対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催案内】哲学カフェ大分 1.18

 

◆「哲学カフェ大分 1.18」
今回は結論を出さない通常タイプの哲学対話をします。前回の哲学対話で「自分を磨く」という言葉が出て、何だろうと考えてみたくなりました。みなさんは「自分磨き」をしていますか?新しい年を迎えるに当たり、新たな目標やしたいことを掲げる機会もあると思います。自分磨きをしている人がしていない人を見下したりとか、ずっと成長し続けなくてはいけない資本主義社会との関係とか、いろいろ考えられそうです。哲学の知識は不要です。ぜひご参加ください♫

○テーマ:「自分磨きとは?」
○日 時:2025年1月18日(土)18:10-21:00
○会 場:大分市(コンパルホール)
○企画・ファシリテーター:しみず
○参加費:1,300円(学生さん1,000円)
○定 員:約15名程度(要事前申し込み、先着順)
○備 考:開催前日までにお申込みください。

 

 

【開催報告】こども哲学の時間 1.11

 

 

今日は月に一度のフリースクールを開放して、子どもたちと哲学対話をしました。

 

事前に考えてきてくれた問いは、

 

Q なぜてつ学があるのか?

 

Q なんでネコは哲学者なの?

 

でした。哲学と哲学者の本質を考えていく問いになりました。

 

 

 

哲学に似ている教科はある?

国語とどう違う?道徳とどう違う?

哲学って、なんのためにあるのかな?

哲学がないと困ることってあるのかなあと?

 

などなど、いろんな問いかけをしながら、深めていきました。

 

哲学って、どんな学問だと思う?との問いには、

小3の生徒が、「今までわからなかったことを考える学問」と応えて、

内心、感動しました。。

 

また「人との関係が深まるきっかけになる」というのにも驚きました。

 

 

 

 

もう一つの、なんでネコは哲学者なのか?という問いを検証するために、

ネコと哲学者の特徴を出していって、比較してみました。

 

ネコはかわいいけど、哲学者はかわいい?

ネコはかしこい、哲学者もかしこい。でもその「かしこい」ってどんなかしこい?

犬のかしこさとネコのかしこさは違う感じ。

犬のかしこさは命令に従うかしこさ、ネコは自由に考えるかしこさ?

ネコも哲学者も自分の考え、生き方がある

 

などなど、非常に興味深い哲学対話でした。

 

 

終わって子どもたちに感想を聞きました。

 

学校ではなかなか考える機会もなく、周りも考えていないと嘆いているのが印象的でした。学校では「自由」には考えられないとのこと。。

 

ご参加ありがとうございました。

 

それぞれのPネーム



ネコがテーマのときにあらわれたオカユちゃん。されるがまま。。

 

【開催案内】こども哲学の時間 1.11

 

 

◆オープン「こども哲学の時間 1.11」※こどもが対象です


いつもはフリースクール内でクローズドにこども哲学をするのですが、参加者を公募して、オープンにこども哲学を開催したいと思います。参加するこどもたちから「問い」を集めて、その中から一つを選んで哲学対話していきます。こどもたちの問いに出会いたいです。

○日 時:2025年1月11日(土)14:00-15:00
○テーマ:「みんなの問い出しから始めます」
○対 象:こども哲学に関心のある子どもたち小中学生(保護者の方の参加は応相談)
○会 場:別府フリースクールうかりゆハウス(別府市鉄輪上1組)
○企画・ファシリテーター:しみず
○参加費:1,000円
○備 考:開催前日までにお申込みください。

 

 

【開催案内】第百四回 別府鉄輪朝読書ノ会 1.26

 

 

◆第百四回 別府鉄輪朝読書ノ会 1.26
来年一月は、読書会をテーマにした小説をとりあげます。直木賞候補になっていますが、きっと受賞すると思います。お楽しみに♫
 
本を読み、人生を語る。
人が生のままの姿になり言葉が溢れだす。
そんな幸福な時間をぎゅっと閉じ込めたい、という願いが込められた物語です。

*
小樽の古民家カフェ「喫茶シトロン」には今日も老人たちが集まる。
月に一度の読書会〈坂の途中で本を読む会〉は今年で20年目を迎える。
最年長92歳、最年少78歳、平均年齢85歳の超高齢読書サークル。
それぞれに人の話を聞かないから予定は決まらないし、連絡は一度だけで伝わることもない。持病の一つや二つは当たり前で、毎月集まれていることが奇跡的でもある。

なぜ老人たちは読書会を目指すのか。
読みが語りを生み、語りが人生を照らし出す。
幸福な時間が溢れだす、傑作読書会小説。


○課題図書:『よむよむかたる』朝倉かすみ文藝春秋
○日 時:2025年1月26日(日)10:00-12:00
○場 所:別府市鉄輪ここちカフェむすびの
ファシリテーター:しみず
○参加費:¥1,500円(運営費、むすびのさん特製のメニュー代含む)
○定 員:15名程度(要事前申し込み、先着順)
○備 考:課題本を事前に読んで参加してください。
      1/23木までにお申込みください。
 
 

お正月にシュタイナー十二感覚論を学ぶ

 

ニドムさん主催、喫茶Piricaにて「シュタイナーの12感覚論」を学ぶ講座を受けました。
 
シュタイナーについてはいくつかの著作をかじり読んだりしていても、いまいち芯に触れた理解が足りないと感じ、それでいて重要性だけはわかっているつもりだったので、友人のnさんに誘われたこの機会にどっぷり浸かってみようと思ったのでした。
 
シュタイナーの哲学には、人間とは何か、私とはなにか、という問いが根源的にあり、そのアプローチの仕方が「独特」なわけですが、その論理が実践へと繋がるところに身体性(動きのオイリュトミー)やアート性(フォルメン)があり、子ども理解やフリースクールでの教育に役立ちそうな知見がたくさんありました。
 
この講座の受講者にはわたしの哲学対話に参加された方も多くいらっしゃって、興味の関心が重なるのかと思いつつ、哲学対話にフィードバックできそうなところもあるなといくつかの閃きがありました。
 
一番琴線に触れたのは、最初の「耳」の講義で、耳は内奥へ内奥へと伸びていき魂に最も近い器官であると(その反面、目は外へ外へと飛び出している)。ファシリテーターとして「聴く」ということの重さ、深さをまた別の視点から考えるきっかけになりそうです。
 
講義を説明する際の黒板のグラフィックが美しく、帰り際、講師の関麻依子さんになぜホワイトボードではなく、黒板をつかって教授するのかを質問したところ、黒い(闇?)ところから何かが出現してくる感覚を大事にしているということを解説していただいて、感動したのでした。わたしもフリースクールでは、ホワイトボード(0か1かみたいな書き味になってしまう・・)ではなく、黒板にしようかと思いました。ありがとうございました。
 
会場の喫茶Piricaさんでも哲学対話ができるといいなと店主河野さんと話したところでした。いろんな展開が今後もありそうです。たぶんわたしの中でシュタイナーはいろんな形となって花となっていくでしょう。ありがとうございました。
 




 

2024 フリカエリ

 

 

 

 

今年最後の坐禅
 
四月に羯諦寺さんを訪問して、坐禅と出会ったのが今年一番の革命的な出来事かもしれない。
 
身体を通して自分(世界)と出会い直す。また途上の途上だけど。
 
考えない坐禅と考える哲学対話はまったく真逆のことなのに、とても近しいものを感じているが、まだ言語化できない。
 
今日の沈みゆく夕日の中での坐禅他の参禅者が色彩のあった世界から、完全に白とくろのシルエットになって、仮死(空)へと移行する。しかし実はこのこと自体がわたしの意味付け、色付けなので、さらにそこを外さないといけない。
 
もう一つの大きな出来事はエッセイをウェブ媒体ではあるが地方紙で書かせていただいたことだ。そこにはデスクのチェックが入るし、もっと他者に向かって開かれたものである。ブログに書くこととは負荷がまるで違った。そして〈書く〉ということがこんなにも〈生きる〉ことや〈救い〉につながるものだとは思わなかったし、同時に〈読む〉ことにも深みが増してきたのは望外の喜び。書かなければ、読むことも半分しか分からない。
 
 
そして今年は大人向けの哲学対話では、大分大学で2回、玖珠町立学びの多様化学校でも先生向けの研修と子どもたちと2回、UEMURA BREADさんでは7回も、こども哲学もいろんな場所で、別府鉄輪朝読書ノ会も100回を越えて開催できて、そして何より多くの方と出会うことができました。わたしに関わってくれたすべての人に感謝です。
 
来年もどうぞよろしくお願いします。良いお年をお迎えください。
 
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Last zazen of the year. Perhaps the biggest revolution of the year was when I visited Gyateiji Temple in April and encountered zazen.

Re-encounter myself (the world) through my body. I'm still on the way, though.

Though zazen without thinking and philosophical dialogue with thinking are completely opposites, I feel that they are very close, but I have yet to express them in words.
 
Today, as I sat in zazen in the setting sun, I went from a colorful world with other Zen practitioners to a completely white and black silhouette, transitioning into suspended animation (the sky). However, this itself is my own meaning and coloring, so I have to remove it even further.
 
Another big event was that I had the opportunity to write an essay for a local newspaper, albeit on the web. There's a desk check there, and it's more open to others. The workload was completely different from writing on a this blog. I never thought that ``writing'' could be so connected to ``living'' and ``salvation,'' and at the same time, it was an unexpected joy to see that ``reading'' became more profound. If you don't write, you'll only know half of what you read.

This year, we were able to hold philosophy dialogues for adults, philosophy classes for children, and book clubs in many different places, and most importantly, I was able to meet many people. Thank you to everyone who has been involved with me.

We hope to see you again next year. I wish you a happy new year.