対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

モメント

 

 





林檎と梨。

それぞれの物の奥行きの違い。

林檎の方がより複雑に感じられる。

いや、深さの質が違うというべきか。

なぜセザンヌが執拗に描き続けたのか。

 

 

 

僕が完成することを求めるとすれば、それはより真実な、より難しい喜びのためだけであるべきです。



私のモデルと、私が置く色と、私とは、一致して生きなくてはならない。過ぎていく同じ瞬間をニュアンスで満たさなくてはならない。

セザンヌ

 

 

 

 

 

 

2022.9.19-25

月曜日

台風が過ぎたというのに、雨風はげしいまま。

恐怖を感じた台風だった。

 

 

火曜日

朝、毛布を探した。

肌寒く、猫のオカユが寄ってきた。

 

こどもと走り回る。

エナジーフロー。

 

 

水曜日

記憶がないくらいこどもと走り回る。

 

夜は長崎の生徒にオンラインで高校英語を教える。

 

 

木曜日

記憶がないくらいこどもと走り回る。

 

 

金曜日

鉄輪湯あみ祭りの開催。

稚児行列でにぎわう。

一遍上人の踊り狂った舞台を再現すればいいのにと思う。

 

 

風が涼しくてひるね。

ひるねの方が熟睡感がある。

 

 

夜はサッカー日本代表アメリカ戦。

日本が強いのかアメリカが弱いのかわからないけど、

絡め取られない複雑な綾をなす三苫のドリブルに魅せられた。

 

 

 

 

 

土曜日

志高湖へ散策。

気持ちの良い風が吹いていた。

多くの人がキャンプしていて、その雰囲気も良い。

チルとはこういうことかと思った。

チルという戦略。

チルも資本主義に包囲されているのかもしれないけど。

 

 

帰ってから、うかりゆの見学を受ける。

料理が上手な男子。

月曜日から来てくれるみたいだ。

 

 

日曜日

別府鉄輪朝読書ノ会はおかげさまで満席。

宗教2世を扱った『星の子』今村夏子を読む。

あの事件がなかったら別の読み方をしているだろう。

実際の2世の方の話が聞けたのも貴重な機会だった。

ご参加ありがとうございました。

 

 

休日にうかりゆハウスの1階を借りたいという人が現れる。

賃貸の交渉をする。お互いの相場観のずれが興味深い。

 

 




僕は思うんですが、本当にやりたいことというのは、あなたがそれを見つけるよりは、向こうがあなたを見つけることの方が、可能性としては高いのではないかな。

 

村上春樹のつぶやきbot

 

 

【開催報告】別府鉄輪朝読書ノ会 9.25

 

 

「だまされてるの?」

「わたし? だまされてないよ」

 そのあと妙な沈黙があった。

 

『星の子』今村夏子

 

 

 

 

 

 

第七十六回目の別府鉄輪朝読書ノ会を開催しました。

 

今回とりあげた作品は『星の子』今村夏子でした。

 

新興宗教2世が題材となっていて、作品自体は2017年に書かれていますが、

安倍元首相銃撃事件を機に今回再読となりました。

 

対話のなかでは、実際宗教2世だった方の思いを聞きながら、

作品世界と照らし合わせて考えていく場面もありました。

作りものでない「リアル」な感じというものが、この作品にはありつつ、

根底には「優しさ」や「あたたかさ」が、でもいたるところに「不穏さ」も見出せる、

そんな両義的で決定不能な宙吊りの感じが、今村文学の魅力かもしれません。

 

 

日本の歴史を変えた銃撃事件以前の世界に戻るというのは難しく、

わたしたちもなにかしら歪んだ形でしか世界を見ることはできないので、

この作品の事件前の感想とは違ったものになっていると思われ、

文学の可能性としては収縮してしまったかもしれません。

 

ある参加者がこの物語を以前は宗教2世の物語とは読まなかったように、

愛というものはいびつでしかあり得ないものとして、

あるいは家族とは、とか「あやしさとは」といった問いもあったかもしれませんね。

 



 

 

今回むすびのさん特製メニューのテーマは「先入観」ということで、

青パパイヤ(おかずとして食べられる)やそうめん南瓜(南瓜だけどそうめん)、

冬瓜(実は旬は夏)といった食材で料理していただきました。

たいへん美味しかったです。

 

 

デザートはバジルのチーズケーキでした。

こちらも美味しかったです。

 

 

ご参加ありがとうございました。

 

 

次回は、かつては村上春樹の栄光の影に隠れ埋もれていた作家で近年評価が高い佐藤泰志きみの鳥はうたえる』同併録『草の響き』を読んでいこうと思います。

 

 

物への信仰告白

 

 



 

 

普通は空気と総称される物質にも固体化に向かう極小の傾向があり、動物と呼ばれる生命体にも周囲に浸透していく気体状の深さがある。

 

セザンヌ 画家のメチエ』前田秀英樹

 

 

 

 

 

2022.9.5-11

月曜日

小学生のうかりゆ見学。

発露するエネルギー、好奇心、想像力、創造性、、

いつからわれわれは子供でなくなるのか。

なにが子供でなくしているのか。

 

 

中秋をすぎても月はきれいなまま。

 

 

 

火曜日

絵本de考えるカフェを開催。

翻訳の違う同じ作品を比べながら読み聞かせをして鑑賞していく。

訳の違いによる、印象の違いを的確に述べていて驚かされた。

 

 

夜はオンラインで学校教育関係者の集い。

人の意見を聴いている中で感情的になる局面があり、

自分の意見とは違う場合でも、いったんは受け止めないといけないし、

それが許されるなら、安心・安全の場は崩れるだろう。

理解ある大人たちの間でさえ、対話の困難性というのがあらわれる。

いや、対話とはそもそも困難な営みなのだ。

 

 

水曜日

小2のエネルギー、パワー

学校では輝けない。

学校は解放へと向かわない、閉塞へと向かう。

日本はもう小手先の改良では輝く方へは向かわないだろう。

多くの税金とマンパワーとインフラを使って、

膨大な硬直へと心血を注いでいる。

ここかしこにカフカ的な世界が広がっている。

 

 

ゴダール死去の報。

尊厳死を選んだ。

ゴダールは10代終わりから20代前半のおれにとっての青春のすべての一つであった。

ゴダールの映画を見ていない人とは語る言葉がなかったくらいの。

ゴダールも死ぬという事実に、時間のすごみを感じた。

 

学生時代三鷹に住んでいた頃、駅前の半地下にアコムがやっているレンタル屋さんがあって、その当時はすべてVHSなのだけど、ゴダール作品のたとえば「勝手にしやがれ」とか後期の「決別」が置いてあって、何度も借りて見た。今でこそ、ゴダールの作品は簡単に見られるけど、25年前くらいの当時はその機械は貴重だった。そのアコムレンタルショップには気概を感じられるラインナップで、AV作品は置かずになかなか見られない名作をたくさん置いていた。たしか監修に水野晴郎がついていた。やがて時は経ち、経営的にAV作品も置くようになって均質化していき、いつの間にか閉店してしまった。こういう局所的な文化の芳醇はもうどこにもないだろう。

 

 

木曜日

外で走り回る。

小2の子のクリエイティビティ。

なんでも遊びにする。

学校にはこういう余白がない。

 

 

セザンヌの林檎の奥行きと小津映画の壺の奥行きは、響き合っている。

わたしたちは「物」についてまだ何も知らない。

ようやく哲学が追いつこうとしている。

 

 

金曜日

ひろゆき氏が、国葬反対者に対して、葬式を否定するのは人間としてどうかと思うとか言っていて、意図的なのか国葬と葬式を混ぜて語っている、つまり話の本質がすり替わっている。こういうのは(非常に簡単な)論理、レトリックの問題であるし、日本の学校では習わないが、海外ではしっかりするものの一つ。

 

鉄輪温泉渋ノ湯の秋の大掃除を手伝う。

みなさんお年寄りばかりで、わたしも若いとは言えないが、

このなかでは圧倒的に若く、かわいがられ、終わってお寿司とビールをいただいた。

 

 

 

土曜日

うかりゆハウスの部屋の整理整頓を進める。

片付けというのは命懸けだ。

時間はいくらあっても足りない。

 

 

 

日曜日

台風のため、アートde対話型鑑賞をオンラインに切り替えて開催。

緊急避難情報のアラームが鳴るなか、同じ絵画を見、問いを差し出し、

その世界を共に冒険した。

わたしは読書会と同じく、対話型鑑賞もできれば画家の目と同じ、

あるいはそこに少しでも近づいていくことをしたいと思っている。

 

 

台風14号の直撃。

たしかに体験したことのない風の強さと雨の多さ。

窓が風圧で割れるのではないのかという勢い。

 

夜は音が激しすぎて眠れない。

こういうとき頑丈なマンションがいいなと思ったりもする。

 

家の裏側というのは谷のポケットになっていて、

ほとんどそこはひっそりと無風で、それを猫と確認した。

 

 

 

 

そうした作品には、自然が、その複数の本質を分岐させ、土や空気や植物の産出に赴こうとする、その屈折点の爆発的なきらめきがある。

 

色面の反響のなかに、事物は顕われ、また後退する。事物が退くほど、色面が発する感覚の強度は高まり、絵は見る物を圧する。顕れるほど、画面は静まり、在るものの喜びが色となって満ち渡る。

 

セザンヌ 画家のメチエ』前田英樹

 

 

 

馬の背中は喪失的にうつくしい作文だった。

 

 

 

 

 

 

 

人間は他人を救うとおなじ次元で、じぶんを救うというようにはできていません。

 

吉本隆明

 

 

 

 

2022.9.5-11

月曜日

言葉そのものが救済となるような地平へ。

宗教は救済の地平にはないことに気付け。

宗教がわかりやすすぎる。

株式会社のような宗教。

不可解さに達していないものは宗教とは呼べず、

不可解さのなかに宗教はある。

 

 

 

馬の背中は喪失的にうつくしい作文だった。沼に立ち尽くす馬は暗く燃え、やがて皮膚の上には雪が結晶する。

 

「針葉樹林」石松佳

 

 

 

 

火曜日

こども哲学の時間を開催する。

世界が薄明から開示される思い。

 

 

 

 

水曜日

台風後のすばらしい空気。

涼しさの感覚を久しぶりに味わって、よく眠れる。

 

葉に照り変える光の輝かしさ。

 

夜は英語の授業。

 

 

木曜日

パンフレットの文言を練り直す。

自分の言葉で語る難しさと楽しさ、

創造とはつねに前衛の位置に立っていること。

自由であること。

 

 

 

金曜日

ブルーレイがいっぱいになったので、ディスクに書き込む作業。

こういう作業は好きだ。

自分だけのプレイリスト、映像保管をわくわくする。

 

 

 

土曜日

カレーやMOMOでドナ・ウィリアムズの『自閉症という体験』の木村さんによる朗読。

合間、合間に木村さんの思索、自閉症施設めぶき園での経験も交えつつ語りが入る。

木村さんはどこかでお見受けしたと思っていたら、韓氏意拳の稽古場で何度も

会っていたのだった。

 

自閉症について、言語以前の、身体化以前の名付けられる前にい続けるこどもたちは

たしかに神様みたいな存在かもしれない。

 

 

わたしのなかで何かが繋がりつつある。

言語の世界と実在(存在)の世界。

大きなものと大きなものが。

堰を切ったように、激しい流れが生まれるような予感。

セザンヌパウル・クレーフレイレクリシュナムルティ

わたしたちはなにより自由を愛する、

 

 

 

 

遙か以前にこの世を去ってはいるが、画布の上に現われ、繰り返し現われ続けている帝王の微笑は、像(イマージュ)として、あるいは本質としてそこにあるのだ、と言うのではとうてい足りない。私が画面に目を向けるやいなや、その微笑それ自体が、かつてのようなひどく生き生きとした姿で、そこにあるのだ。セザンヌが描こうとしていた「世界の瞬間」、それはずっと以前に過ぎ去ったものではあるが、彼の画布はわれわれにこの瞬間を投げかけて続けている。そして彼のサント・ヴィクトワールの嶺は、世界のどこにでも現われ、繰り返し現われて来よう。エクスに聳える固い岩稜とは違ったふうに、だがそれに劣らず力強く。本質と実存・想像と実在・見えるものと見えないもの、絵画はそういったすべてのカテゴリーをかきまぜ、肉体をそなえた本質、作用因的類似性、無言の意味から成るその夢の世界を繰り拡げるのである。

 

『眼と精神』メルロ・ポンティ

 

 

 

 

フリースクールに飾られたセザンヌの写真。セザンヌの写真のあるフリースクールなどあるのだろうか。



 

日曜日

走って汗をかいた。

そのことだけが間違いのないのように思えた。

 

 

 

 

【開催案内】絵本de考えるカフェ 9.13



 

◆「絵本 de 考えるカフェ」一緒に絵本を読んで、考えることを楽しもう!

 

 

最後に絵本を読んだのはいつですか?忘れられない絵本はありますか?絵本の作品世界を味わって、そのテーマに込められた世界観を考え語り合いませんか?今回も谷川俊太郎の文章を読みたいと思います。

 

○日 時:9月13日(火)14時00分〜15時30分

○えほん:『おおきな木』作 シルヴァスタイン 訳 村上春樹または本田錦一郎(篠崎書林)

 

ファシリテーター:シミズ

○参加費:500円

○備 考:開催前日までにお申込みください。

○前回の様子:https://kannawadokusho.hatenablog.jp/entry/2022/07/20/170422

 

事前に読んでくる必要はありません。当日一緒に鑑賞しましょう。

 

 

解放に真にかかわる人びとは、

 

 

 

そこでも重点は それらの原理による統一ではなく 複数への分岐とそれらのあいだのバランスだった 

 

高橋悠治

 

 

 

 

2022/8/29_4

月曜日

オンラインで副代表と午後からずっと打ち合わせ。

自分たちのやりたいことが見えてきた。

詰まっていたもの、滞りのあったところに言葉が生まれ、

流れが生まれれば、自然と生徒も集まってくるのではないのか。

 

 

新聞を読んでくれた司書講習の仲間達から、見たよとの連絡が。

有り難い。

 

 

火曜日

パンフレットを改訂のため、ページネーションからデザインまで集中する。

理念を言語化できれば、デザインもそれに合わせたものに変えていく。

とても楽しい行為。

 

 

 

水曜日

こどもたちとフラワーラッピングをし、ボードゲームをする。

 

 

 

木曜日

 

こどもたちとともに問いを交わす日日。

大人の方が固い、固い。

 

9月になった。

 

 

金曜日

奇妙な夢。

大学のゼミかなにかかで正面に教授が座っていて、机を接している。教授の筆記用具たちが机上にいくつかあって、わたしの筆記用具も散らばっていて、それらが混ざり合って、わたしは無意識裡にか教授のお洒落なペンを使う。とそれに対して教授が激怒して、アカハラのように執拗に責められていたたたまれなくなって目が覚める。

 

 

この夢に関して思うことは、高校の頃に話したこともない体育の先生から突然叱られて、恥をかいた思い出だった。そのときの感触と似ていた。むしろその頃のことが思い出されて、怒りの感情が湧いた。不快でしかなかった。

 

 

 

土曜日

月に一度の対話勉強会、オンラインで。

11月の哲学プラクティス連絡会に参加する際のテーマを決める。

ファシリテーターの振り返り、どうしてますか?」

対話の振り返りと混同されないか、ちょっと心配だけど、面白そう。

 

 

 

フレイレの『被抑圧者の教育学』をついに購入。

ツイッターbotで琴線に触れるものばかりで。

わたしたちがフリースクールでやりたいことの骨子はほぼフレイレによって

書き上げられているのではないのだろうか。

 

 

 

一方的語りかけ(それはつねに語りかける人である教師によるものであるが)は、生徒を語りかけられる内容の機械的な暗記者にする。さらに悪いことに、かれらはそれによって容器、つまり、教師によって満たされるべき入れ物に変えられてしまう。

 
 

解放に真にかかわる人びとは、銀行型概念を完全に拒否し、それにかえて意識的存在としての人間と、世界に向けられた意識としての意識の概念を採用しなければならない。かれらは、預金をするという教育目標を捨てて、それにかえて世界との関係にある人間の課題を設定しなければならない。

 

 

生徒の創造力を最小限に抑え、摘み取り、かれらの軽信をあおりたてる銀行型教育の機能は、世界を解明したいとも思わなければ、それが変革されるのを見たいとも思わない抑圧者の利益に仕えるものである。

 

 

パウロフレイレ

 

 

 

 

日曜日

保坂和志氏の小説的思考塾、オンラインで。

いつも元気と勇気をもらえる語りがある。

文体の要素に「自己イメージ」というのがあって、ハッとさせられた。

あと昔ディスクユニオンはトップ10ランキングなんてやらなかったという指摘とか。

 

 

 

思想は、世界にたち向かう行動によって生みだされるときにのみ意味をもつ、ということが真実であるならば、教師にたいする生徒の従属は不可能となる。

 

フレイレ

 

 

 

 

 

【開催案内】第七十六回 別府鉄輪朝読書ノ会 9.25

 

 

 

「教えてやる。おれとおまえ、将来結婚するんだよ」

「エッ」

 

『星の子』今村夏子(朝日文庫

 

 

 

 

◆「別府鉄輪朝読書ノ会 9.25 」
九月は新興宗教2世を扱った『星の子』今村夏子(朝日文庫を読んでいきます。

(内容紹介)
ちひろは中学3年生。
病弱だった娘を救いたい一心で、両親は「あやしい宗教」にのめり込み、その信仰が家族の形を歪めていく。


○課題図書:『星の子』今村夏子(朝日文庫
○日 時:9月25日(日)10:00-12:00
○場 所:別府市鉄輪ここちカフェむすびの
ファシリテーター:シミズ
○参加費:¥1,200円(運営費、むすびのさん特製の軽食、ドリンク代含む)
○定 員:12名程度(要事前申し込み、先着順)
○備 考:課題本を事前に読んで参加してください。
      9/22木までにお申込みください。