対話と人と読書|別府フリースクールうかりゆハウス

別府市鉄輪でフリースクールを運営しています。また「こども哲学の時間」など

【開催案内】内省的哲学対話 5.11(5.3は満席になりました)

 

 

「死なないでほしい」と言われてもなにも響かなくなったひとのために芸術は存在するのだとずっと思っている

 

輪湖 Xより

 

 

 

 

四月になって新しいことを始めたいとの思いもあり、最近は禅寺に通って坐禅に勤しんでいます。ただ坐る。これも大いなる余白と呼びたい体験です。わたしは身体性への関心が強く、そこと哲学対話というものがどう出会うのか模索しているところです。

 


◆「内省的哲学対話 5.11」(5.3は満席になりました)

哲学とは「自分自身を知り、自分自身になる」ための道標だと思います。その「自分」には、世界や社会、他者も含まれています。私たち人間は鉛筆やハサミといった道具とは違ってあらかじめ存在の目的(本質)が決まっていません。内省的哲学対話とは他者との対話を通して、「自分」を見出していく試みです。5.3が満席になりましたので別日を設けました。問いを重ねながら、ポジティブに楽しく進めていきます。ご興味ある方はどうぞ♪
 

こんな方におすすめです。

・他者を通して「自分」を深めたい、「自分」を知りたい
・他者と「自分」を題材に深く語り合ってみたい
・「自分」に飽きたので刷新したい
・「自分」の背中を押して一歩を踏み出したい
・自分の理想を語り合いたい
 
などなど


○テーマ:「自分とは何か」
○日 時:2024年5月11日(土)14:00-17:00
○会 場:別府市鉄輪
ファシリテーター:しみず
○参加費:2,500円
○定 員:4名程度(要事前申し込み、先着順)※2名以上で催行します
○備 考:開催前日までにお申込みください。
 
 
お申し込みはホームページからどうぞ

 

【開催報告】哲学カフェ大分 4.20

 

4月の哲学カフェを開催しました。

今回は14名で「自分らしさとは」をテーマに3時間かけて、

ソクラティク・ダイアローグの手法を使い哲学対話していきました。

考えて、話して、聞いての3時間でした!ありがとうございました。

 

 

最初に時間の節約もあり、事前に今回のテーマに関しての問いとエピソードを

みなさんから集めて、それを発表してもらいました。

 

 

みなさんの問い

・「自分らしさ」とは他者が規定していくもの?自分で決めるもの?

・自分らしいということは今までの自分を貫くこと?それとも今までとは違う自分になること?スタンダードな自分とはどんな自分?

・反発と渇望「らしさ」に内在する二面性は何を意味するのか?

・「よそ行きの自分」と「うちの中の自分」はどちらも「自分」なのか?

・人が思う「自分らしさ」と、自分が感じている「自分らしさ」が一致しないと、
落ち着かないのはなぜ?

・“自分らしさ”に捉われることがかえって自由な心や行動の
足かせになっていることが多くないだろうか?

・自分らしさは、図らずとも他人(周囲)の影響を受けて決定していることもあるのではないか?

・自分らしさを決めるのは誰?

・自分らしさと個性の違いは?

・「自分らしさ」は自分自身を縛り付けるものなのか?

・「自分らしさ」はいつ自覚する?

・他人から見た「自分らしさ」は重視すべきか?

・旅と自分らしさの関係は?

・自分らしさと個性の違いは?

・そもそも「自分らしさ」ってあるのだろうか?

 

 

問いとエピソードを紹介してもらいつつ、深掘りしていきました。

補助線として「ジョハリの窓」を援用して考えるヒントにしていきました。

 

それぞれのエピソードを交えつつ対話を重ねることで、「自分らしさ」の本質が少しずつ

浮き彫りになっていきました。左側の記述が最後です。

 

印象的だったのは、具体的なエピソード(肉親の話)を事例に考えることにより、

他者理解が進んでいったことです。近い距離の人を理解するって一番難しいですよね。

そして理解(自己も他者も)は次の段階として、関係性の改善が自動的に促されたり

することがあると思います。「あ、そうだったんだ、あれは」。

 

 

仮にキーになるような概念として

・思考の癖

・自己認識と他者認識の双方

・場(場面)で生ずる関係性

・役割と属性

・積み重ね

・先天性(生まれ持った条件)と後天性(経験)

 

みたいなものが抽出されていきました。このあたりで2時間ちょっとでした。

 

そして最後のまとめの記述を全員で絞り出していきました。

まとめの記述(わたしたちの結論)

1 「自分らしさ」とは、生まれもった条件と折り合いをつけたり、他者との関係(環境)の中で積み重ねられたりしながら、変化していくもの。

 

2 「自分らしさ」とは、自分の捉え方次第で、自分の人生を豊かにも不幸にもするものである。

 

3 「自分らしさ」とは、認識に上ってこない、素の自分のことである。

 

 

まとめの記述が、最初のみなさんの問いに応えているか確認していきました。完璧な文章ではないものの、大方応えているようでした。

 

今回は3時間でも足りなかったなという実感がありました。トピックとして他に深掘りしていく必要なもの特に3や、別の視点(役割や役職)からの問いなど、合宿形式でやるレベルのテーマだったかもしれません。私個人としては労働(役割)がその人らしさを作ると考えているので、それはまた別の機会にじっくり考えたいです。

 

 

ご参加ありがとうございました。また対話の場でお会いしましょう。

 

 

坐る、坐らせていただく

 

ここ2日は連続して羯諦寺に朝通い、坐って、英語で他の海外の人たちと話し帰る。

 

坐るごとに上達していく。

坐るに上達もあるのか。

集中の度合いというのか、深まり方、スイッチの入り方。

いつもは窓を開け放ち外を向いていたが、今日の会では人と人で向き合って坐った。

坐るという字にも人が二つ書かれている。

今日は足のしびれはなかった。首から下が消えた、無感覚、無重力になった。

以前は時間が長く感じたときもあったが、今日は終わりの鐘を聞くと、

短い、もっとしたいと思った。

 

 

自分のなかに「静けさ」がうまれる。スペースというのか。

真空のもの。意味の外、私の外、不安や悩み、ストレス、心配は全部、

私に紐付いているから、私が消えればそれらも消えていく。

ここちよい。なんにもないということはきもちがいい。

 

 

羯諦寺のようどう住職は気さくな方だが、特に教えることは最低限度で、

あとはおのおのの探究に任されているのがいい。

教え導くことの有用性とマイナスを日々考える。

 

坐禅を継続していく人はほとんどいないとのこと。

坐るということが、「私」の芯に食い込まないと早起きも覚束ないだろう。

坐るよろこび、書のよろこびをこの年になって知ってわたしはしあわせだ。

 

 

帰りは近所の大山積神社(大山祇神社)へ。拝殿の後ろにご神体の巨石があった。

日出町が一望できる絶景を独り占めして、しばしたたずんだ。

いきていることの至上。

 

 



 

臨書・爨宝子碑(さんぽうしひ)

 

 

今日の風蘭さんの書道教室は、中国東晋代の義熙元年(405年)に建てられた地元豪族の墓碑銘「爨宝子碑(さんぽうしひ)」。今は中学校内に保存されているようです。
 
***

隷書のような波磔などが見られますが、楷書のように正方形の字形で、隷書と楷書の中間のようです。同時期に王羲之が活躍する一方で、爨宝子碑の存在は、当時の南朝書道界の多様性を示す貴重な書蹟です。(大阪教材社)

***
 
書いてみると、バランスや余白、強弱、起筆と収筆、左右の払いなど注意しないといけないポイントが多く難しいがそれらしく近づいてくると楽しくなる。ある書家は「愛嬌たっぷりへんてこ楷書」と評していた笑。たしかに。
 
1枚目の写真が最後に書いたもの、2枚目の写真が最初に書いたもの。はらいにカワイさがまだない。練習を重ねよう。
 
 
字は人をあらあわす。であるならば、臨書とは文字をなぞるだけでなく、その精神や人をなぞり、重なり、なにがしかの交感をするということ。そのとき蘇り、ともに生きる楽しさというものが気軽にできる書のすごさ、ありがたさ。学校習字はここにはない。
 
それにしても褒められるのはうれしいものだ。意気が上がる。
無闇に褒めるのはナンセンスだけど、実質を伴う褒めは勢いを付ける。
 

臨書:開通褒斜道刻石

 

 

風蘭さんの書道教室では直接「古隷」を臨書の題材として選ばなかったが、個人的に漢代の磨崖に刻され二千年の風化に耐えた「開通褒斜道刻石」に強く惹かれるものがあり、いろいろと調べたり、試みに自分でも半紙に書いてみたりした。線がとても難しくて面白い、魅力がある。私の愛する中村不折の龍眠帖はここからきているのだろうか。
 

最初の「開通褒斜道刻石」の印象はジャクソン・ポロックの抽象画を見ているようだった。ぞわぞわからゾクゾクへ。テキストに掲載された「開通褒斜道刻石」をしばらく眺めていると不思議な感動が押し寄せてきた。地と図がともに溶け出したような、それでいて石に刻まれるほどのメッセージがあり、そしてデザインで言うところの極端な字詰めと行間詰め、そして文字自体はゆるふわ、見ているうちに虜になってしまった。


***

石川九楊氏の解説に導かれてみる。

「総じて「古隷」は、風化・風蝕の美学の上に成立している。古隷のもっとも美しい拓本は何かと尋ねられたら、わたしは躊躇することなく開通褒斜道刻石と答える。開通褒斜道刻石は、文句なしに美しい。その美しさは、八分体に至る途上の素朴な文字構成もさりながら、それ以上に、崩れた岩肌と、岩肌の亀裂と文字の字画が溶け合う、不思議な光景の魅惑による。」『書の宇宙 4』

***


地も図もなくなったような開通褒斜道刻石のような、文章を書きたいとも思う。いやこんな人になりたいというのか・・どんな人だろう。幸田文「崩れ」に惹かれたようなものかもしれない。人生が崩壊の一過程であるがゆえに・・わたしの輪郭がじゃまだ。
 

【開催報告と開催案内】アサ 4.6、4.13

アサ4.6の様子



 

 

以前コロナ禍のときにオンラインで朝活の「本読みに与ふる時間」というのを1年くらいしていました。
https://kannawadokusho.hatenablog.jp/entry/2021/04/05/192123
https://kannawadokusho.hatenablog.jp/entry/2021/10/17/100820

コロナが収まってやめてしまったのですが、最近個人的に早起きしなくなったこともあり、また朝活を復活させようと思います。その名もアサ。前回は本を黙読するという主題があったのですが、今回はまず早起きすることそのものを主題にしたく、読書でもウォーキングでも体操でも瞑想でもモーニングページを書くでも、何をするかは各人の自由にします。カメラもオフで構いません。今日何をするかだけ伝えてもらえれば良いです。参加申込みされた方にZoomのアドレスを送ります。

 

今日は朝5時半に集まって20分ほど自由にすごしました。読書をする方、家事をする方、モーニングページを書く方などなど。毎週土曜日に開催していく予定です。早起きは最初はウッときついけど起きてしまえば爽やかに小鳥の声だけの充ちた時間が過ごせるのでオススメです。


◆オンライン「アサ 4.13」
みなさん土曜日はいつも何時に起きていますか??「アサ」とは各自が朝5時半に起きて、好きなことを30分間する。その時間をオンラインで共有するというだけの企画です。

【企画の概要】
・早起きして何をするかは、各人の自由です。読書でも外に出ても構いません。モーニングページなどお薦めです。https://yoi.shueisha.co.jp/body/mentalhealth/6394/2/
・5時25分頃開場で、開催時間はだいたい5時30分~6時の30分とします。その後話したい方は少し残ってお話ししましょう。
・参加費はかかりません。
・zoomを使用します。あらかじめアプリをダウンロードしておいてください。
ご自身がその日にすることをzoomのチャット欄に書き込んでください。
・参加者の方が自己紹介など特に話す必要はありません。
・ビデオはオンでもオフにしても構いません。
・基本マイクはミュートにしてください。
・参加には事前の申し込みが必要ですが、ドタキャンはOKです。途中参加途中退出もOKです。
・参加希望者はこのメールに返信ください。開催日の前日に招待メールをお送りします。
・体調など僕の都合で突然中止になるかもしれませんが、その際は事前に連絡いたします。

○テーマ:早起きして思い思いに過ごす。
○日 時:2024年4月13日(土)5:30-6:00
○会 場:zoomオンラインを使います
○参加費:なし
○定 員:何名でも
○備 考:開催前日20時頃までにホームページからお申込みください。

 

dialogue-oita.jimdofree.com

門と非門

 

 

 

 

 

 

日出町の羯諦(ぎゃてい)寺※に赴く。10年位前から行きたいと思っていて今回遂に念願叶い、「ひじはく」というイベントの関連でお邪魔した。欲望はいつか辿り着く。
 
 

「ひじはく」大分県日出町ならではの「食・自然・歴史文化」を満喫するとっておきの時間にひたる旅です。 地域の方々が「誘い人」となって案内する体験プランを楽しみませんか?

 

 

羯諦寺:禅宗 臨済宗妙心寺派
開山 勅諡仏照大光禅師 ( 南溟殊鵬和尚 ) 1346年建立

『ぎゃてい寺』は『サンスクリット語』の寺院名であり、般若心経由来の日本唯一の寺院名でもあります。

 

 
羯諦寺に関心を持ったのは、一つは座禅・瞑想ができることと、二つ目は清掃ができること、そして炊事ができること、三つ目は早起きをすることで、これらがどれも最近疎かになっていることもあり、ひじはくと関連付けていよいよ機が熟したとの感がありました。
 
朝から半日過ごして、どれも丁寧に勤しみ、わたしのなかで満ちる物が在りました。精確に言うと捨てて満ちるというのか、去って行ったというのか。 
 
住職の陽道さんに何かを教授してもらったわけではない。ただ坐り、掃除をし、食事を準備し、片付け、他の外国から参加した人と会話する。導かれる流れというのは本人のなかにあって、それがなんらかの理由で詰まっているだけで、それがとれれば本来的な生と出会える。そんなことを感じました。また坐りに来ます。ありがとうございました。
 
 
瞑想そのものについては、時間はながれないを体感する端っこをつかみかけそうで光りの移ろいに美的に感動してしまい、もっと坐の体験を積む必要がある。
 
 
作ったお蕎麦が美味しかった。とてもとても。
 

 
 
※「羯諦」は「行く」という意味で、般若心経の最後の偈「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆呵」に含まれています。この偈は「行こう 行こう さあ皆で手に手を取り合って 清らかな幸せの世界に向かって 一緒に行きましょう」という意味です。生成AIによる概要