 子どもが立派なオセロボードを持ってきたのでオセロをする。 オセロというのは手加減というのが難しいし、こう…
世界を道徳的に感じとるとは、どういうことなのでしょうか。たとえば、雲ひとつない澄み切った蒼穹へ眼を向け、私たちの上に広がるその青さを感じることなのです。 『天体と自然界の霊的本性たち』ルドルフ・シュタイナー 子供の世界に少しでも近づきたいと…
林檎と梨。 それぞれの物の奥行きの違い。 林檎の方がより複雑に感じられる。 いや、深さの質が違うというべきか。 なぜセザンヌが執拗に描き続けたのか。 僕が完成することを求めるとすれば、それはより真実な、より難しい喜びのためだけであるべきです。 …
普通は空気と総称される物質にも固体化に向かう極小の傾向があり、動物と呼ばれる生命体にも周囲に浸透していく気体状の深さがある。 『セザンヌ 画家のメチエ』前田秀英樹 2022.9.5-11 月曜日 小学生のうかりゆ見学。 発露するエネルギー、好奇心、想像力、…
人間は他人を救うとおなじ次元で、じぶんを救うというようにはできていません。 吉本隆明 2022.9.5-11 月曜日 言葉そのものが救済となるような地平へ。 宗教は救済の地平にはないことに気付け。 宗教がわかりやすすぎる。 株式会社のような宗教。 不可解さに…
そこでも重点は それらの原理による統一ではなく 複数への分岐とそれらのあいだのバランスだった 高橋悠治 2022/8/29_4 月曜日 オンラインで副代表と午後からずっと打ち合わせ。 自分たちのやりたいことが見えてきた。 詰まっていたもの、滞りのあったところ…
この世界で、人間という生き物に知覚の能力を与えているものは、まず自然であって、決してその逆ではない。 『セザンヌ 画家のメチエ』前田英樹 2022.8.22-28 月曜日 外に出たら、秋のような風を感じてしまった。 火曜日 打ち合わせをした。たぶんいやあれば…
大分合同新聞に取材記事が掲載されました。 新しい学期が始まる、子どもたちの不調が増えるこのタイミングでの掲載は 意義深いものだと思います。 哲学対話という言葉が紙面に出るのも嬉しかったです。 今日は絶好のタイミングで、教育委員会や支援学校のう…
「水浴」の裸体は、むろん誰の裸体でもない。ここにいるのは、あれこれの〈人物〉ではない。これらの裸体は、マルヌ川の水に浸った少年の裸体を通して、ありうるすべての裸体へと拡がっていった感覚の生命である。 『セザンヌ 画家のメチエ』前田英樹 哲学と…
生命がそこにある感じをまざまざと感じる 幼児は禅のこころを持つアナキストだ。 『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』ブレイディみかこ 2022.8.8-14 月曜日 「知性的な人」というのは「周囲の人たちの知的パフォーマンスを高める人」というのが僕…
ミュージアムと内と外が呼応するようにそれはあった。 なだらかに連続性をたもちつつ、路地へとアニマは流れていった。 日常がアートであるように、アートが日常であるように、 いま生きているこことそこが結ばれていた。
課題提起教育において、人間は、世界のなかに、世界とともにあり、そしてそこで自分自身を発見する方法を、批判的に知覚する能力を発展させる。 課題提起型教育方法のプログラム内容は、すぐれて対話的であり、生徒の世界観によって構成・組織される。そこに…
窓から外を見ると、あらゆるものの間の距離が消え失せ、夜明けの光の中ですべてが新たな眼で見つめられた。J・クリシュナムルティ 2022.7.25-31 月曜日 ケアを中心としたこども哲学の可能性についてずっと考えている。 しかしケアというものがなんなのか、と…
「考えることでひとは強くなる」と思われている。主体的に自己決定できるようになると言われている。また、対話をすることでひとびとと協働する「力」がつき、社会で成功する信じられている。 哲学対話に乗り気じゃない生徒や学生に、大人たちは「社会に出て…
「もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物…
「自由な泳ぎ手 24」Wolfgang Tillmans , 2003 私にとってたとえそれがどのような旅であろうとそれはいつも北へ向かってゆくものなのだ。間章 毎日、毎日が祝福だった。 クリシュナムルティ 2022.7.4-10 月曜日 あたらしく来た生徒さんとネコのオカユが気が…
今月発行された別府市の市報に子どもの居場所として、 別府フリースクールうかりゆハウスが掲載されています。 当校が広く周知されることを願います。