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大分・別府鉄輪朝読書ノ会

大分県別府市鉄輪にて毎月開催しています課題図書形式の読書会です。

別府大学~文学への誘い 特別講演「温泉と文学」

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先日、別府大学で開催された特別講演「温泉と文学」にいってきました。以前、この読書会にも参加していただいた澤西祐典さんをコーディネーターに、芥川賞作家の藤野可織さん、吉村萬壱さん、玄月さんの三氏が、温泉地で読みたい本などを語る楽しい会でした。特に三氏が別府について語る言葉が興味深く、改めて別府の底知れぬ魅力を他者の言葉によって知るのでした。

 

藤野さんの紹介した本のなかに、刑務所のなかで開催される読書会の様子を描いた『プリズン・ブック・クラブ』ウォームズリー(紀伊國屋書店)というのがあり、読書会が囚人に与える影響や更生について語られ、そのなかで澤西さんが鉄輪朝読書ノ会について、少し言及していただいたのは嬉しかったです。

 

会場は人に溢れ、大盛況でした。地方に最前線の作家を呼んでいただいて執筆の実際について話が聴ける機会はほとんどないので、貴重な時間をすごせました。関係者のみなさまお疲れ様でした。「読書会の存在が作家にとって励みになる」という言葉もまた私にとって励みになるものでした。ありがとうございました。

 

 

無題


「私の人生の物語などというものは存在しない。そんなものは存在しない。物語をつくりあげるための中心などけっしてないのだ。道もないし、路線もない。ひろびろとした場所がいくつか、そこにはだれかがいたと思わされているけれど、それはちがう、だれもいなかったのだ。」

マルグリット・デュラス『愛人』

【開催報告】第十一回 別府鉄輪朝読書ノ会

 

こんにちは。別府鉄輪朝読書ノ会主催のシミズです。先日、第十一回目の開催をしました。課題図書は田中小実昌の『アメン父』という入手しがたい作品だったにも関わらず、多くの方に参加いただいて嬉しかったです。ありがとうございました。

 

自己紹介を兼ねつつはじめに全体的な感想を聴いていきました。「書く人も書かれた人も普通じゃない」「以前から蔵書として持っていたが未読だったので、今回の参加を機に読んでみた」「脈絡がない」「ひらがなの多用。これ必要なの?という文章が多かった」「章立てがない。他の方がどう読んだのか知りたい」「初めて知った作家」「明治期の宗教家の人生に興味があった」「再読してみて自分の思考形式の原点になっていることに気付いた」などなど。

 

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本文中にたびたび出てくる「宗教はココロの問題ではない」という一文をめぐって、さまざまな意見や問いが交わされました。宗教において心のよりどころとは違う関わり方とはなんでしょう。簡単には答えられない問いだからこそ、安易な理解、わかったつもりを避け、断定や定義づけ、ラベリング整理や分類を拒んだ思考、その文体がうねるように展開されていく『アメン父』。伝記ではない、物語化に抵抗しつつ描かれる父にすっきりした美しい文章にはない迫力を感じたのではないでしょうか。

 

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むすびのさんから提供されたメニューは呉や海軍に着想を得た、玄米の甘酒、鳥皮出汁のお味噌汁、ふかふかの生地に肉じゃがの入ったパンでした!美味しくいただきました。

 

今回はイメージ(写真)による安易な理解への拒絶を示した作者に敬意を払って写真掲載は最小限にしています。宗教については普段はあまり表立って話すことがないので、今回はいい機会になりました。対話中に出た〈愛を超える理論〉とはなにかという問いが個人的に宿題となりました。みなさん、よい時間をありがとうございました。

 

次回3月は川上弘美さんの『真鶴』をとりあげます。

 

 

 

 

無題

 

 

読むことが、旅であると分かれば「正しい」読みなど存在しないことがすぐに気付くはずだ。同じ場所に旅をしても、人によって経験は全く違うように、一冊の本から感じることも異なってよい。むしろ、同じ光景を、言葉を二度見る事はできないのである。だからこそ、旅は、読書は人生に不可欠なのである。若松英輔

無題

 

一冊を通して読んでも何の感動も与えなかった書物が、ある頁をふと眺めていて強烈なインスピレーションを与える事がある。この事実は、読書という営みの本質を教えている。我々の生を照らし出す言葉との出会いは、意図して得れるものではなく、我々の思いを超えて与えられる根源的に受動的な恩寵なのだ

 

独創的な発想が訪れるのは、独創的な発想をしてやろうとしてる人に対してではなく、事柄の真相を丁寧に探求してる人に対してだ。同じように一冊の書物に対する独創的な読解が生まれてくるのは、独創的な仕方で読んでやろうとしてる人に対してではなく、地道で丁寧な読解を積み重ねる読者に対してなのだ。

 

一冊の本を二回目に読んで、以前は分からなかったことが分かるようになるのは大きな収穫だが、分かっていたつもりのことが実は分かっていなかったことに気づくのはもっと大きな収穫だ。その本についてのみではなく、自分が持っている世界認識の体系の全体を批判的に捉え返す機会を与えてくれるからだ。

 

書物を真に深く理解するために必要なのは「待つ」ことだ。著者の言葉が心の隅々にまで染み渡り、自分の心の中で生きた言葉として動き始めて思索を活性化してくれるまで待たなければならない。だからこそ、すぐに理解しきれないとしても、力を持った書物の言葉を心の中に植え付けておく必要があるのだ。

 

 

山本芳久(比較神学者

山本芳久 (@201yos1) | Twitter

 

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人が作品を選ぶのではなくて、作品が人を選ぶ。

 

わたしは、偶然にも、私が何かしらの接点を持つことが出来たと思われる「良い小説」について、出来うる限り良い読者であろうとし、良い反響板であろうとしました。そしてそのような努力をすることそれ自体が、わたしにとっての大きなよろこびでもあります。良い小説とは、良い読者であれという声ー命令に従おうとする努力がそのままよろこびであるような小説であるとも言えるでしょう。

 

『人はある日とつぜん小説家になる』古谷利裕(青土社

 

 

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小説では表現されるすべてが「思考」なのだ。

小説家 保坂和志