対話と人と読書|哲学カフェ大分

大分市で哲学カフェ大分を別府市で別府鉄輪朝読書ノ会を開催しています。

【開催案内】新企画「オンライン・ソーシャルカフェ 7.23」

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大運動会スタジアム

 

ソーシャルカフェとは、社会の課題や問題点について語り合い、解決の糸口やヒントを見出し、より良い社会に近づくため、また民主主義の足場になるような対話型コミュニティを目指す試みです。不定期で開催したいと思います。今回は大運動会は必要なのか、あるネットの記事を参照としつつ、みなさんと問い考えたいと思います。
 

○テーマ:「大運動会(オリンピック)は必要なの?」
○日 時:7月23日(金)20:00-21:45
○方 法:Zoomを使用します。
○参加条件:以下のネット記事を事前にお読み下さい。
https://www.iwanamishinsho80.com/post/yoshimi
ファシリテーター:シミズ
○参加費:300円*paypayかamazonギフト券でお支払いください。
○定 員:約15名程度(要事前申し込み、先着順)
○備 考:開催日前日までにお申込みください。
 
 

人が待ち時間に空を見上げなくなったから、UFOの目撃情報が減った

 

 

 

 

私は「青く高い空」の章では、人が戦場でたおれるとき青い空を恋しがり、あそこに幸福があったと思うということについて話した。


小島信夫『私の作家遍歴』

 

 

 

 

 

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2002.10   Seoul



 

 

一週間

 

 

月曜日

ウカリユハウスの壁面の塗装が大方終わる。思ったより白く輝いていて気恥ずかしささえある。新品の靴をおろしたときのような。

 

父が西南戦争の歴史が好きなので、なぜか部屋を片付けていると出てきた西南戦争激戦地図をプレゼントする。鶴崎にも薩摩軍は来ていたんだな。

 

 

火曜日

大分・別府も梅雨が明けた。

 

 

最近は素麺ばかり食べていたので、滋養をつけるためにスパイスカレーを作った。良い出来映え。カレー鍋ではなく、フライパンで作るのがコツだと気付いた。それにしてもスパイスの匂いが近所中に漂う。スパイスカレーを食べるととても元気が出る。それも上っ面な元気ではない。ここ最近やる気に欠けていたところ、奮起するものがある。

 

 

 

水曜日

戸次の帆足本家というところで塗師赤木明登さんの個展があるとSNSで偶然知り、駆けつける。もう十年以上前になるが、輪島に訪れたとき、そのお椀を手に取った感動そのままに、彼の仕事はそのままゆるやかに進化し、一万年以上続く漆塗りの歴史をしずかにそして忍耐強く引き受けているように思えた。「能登一ノ椀」と名付けられた黒いお椀の光をやさしく吸い込む艶、文字通り漆黒の、得も言われぬぽってりとした丸み。ため息が出るほど美しい。オーナーの帆足さんからは「癒し」という言葉が出て、コロナ渦のなかで売れているようだ。

 

 

 

 

僕の自慢はオリジナリティが無いことだと考えています。

 

赤木明登

 

 

 

 

夜、武田砂鉄氏×ブレイディみかこ氏による、それぞれの刊行記念オンライン対談を聴く。大運動会(オリンピック)やフェミニズム、マチズモについての話。英国にはぶつかり男はいないという話。男の歪んだ自尊心について、哲学対話でも話せそう。

 

 

 

木曜日

朝の数時間、微かな涼風が漂うように吹くのを楽しむ。鬼太郎の親父が毎朝草表に転がる朝露を甘露として味わうように。

 

 

走っている途中で大雨が降ってきた。中間地点だったので戻ることはせず、そのまま走った。それはそれで気持ちよかった。 久しぶりにずぶ濡れ、洪水のように人間の道は流れていき、蛙たちの道ができてぴょんぴょん跳ねていた。遠雷だけが怖かった。

 

 

プルースト失われた時を求めて』(井上究一郎訳)を読み始める。百合のような薄い香りがする。たしかな焦点を結ばない散文の極地。夏葉社の島田さんは無職時代に全巻読んだそうだ。自分も今をおいて読まなければ、あと老後にしか読む機会はないんじゃないのかと思った。

 

 

 

金曜日 

今日はとても涼しい。扇風機もいらない。

 

ベランダ側を工事しているので、奥の部屋に移動して読書する。この部屋の窓から見える冨士屋さんの庭の樹々がとても気に入っていて、ぼうっとしたいときはここに置いてある椅子に座って眺める。樹々の花々に飛び交う虫たちに順番があるのか、季節や気候、時間帯によって違うのがわかる。こういうのはぼうっとした時間のなかでしか気付けない。

 

 

夜、高橋源一郎氏のラジオを聴く。この番組冒頭の高橋源一郎氏のモノローグに、いつもなぜだか胸がぎゅっとなる。労働していた頃、カーラジオからその声が流れ、幾度か胸に迫るものあり、涙を流すこともあった。過酷な労働のなかで擦り切れた理想を慰める数少ない人文学との繋がりが感じられる時間だった。

 

 

土曜日

朝から激しい雨。

 

 

実家に一時帰る。

 

夜、オンラインで海老名中央図書館の企画「『波〔新訳版〕』刊行記念イベント 「ヴァージニア・ウルフとの新たな出会いとその先」」森山恵氏(詩人・翻訳家)×小澤みゆき氏(編集者)の対談。ヴァージニア・ウルフの『波』は以前既訳のもので読んだのだが、途中で挫折してしまって、ずっと気になっていたのだった。「かわいいウルフ」「男たち女たちが薄くなる瞬間」「彼女ののりものに乗って新しい体験をする」「アダプテーション」「以前の翻訳は読まずに翻訳する。影響を受けるので」など示唆に富む内容だった。図書館が企画したというのも素晴らしい。司書さんのファシリテーションも良かった。小澤さんのzoomの画面がアニメーションになっていて、あれどうやってやるんだろうとおもった。

 

 

前述のオンラインをヘッドフォンで聴きながら、同時にサッカー日本代表のスペインとの試合を音を消してテレビで観戦する。実況がないほうがいい。現象だけが見える。堂安選手のゴール。それにしても本番が無観客というのはどうにかならないものか。ほんとに誰のため何のためにオリンピックを開催するのだろうか。。

 

 

そんなことを並行しながら、大きな地震がきた。初めは緩く、徐々に強くなった揺れ。揺れている最中の、この揺れがこれから大きくなるのか小さくなっていくのかわからないあの感じが不気味だが、どうしようもない。

 

 

小澤みゆき氏の試み

authors-note.stores.jp

 

 

 

日曜日

朝、オンラインで「本読みに与ふる時間」を開催する。 厳かな、と呼びたくなるような黙読の時間を参加者の方と共有する。わたしは図書館で借りて来週返さねばならない藤原辰史の『ナチス・ドイツ有機農業』を読んだ。会の時間が終わっても、読書モードは続きしばらく読み耽る。いい日曜日のスタート。

 

 

コンビニで見かけるとつい買ってしまう「&プレミアム」という雑誌。今回のテーマは「心地よく暮らすための、日々の習慣」。各氏いろんな人の習慣が紹介されている。そんなに有名でない人が多く占められているのが良い。どの習慣もありふれたものなのも良い。同じ喫茶店の決まった席で紅茶を飲むというのがあって、「決まった席」というものを自分も持ってみたいとふとおもった。 

 

 

 

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窓辺

 

 

【開催報告】第六 本読みに与ふる時間 7.18

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2005.12 Atami , kinomiya

 

 

六回目の「本読みに与ふる時間」を開催しました。本読みに与ふる時間とは、日曜日の朝に各自自分が読みたい本を読む、そんな時間をオンラインで他の参加者と共有する、ただそれだけのイベントです。読まれる本のジャンルは問いません。漫画でもいいです。お子様と絵本を読まれても構いません。(オンラインで、できるだけ「話さない」ことを基本としたいので黙読をお願いしたいですが、ミュートなのでまあいっか。)

 

一人で読書するのとは違う、集中した時間を体験できるのではないのかと自身の経験から思います。休日の朝を有意義に過ごす朝活として活用してください。朝のこの共有の体験が、一日を気持ちよく過ごすきっかけになれば嬉しいです。

 

 

今回参加者の方が読まれた本です。

 

 

・『須賀敦子全集 第3巻』須賀敦子河出文庫

 

・『彼女たちの場合は』江國香織集英社

 

・『シュタイナー思想とヌーソロジー』半田広宣・福田秀樹・大野章(ヒカルランド)

 

・『ナチス・ドイツ有機農業』藤原辰史(柏書房

 

・『愛人 ラマン』マルグリット・デュラス河出文庫

 

・『アナログ』ビートたけし(新潮社)

 

 

ヌーソロジーとシュタイナーの本、3万円超えている…。読みたいけど図書館にもないんよね。。

 

僕が読んだ『ナチス・ドイツ有機農業』は、副題が「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」となっていて、シュタイナー農法を源流とするナチス第三帝国有機農業あるいはエコロジー思想がホロコーストにまで行き着く過程をつぶさに記述し、また現在のエコロジー運動との類似をあげ批判的に読み解いていく、たいへん刺激的な論考になっています。著者の藤原辰史氏はこの読書会でもたびたび取り上げられていますね。

 

ご参加ありがとうございました。

 

 

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本読みに与ふる時間 7.18

 

 

 

【開催案内】本読みに与ふる時間 7.18

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 tsukumi city , 2012

 

 

 

「本読みに与ふる時間」とは各自が日曜日の朝に好きな本を20分間読む、その時間をオンラインで共有するというだけの企画です。

 


【企画の概要】
・各自が読まれる本は問いません。文芸書でもビジネス書でもお子さんと一緒に絵本を読んでもOKです。基本黙読でお願いします。
・9時開場で、読書時間はだいたい9時15分~35分の20分とします。
・参加費はかかりません。
・zoomを使用します。あらかじめアプリをダウンロードしておいてください。
ご自身がその日に読む本をzoomのチャット欄に書き込んでください。できれば選んだ理由も書き添えてくれると嬉しいです。
・参加者の方が自己紹介など特に話す必要はありません。僕が一方的にしゃべります。話すのが苦手な方歓迎です。
・マスクをしていても構いませんが、ビデオはオンにして顔出しでお願いします。
・基本ミュートにしてください。
・参加には事前の申し込みが必要ですが、ドタキャンはOKです。途中参加途中退出もOKです。
・参加希望者はこのメールに返信ください。開催日の前日に招待メールをお送りします。
・僕の都合で突然中止になるかもしれませんが、その際は事前に連絡いたします。

 


○企 画:第六回 本読みに与ふる時間
○日 時:7月18日(日)9:00-9:40
ファシリテーター:シミズ
○参加費:なし
○定 員:何名でも可(要事前申し込み。ドタキャンOK)
○備 考:参加申込者には前日に招待メールをお送りします。それにリンクしてあるzoomのURLをクリックして当日入室してください。お申込みは7/17土まででお願いします。  
○前回の開催報告です→
https://kannawadokusho.hatenablog.jp/entry/2021/06/16/165016

 

お申し込みはホームページより 

読書会 - 対話と人と読書(哲学カフェ大分)

 

【開催報告】オン哲!7.10(オンライン哲学カフェ)

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僕が現場と言うのは、たんに目の前にある場所ということではないのです。

 

遠野物語森山大道

 

 

 

 

 

七月のオンライン哲学カフェを開催しました。

今回のテーマは「諦めることとは」についてみなさんと対話しました。

 

仏教では「諦める」ことがポジティブな意味(明らかにする、理に合わないことを捨てる)に使われているが、オリンピックや太平洋戦争の例をみても、諦めることができずに泥沼にはまっていっている。また個人を例にとっても、諦められずに生き辛さにつながっているのではないかという前置きで対話に入っていきました。

 

はじめにみなさんに自己紹介ついでに今回のテーマについて聞いてみました。

 

・何も考えずに参加しました

・諦めを邪魔するものは何だろうかと考えた。それは「意地」ではないのか

・把握する世界観が大きくなって、諦めることが難しくなったのではないか

・他人との比較する機会が多くなっている

・災害の多い日本の無常観と諦めの関係

・自分は過去を何を諦めてきたのかのだろうか。

・どうでもいいことは早めに諦める。ねこの命に関しては悪あがきをする。手を尽くしたい。

 

 

それまでにかけてきたコストを鑑みて、諦めない、諦められないという事態が起こることもあれば、そういう合理的な計算ができなくなって、あえて損をしてでも突き進むこともある。気候や天候、コロナ(みんなも我慢している)などによって諦めるという場合、自分だけではないということと不可抗力であるという認識が諦めやすさにつながる。諦めがつく。が、たとえば肉親などが行方不明になって遺体が見つかっていないときには非常に諦めるのが難しい。(区切りをどうつけるのか)

 

 

 

諦める前・諦めるとき・諦めた後

 

 

諦めるという行為には、

1. 人事を尽くして天命を待つ態度(受容)

2. 見切る。登山での深追いをやめることなど

があるのではないか。

 

 

諦めることで自由になる。

諦めないことで自由になる。

 

 

諦めと居直りは違うことを見極める。

 

 

戦略的退却。

 

 

仏教だけではない、キリスト教に内在する諦めのシステムがある。(神の特別な計らい)

 

 

行動自体を目的化すれば、諦めが消える。(負けがない)

 

 

緊張をはらんだ諦めとそうでない諦め。

フレームの外を考えるか否か。

キング牧師の言葉。

「信仰とは、階段が全て見通せなくても第一歩を踏み出すことである。」

 

 

「諦めること」を考えていくなかで、いつの間にか大きなとば口に立ったところで、

終わりの時間となりました。

 

 

いつものように結論めいたものはありませんが、僕自身は対話前と比べて、「諦めること」がこんなに深みがあって、スリリングなものだとは思わず、なんかとても勇気というか元気をもらいました。諦めるとか諦めないとか関係のない世界もあるのかなあと夢想しつつ。

 

 

 

 

ご参加いただきありがとうございました。

 

 

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 オン哲!7.10

エリ・エリ・レマ・サバクタニ

 

 

 

 

ここにすべてがあるから、わたしは書くために遠くまで行く必要はない。

 

辻山良雄

 

 

 

 

 

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鉄輪温泉渋ノ湯の裏手にある月を象った碑。どういう意味があるのか分からない

 

 

一週間

 

 

月曜日

暑い、蒸す、これはもう夏だ。クーラーつける。

 

 

昨日の韓氏意拳の稽古の残響、筋肉痛。普段ジョギングなどで鍛えている身体とは別の身体が私のなかで生き始めているのか。

 

 

近所のコンビニで働くもう長いお局様のような女性店員がいるのだが、「いらっしゃませ〜」とか「ありがとうございました。またお越し下さいませ〜」のかけ声に強い癖があり、なんというか後を引くような、しゃくり上げるような言い方をしていて、いつも気になっていた。このコンビニはAPUに近いこともあり、外国籍のアルバイト店員も多く働いていて、今日久しぶりに訪れたら、その外国籍の店員みんなのかけ声が、そのお局様の言い方と全く同じ癖の強い言い方になっており、笑いそうになった。それが標準的な言い方だと思って真似たのか、自然に感染したのかはわからないが、言語習得の一場面に立ち会ったようだった。

 

 

教養系YouTuberのある人が某新興宗教を紹介する動画を作っているのをたまたま見たのだが、教祖の写真が全然別人でその致命的すぎるミスに看過できず、思わずコメントを投稿した。わたしは信者でもなんでもないが、嘘が教養として流通していくのは耐え難いものがあった。

 

 

 

火曜日

ホン・サンス監督「逃げた女」をシネマ5で見る。いつも以上にミニマルに仕上げてきた感じだが、ホン・サンスの世界は常に開かれていて、ひとつの解釈に狭められない。というか解釈に意味がない。映画の中の映画。フレームの中のフレーム。内と外がくるんとひっくり返る快楽を何と呼ぼうか。

 

 

映画館から出て歩く。東京に住んでいた頃、映画を見て映画館を出て渋谷などの駅にそれぞれ黙って向かって行き、初めは塊だったものが、見た映画を抱えながら群衆のなかにそれぞれ消え離れていくことが、とても尊く厳かなもののように思えたこと。

 

 

水曜日

いまいち調子が上がらない1日。

そういう日はそういう日で。

 

 

新しいキーボードが届く。高かったけど、快適だ。打つストレスがない。 理由もなく打ちたい。気持ちいい。

 

 

 

 

或る朝、なんの前触れもなしに一台のスピネットピアノが私たちの家に運ばれて来た。それが、未だ面識のない黛敏郎氏から送られて来たものだと知ったときに、私は音楽という仕事の正体に一歩ちかづいたように直感した。

 
 

私が理想とする音楽の聴かれかたは、私の音が鳴って、そのこだまする音が私にかえってくる時に、私はそこに居ない—そういう状態だ。

 

 

『音、沈黙と測りあえるほどに』武満徹

 

 

 

 

木曜日

いまいちの調子でうだうだする。湿度か気圧か。 

 

 

はっきりしていることは、〈流祖の時代〉の刀法は、予測を許さない禍々しい敵手との百年の葛藤の末に生み出されたということです。そうした敵手を背腹に受け、脅しも、すかしも、厭がらせもしないものが、上泉伊勢守の刀法であった。彼の刀法がこの時代を制したことは、文化上のひとつの奇跡にほかなりません。制したとは、単にたくさん勝ったということではなく、勝つことの意味を変え、敵手を説得する「太刀(かた)」の価値を創造し、下克上を超える晴れやかな生の肯定をもたらしたということです。私が稽古する刀法は、このような一人の人物を明確にその起源に持っています。

 

剣の思想』甲野善紀前田英樹

 

 

 

下克上を超える晴れやかな生の肯定か…すごいな。

 

 

 

金曜日

激しい雨が朝から。 

少しずつ調子を取り戻す。

 

 

 

救われたいと思っていた、でもそうでない自分もいた。と書かれたつぶやきを見た。

 

 

好きなことで生きていくというより、嫌なことで死なない。という言葉を見た。

 

 

 

土曜日

激しい雨。少し涼しい風。

少しずつ調子が戻っている。

 

 

夢 

映画美学校時代にお世話になったA監督との夢を見る。A監督いやA先生は、私の顔を久しぶりに見るなり「お、元気がないなあ」と言った。ドキリとした私は一方で嬉しくもあった。20年以上ぶりの夢の中での再会であるのに、そんな時間の厚みはない。夢に見るというのはおそらくその関係性が完了していないからだろう。なにか残してきたものがあるのだろう。師と弟子、先生と生徒の関係は恋愛よりも一筋縄ではいかない。憧れとか尊敬だけではなく、敵意や憎しみもあるかもしれない。誰にでもそんな「先生と私」はある。

 

 

夜はオンラインでの哲学カフェを開催する。いつもは5、6人くらいだけど今回は10名と少し多い。最初、zoomがなぜか不調でとても焦った。イベント中止が何度も頭をよぎったが、ぎりぎり開けた。

 

テーマ「諦めることとは」について対話した。とても楽しかった。この時間の豊かさをどう表現したらいいのか分からない。

 

ある参加者の「諦めることは自由になること」という言葉がこだまする。

 

詳細は開催報告にてまとめます。

 

 

 

日曜日

九州南部は梅雨明けしたらしい。

大分も午前中は夏のような陽ざしだった。

 

 

輪島の塗師赤木明登さんが大分に来ていることを知る。赤木さんは中央大学で哲学を学び、その後編集者の仕事をし、輪島に渡り塗師になった。漆塗りは静かだという言葉が忘れられずに私のなかにある。

 

 

夕方走る。40分くらい走って20分くらい歩く。

全身汗びっしょりになって、温泉に入っていく気持ちよさをどう表現したらいいのか。

 

 

国東の写真家Tさんがワークショップの企画を立てたとのことで相談にのる。

 

 

アイスは一日一本までと決めており、今日は昼過ぎに食べてしまったので、

夜に食べたくて食べたくて悶々とする。

 

 

 

【開催報告】オンライン・シネマ哲学カフェ 7.3

 

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久しぶりにシネマ哲学カフェを開催しました。

今回は2018年にカンヌの最高賞パルムドールを受賞した是枝裕和監督の

万引き家族」を題材に、”人が人を大事にする、人に大事にされるって何だろうか”を

テーマに参加者のみなさんと対話しました。

 

初めに映画の感想をみなさんにお聞きしたところ、

「リラックスする感じ」や「穏やかさ」があり、デトックスした、

また「あたたかさ」「優しさ」を感じた、誰も責めたり怒る者がいない、

人を否定しない、人を欲求不満のはけ口にしていないなど、

登場人物たちが置かれている厳しい状況とは裏腹にある、理想の「家族」が

成り立っていることの不思議さが語られました。

 

必ずしも「血縁」が保障するわけではない、あたたかさ、

大事にすること、されること。

他人の家の子どもを叱ったりすることがなくなった現代、

無関心な世界のなかで、行き場のない人が集まり、

瞬間だが「家族」をつくる現代のメルヘン。

離散した後、亜紀はなぜ元あった家を訪れたのか。

儚い家族であったが、内実(大事にされていたという感覚)は残った。

それが、次の歩を進める力となる。そんな映画だろうか。

 

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった、というタイトルの本を

見かけましたが、家族はまずその実存が先にあり、大事にしていく関係のなかで

はじめて本質をつかまえられるものなのかもしれません。

 

ご参加ありがとうございました。

また別の映画でシネマ哲学カフェを企画したいと思います。